7月12日

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7月12日

雨が降り、彼は呟く。 ー本当は認めたくないけれど、全て僕のせいだった。 雪が降り、彼は呟く。 ーでも、僕は君を救いたかっただけなんだ。 そして、崩れる物語の中で僕は嘆く。 ーそうして離れゆく君に近づく事は出来なかった。 だのに、君は”むこうがわ”で1人微笑んでいた。 昇る朝日。夜明けの再来を君に告げる。 空が、動き出した。 影を失ったその世界に微かな光が宿った。 空気は止まったままだったが押し留めていたその手が自分のものだ、と気が付くことができた。 流れる様に回る血液が脳に回ったか。 しかし、それは直ぐに雨となって降り注がれた。 否、それは雨なんかではなく心の結晶そのものだった。 そうか、君はまだ僕を見てくれていたのかい? そうして君は何も言わず泪を拭った。 またいつか2人で巡ろう、と約束されたあの場所へ。 君は僕を連れていった。 孤独を知った小鳥の様に、彼は光を見ていた。 小説家を名乗り3年目。 だがこの1年の苦労は桁が違かった。 新たな生活に想いを馳せている2年前の僕に とても話せるようなモノじゃない。 それはまるで飽和しきった月夜の様に 音を忘れる程に君を想い過ごした日々。 それを書き上げた瞬間、時間が止まった。 波は満ち引きを忘れ、風は流れることを放棄したのだ。 涙の様に零れた3つの物語。 その全てが似た様なモノで存在証明には不十分だったからだろう。 さらり、と風が冬の訪れを告げる。 意識は再びこの景色へと戻された。 浮かぶ雲は言葉の様。ふわり、と流れてゆく。 ひとりぼっちの月に声を掛けた。 寂しくないの? 寂しくないよ。 ここではみんなを見られるからね。 それだけで僕は良いのさ。 僕は彼に憧れを持った。 その小説は全てこの時間に生み出される。 息を切らし、逃避行に全力を注ぐこの時間。 いいや、引いていった波を追いかけようとしているのか。 かれこれ1年も引き摺り続けてしまっている。 全て僕が悪い、と思う程に僕はあの日を後悔していた。 小説を書く事だって君が教えてくれたじゃないか。 昨日まで無かった住宅街を通り、 さっきまで森だった道を駆け抜け、 また1つ、物語を生み出した。 その題名をかちかち、と寒さで赤くなった手で入力する。 「雨の降る街」 それが呪いの始まりだった、のかな。 ここは君のいない全ての始発点。 彼は自分とよく似ている。 こんな終わりもきっとある、と思い連ねたこの物語。 静かな時間に嫌われた、少年のお話。 それは毒性の強い存在だ。 鏡の様に自分を見つめさせ、無地の闇の様に体内を侵食する。 答えの無い問いを追う事は不毛だ。 その矛盾は永遠と連関している。 彼はこれに縛られた。 ただ、彼も僕も答えは既に得ていたのだ。 だけど怖くて向き合えないんだ、すまない。 そうしてこの結界を後にした。 彼は一瞬向こうで微笑んだ様に見えた。 限りのない茜色の空。 2人が消えたここで堕ちてゆく夕暮れを眺めていた。 僕は小さな頃から人の綻びしか見えなかった。 心の病、という自己完結でそれを補完し続けてきたのだ。 するとその矛先は自分へと向けられた。 成立した絵画に垂らされた泪の様。 破滅の源そのものだ。 いっそ消えてしまいたい、と何度思っただろう。 でも、死ねる勇気なんか無くて、 本当は誰かに認めて欲しかっただけだったなんて。 君に捧げた感情の正体が承認欲求でしか無かったなんて。 気がつくと、その鉄で出来た高い柵の奥で風に当たっていた。 きっと僕は今、大きな天秤にかけられている。 僕の中の小さな、でも確かな夢を叶える為に この世界を呪い続けても、幸せなんて無くとも 生きる覚悟があるのか、否なのか。 高いな。君はここから翔んだのか。 「だから、これが夢だとしても」 そうして、逃げる。 支えるものが無くなったこの小さな体は 流れる日常の一部として、誰にも知られず落ちてゆく__ 「そんなの、間違ってる」 聴き慣れた少女の声と、掴まれる腕。 それは今まで聞いた事のない程大きな 僕に向けた叫びだった。 「君には、ちゃんとあるよ」 その号哭が響くのを感じた。 掴む少女のその腕は震えていた。 その真っ直ぐな瞳は、ずっと僕を見ていた。 君の涙は、雨の様に降りかかった。 青空に君の姿が霞んだ。 とうに、結末は決まっていた。 そこは彩を取り戻しつつある街だった。 水分を多く含んだ筆で夕日の映る海をなぞった様な空の境界は彼方へと流れ、靡いていった。 さほど時間をかけず、それは燃え尽きた薪に残る僅かな灯火の様な色へと変化する。 そこに浮き立つ人工物の喧騒は心地よかった。 その光を反射する、 いいや。 吸収しているこの線路の横に、僕は立っている。 そしてその向こうに立つ、灰色の僕を見ている。 手には小さな手帳と筆。 すると突然形容し難い風情ある音を立てて赤色の光が波として現れた。 君はきっとこれが夕焼け空だって事にすら気が付けていないのだろう。 下しか見えていないじゃないか。 空はこんなに綺麗なのに。 なんだって、僕はいつでも中途半端な奴だと思う。 生きる決意もなければ死ぬ勇気も無い。 だから君だけには救われてほしい。 誰かにこの想いが届いてほしい。 伝わらなくて良いから この色んな人の”線路”を観測し続ける 僕の心の叫びを聞いてほしい。 そうして僕が生きていてもいいって、思わせてほしい。 それはきっと誰もが持っている願い、呪いそのものだ。 こんな風に生きたい。 世界は死なせてくれない。 僕は悪くない。 でもそんな事言ったって、 今日も、明日も、その先も、 僕らはきっと生きてゆく。 どんなに呪ったって  どんなに嘆いたって     君のその足、動かないじゃないか。 真っ黒な体液に塗れた僕を見る。 心を、体を削ってでも良い。 みんなに届いて欲しいから、これを書いている。 言葉に願いを重ねている。 なのに、何故僕はいつまで経っても救われないのかな。 そう言うかの様に、彼は泣いていた。 でもそれを彼は雨だと思った。 そうだよ、よく解っているじゃないか。 本当に救われるべきは君じゃ無いんだ。 「線路」と書かれた1枚を握り締め、何処か遠くの星へ叫ぶ。 「いつか、君は言った。大空は僕を抱擁してくれる、と。」 でも、そんなの主観だ。 それは僕の書いた小説の一部に過ぎないのだ。 「君はそうして無意識に世界から逃げていたんだ。」 ああ、そうだ。 __だとすれば。 「僕にやるべきことは1つ、だろう?」 僕は、”君と一緒に”僕で居たいから。 その時、再び世界が回り始めた。 月が昇り、太陽が落ちた。 海は満ち引きを思い出し、風は鳥を乗せた。 走馬灯のように駆けるこの景色のひとつひとつが、僕には見えた。 あぁ、そうか。 時は止まっていたんじゃない。 止めていたのは__ そこは星の降る街だった。 ひとひと、小さな音を立てて消えつつあるこの”光のかけら”と夜の終わりに染められ、ゆっくりと線路へ水滴が落ちる。 眠ってしまっていたのだろうか。 時刻は四時二十九分。 もうすぐ夜が終わる。 彼は小さな鞄を持ち、慣れないスーツがぱきり、と音が鳴りそうな程に固められたその体を立ち上がらせた。 駅の構内の窓を挟んで眺める世界は未だ眠りについている。 その中で、彼は1人。 改札を抜け 線路を渡り 夜明けの景色に溶けた。 君の待つ、その小さな公園のすぐ上。 大地を見下ろす様に僕の、”ナギサ”の到達を待っていた。 時刻は四時三十二分。 夜が明けた。 あの無垢な感情で楽しめた時はもう戻ってこないけど、 僕はあの呪われた過去を後悔していない。 だって、汚い部分でさえも儚く、美しいものだったから。 人一倍悪いものも見えた。 でも、それを認めてくれる存在にであえた。 このままの僕で生きていていいって言ってくれた。 それから僕は顔をあげ、空を初めて見た。 世界は美しさで溢れていた。 だから、今度は僕が世界を作る番だ。 ___おはよう。 7月12日がやってきた。 おしまい
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