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不思議と紫杏は落ち着いていた。
記憶が無い上に周りに己を知る者も居ないのだから、明日の命すら保障出来ないというのに。
──カツカツ、カツ…ッ
だがそんな落ち着きも、長くは続かない。近付く足音に、叫び出しそうになるのを両手で口を塞いで抑えた。
今は…今は、少しでも状況を把握しないと…
1度目の足音と2度目の足音では聞こえてきた場所がかなり違う。1度目は倉庫の奥、2度目は出入口付近で。奥行きがあるこの倉庫内を足音一つ響かせずに移動するのは難しいだろう。
ならば、足音1と足音2は別物で、この倉庫内には俺含め3人居るのか…?
本棚同士には人が1人ギリギリ通れそうな隙間がある。隙を見てそこを通って、この倉庫から出る。それが今の一番の目的。
今のところ空腹や眠気といった生理的欲求は感じていないが、それも何時まで続くか分からない。
はやく、ここから…!
「あははははははっ!!君ぃ、こぉんな暗くて湿っぽい場所がタイプなのぉ!?」
男にしてはやや高い声。狂気を孕んだ笑い声に、ひゅ、と息が漏れた。
何処からも視線は感じないし、俺以外の人物は未だに髪の毛1本も見えていない。どうやらその問いは俺にではなく、本棚を挟んだ向こう側のもう1人に向けてのものだったらしい。
2人は顔見知りか。
「っひ、く、来るなぁ…!!」
それも悪い方の。
冷たい汗が背中を伝うのを感じながら、身を乗り出して本棚から様子を伺う。
最初に目を留めたのは月の光が届かなくともはっきり見えるピンクの髪だった。胸を張って堂々と立つその姿。髪色や声に似合わず、背は恐らく…俺より高い。目を合わせるには少々見上げないといけない。…この状況で向かい合ってお喋りなど到底する気はないが。
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