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メディア部に臨時の席を置いてからあっという間に5日が過ぎた。
悲しいかな、身体が以前よりうんと軽い。残業は夏目が面倒がってしないので2年ぶりにほぼ残業のない生活が続いている。
苦しいネクタイもボタンを締めたタイトなジャケットも今の真柴には存在しない。
ストライプのブルーのシャツにくるぶし丈の黒いパンツに白のスニーカー。それが今日の真柴の姿だ。
エレベーターホールで偶然会った奥秋に腹の底から羨ましがられた。
「顔色のいいお前、久しぶりに見たよ」と奥秋は嬉しそうに笑った。
「栗花落くんお昼どうするの?」
夏目班の同僚が財布片手に声をかけてくれた。
「あー、コンビニかな?」
「そっか、また今度皆でランチ行こうね」
「ありがとう」
普段同僚ともろくに話さない真柴だったが、夏目班の皆はαやΩと言った隔たりが一切なく、ただの同僚としてフラットに接してくれる。それはきっと上司の夏目がきちんと部下をコントロール出来ている証だ。
──夏目さんて、人望あるんだよなぁ……。
コンビニに着くと店から出てきた三人組の中に知った顔がいて目が留まる。
「傘の子……」
その声に反応して彼は友人に向けていた顔を真柴に向けた。
「あーっ、逃げた人!」
彼の大きな声に友人たちも驚き思わず全員が真柴を見た。
居た堪れないながらも真柴は「ごめんなさい」と囁く。
彼は早々に機嫌を良くしたのか、ニコニコと笑って真柴を見ている。
「何、キイチの知り合い?」
「どこの大学の人?」
純粋に首を傾げた少年に真柴はがっかりした。
「……あの、俺社会人なんで……」
「ええっマジで! すんませんっ」
「見えねーよなぁ、俺も初めて見た時暫くサラリーマンって気付かなかった」
「えっ?」と、真柴はもちろん聞き逃さなかった。
「お昼? サラリーマンってその辺の飯屋に行くのかと思ってたけど真柴さんは違うんだね」
「早く食うの苦手だから……」
「なにそれ可愛いの」
ひゃははと高い笑い声が上がる。
ジトリと睨んだ真柴のことなどお構いなしにキイチと呼ばれた彼は馴れ馴れしく真柴の顎先を指で持ち上げた。
「お口、小さいもんね」
「エロッ、キイチの悪い癖が早くもっ」
きゃいきゃいと何が面白いのか若者たちは白けた顔の真柴などそっちのけで騒いでいる。
真柴はあえてそのままの格好で青グレーの瞳を覗き込んだ。
「あのさ、写真。撮らせて貰えないかな」
「ふーん、なんに使うの? アンタのオナニーのおかず用?」
相変わらず外野たちは猿みたいな声で笑っている。
「この街に住む若者たちを撮りたいだけ。普段ならすれ違って知り合う事すらない人たちと触れ合ってそれを写真にするんだ」
「触れ合う? へぇ、どんな風に?」
吸い込まれそうな瞳が一層真柴の顔に近付いてきた。
パチンと乾いた音を立ててキイチの手が振り払われると同時に「イテッ」と悲鳴が漏れる。
「そんな綺麗な顔に産んで貰っておいてチンコに脳味噌でもついてんのかっ思春期の中学生レベルだな! もう結構です! さようなら!!」
真柴はそう言い放つとコンビニに入る事なくキイチに背を向けズンズンと会社へと踵を返した。
「何がコミニケーションだよっ、シモの話しかしねーじゃねぇかっ!」
真柴は頬を膨らませながら会社に着くまでブツブツと愚痴をこぼし続けた。
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