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2話
パソコンを閉じ、リクライニングシートを倒す。
旅客機が実用化されてから一世紀以上経つが、その移動速度はちっとも速くなっていないらしい。
インドまでは、まだあと3時間もある。
私は窓の外の夜景を眺めながら、束の間の休息をとることにした。
母をアキに任せて出張に行くのは少し心許なかった。
だが母はすっかり彼女を信頼しているようだったので、家政婦を変えることはしなかった。
解雇の件はとりあえず出張から帰ってから考えよう。
インドでの新規プロジェクトは、ひとまずは成功だった。
交渉には難航したものの、私が根気よくプレゼンしたことが功を奏したらしい。
根深く蔓延る情報格差への打開策を、必死に語った甲斐があった。
空港から家に向かうタクシーの中で、GPSを確認する。
母はアキと近所の公園へ散歩にでも行っているようだった。
私が不在の期間は、アキに住み込みで家政婦業を依頼していたので、得意な介護の幅も広いのだろう。
タクシーを降り家に着くと、疲れがドっと押し寄せてくる。
一刻も早く身体を休ませたいのに、家の中に入ると、それはなんとも悲惨な有様だった。
リビングには大量の消毒液やマスク、トイレットペーパーが山積みになっている。
色鉛筆が床に散らばり、ダイニングテーブルには食べかけの料理がそのままだ。
キッチンにも、洗っていない食器が積まれているのが見える。
こんな状態で外に遊びに出たというのか。
一体なんのための家政婦だ。
その時、ちょうど玄関の扉が開く音がして、母がアキと一緒に帰ってきたのがわかった。
時差ぼけした身体は、昼を夜だと勘違いしている。
疲れから冷静な判断もできず、頭に血が上ったまま、リビングに入ってきたアキに冷酷な言葉を浴びせてしまった。
「アキさん、もうクビです。出て行ってください」
リビングの惨状を見やったあと、私の心中を察したのだろう。
「お世話になりました」と頭を下げ、彼女は静かに出て行った。
「アキちゃん、どこ行くのよ」
母は引き止めようとするが、アキは一度だけ振り返って困ったように微笑む。
そのまま何も言わずに家を後にした。
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