2話

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「あの頃は、ほとんど画面越しでしか友達に会えなかったの。でも鎌倉の友達だけは、一緒に浜辺で遊んだり、流れ星を見に行ったりして……とにかく初めての体験だったわ」  今の元号より三つ前――令和時代のあの感染症についてはもちろん歴史で習ったし、それなりに知識もあると自負している。  感染症の流行がルサンチマンの増大を引き起こした、という切り口で卒論も書いたほどだ。  大学時代はニーチェの哲学に傾倒していたのだ。  感染症は五年ほどで収束したが、当時七歳だった母にとっては、もっと長く感じていただろう。  人に触れ合うことで様々な経験をし学習していく大事な時期。  そんな大事な時期に、人と直接的な交流ができなかったのだ。   「マリナには想像もできないでしょうけど、私はね、その友達と指相撲で勝負するのが好きだったの」 「指相撲?」 「そう、指相撲」 「なんで? お母さん弱いじゃん」  幼少期の私にも、母は指相撲でよく負けていた。 「自分の親指が人より短いんだって、それまで知らなかったのよ。だから、それが面白かったの」  「そんなことか」と私は軽く流そうとした。  いや、でもそれは違う。  ()()()()()でさえも知り得る機会がないほど、母は社会生活を制限されていたんだ。  当時の友達の存在はどれほど大きかったのだろう。  最近の出来事を覚えていられない母が、昔の楽しかった記憶に(すが)るのも当然か。  それにしても、母は壮絶な時代を生き抜いてきたのだと、改めて感慨深くなる。  母がいつか言っていた。  太平洋戦争の経験者の最後のひとりが亡くなった時、ニュースになったと。  かの感染症時代を生き抜いた人は今は皆、高齢者である。  生の声でその体験談を語れる人は少なくなっていくのだろう。  私たちの世代が、後の世に伝えていく義務がある。  懐かしそうに語る母に愛しさが押し寄せた。  もう一度、解雇の件を見直そう。
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