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1話
最近雇ったアキという若い家政婦は、はっきり言って使えなかった。
第一印象こそは、やる気に満ちた笑顔がとても好印象だった。
しかし肝心な仕事ぶりは、全くだった。
私は小規模ながらもIT企業を経営している。事業も軌道に乗り始め、このたび新規プロジェクト立ち上げのため、インドに一週間ほど出張することになった。
しかし認知症を患う母をひとり置いて行くことはできない。
それに仕事も忙しくなるに連れて、自分だけで家事も母の介護もこなすのは厳しくなっていた。
いくら普段は在宅ワークが主だからといっても、両立は限界がある。
ちょうどいい機会だ。
私は家政婦を雇うことに決め、仲介業者を通じて有能そうな人材を探した。
数ある人材の中でも、珍しく介護が得意だと謳っていた家政婦がいた。それがアキだったのだ。
私は早速、彼女を雇った。
出張の数日前から家事と母の介護を任せて、私は仕事に集中した。
そして、すぐにアキの無能さが露呈したのだ。
「マリナさん、見てください。これ、お母様が描いたんですよ」
アキが見せてきたスケッチブックには、美味しそうなカツ丼がリアルに描かれている。
色鉛筆の繊細なタッチで立体感がうまく表現されており、それは見事なものである。
しかしだから何だと言うのだ。
「アキさん、頼んでおいた夜食はできているのかしら?」
アキはハッとした顔で、「すみません。急いで作ります」とキッチンに向かった。
この家政婦は私の指示をすっぽかして、母と遊んでいただけじゃないか。
小さくため息をつくと、ふとカツ丼の記憶が思い起こされた。
私が小さい頃に母がよく作ってくれた定番メニュー。
ゲン担ぎにと、大きなイベント事の前の夕飯は、必ずと言っていいほどカツ丼だった。
三つ葉の他に、ネギや刻み海苔がたっぷり散らされていて、私は本当にこれが大好きだった。
母が描いた絵も、そのトッピングがきちんと描かれていた。
最近の出来事はすぐに忘れても、遠い記憶のことは忘れない。認知症によくあることだ。
でも今はこんな消化に悪いものは勘弁してほしい。
それに絵なんかでお腹を満たすことなど、できるわけがない。
母は黙々と、また新しい絵を描き続けている。
私は母の隣に座り、食事ができるのを待ちながらその様子を見ていた。
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