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「つまり、八月のコンクールを受けることをまだ佐葉子先生に明かせてないのね?」と雪歩先生に言われ、私は頷くので精一杯だった。ティーカップの紅茶に映る自分の顔はすこぶる渋い。
雪歩先生の家でのレッスンを終え、私はリビングでお茶をいただいていた。レッスン後のティーブレイクは恒例になって久しい。
「うーん。言いづらければやっぱり、わたしから言おうか?」
「大丈夫です。自分から言います。ただちょっとタイミングを逃してしまってて……母が仙台から帰ってきたらすぐ言います」
カップに残っていた紅茶を飲み干す。カモミールの爽やかさがゆっくりと喉を伝っていった。
夏のコンクールについて、母には受けないからと宣言しているものの、実はエントリー済みなのだ。軽音楽部にほぼ幽霊部員ながら籍を置いているので、部活に専念したいとか学校の夏期講習が忙しいとか適当な理由をつけて、母には黙っている。
受かる見込みは薄い。地区予選はよっぽどのミスがなければ受かるだろうけど、次の本選は無理だ。何だかんだ受けておいて予選だけでも通過しておいたほうが自分の身を守るためにも、雪歩先生の立場を守るためにも、きっといい。……そんな姿勢で臨むから、あまり母の気を揉ませたくないのだ。
そっか。と答える雪歩先生。口調は責めるものなんかじゃなく、ただただ私を心配しているものだというのが伝わってくる。コンクールを受けます、と雪歩先生に申告した際も、雪歩先生は優しく受け止めてくれた。だからこそ、私と母の話に、雪歩先生を不必要に巻き込みたくない。
私が母の教室から籍を抜き、早乙女雪歩先生の教室にお世話になり始めたのは、高校入学直後からのことだ。
きっかけは、私と母が、性格的に反りもあわなければ、私のコンクールの結果も芳しくなくなっていったからだった。
中学生の頃までは、当然とも言うべきか、母が私を指導していた。けれど、叱る指導スタイルであり、時には弾いている生徒の手を叩くようなことをしたり怒鳴ったりと、母の指導は厳しいと昔から評判だった。
母の教室出身者は精鋭揃いだ。ただし、ふるいにかけられるように指導に耐えて、大人になるまで教室に残る確率は高くない。
そんな母が自身の後継者とすることを見据えて自らの娘を指導するとなれば、輪をかけて厳しい態度にならざるを得なかったことは、想像に難くなかった。
なにも母は私が憎くて厳しいわけじゃない。それは私も小さいときから分かっていた。だから母の期待に応えたくて、私も私なりに精一杯やっていたつもりだった。けれど、心と反対に体は強ばり動かなくなっていく。結果ももちろん悪くなる一方で、全国大会はおろか一段階前の関東大会ですら次第に賞をもらえなくなっていった。
そして、高校受験を迎えた冬。疲れはててしまった私は、一度すべてを投げ出した。母の意向を汲んで音楽科のある私立高校の受験を予定していたところを、すべて勝手に欠席したのだ。
音楽科の受験をしているものと信じていた母は、私がボイコットした挙げ句、音楽科に受からなかったときのためにと申し込んだ近所の普通高校しか受験していなかったと知るや激怒した。
しかしその頃の私はまさしく脱け殻で、母に叩かれようと詰られようと反応を返す気力すらなく、受験が終わると自室に引きこもった。
会話はない。目すら合わせない。そんな一ヶ月ほど続いた争いの末、先に観念したのは母だった。
母は自らの手で教育することを諦め、同門である雪歩先生に私の指導を預けたのである。
当時、雪歩先生は大学院卒業後の留学から帰ってきたばかりだった。一門に所属する先生としてはとても若い。それゆえにまだ指導実績としては浅かったものの、それがかえって良いと、母は判断したのだろう。『雪歩先生のもとで頭を冷やしてこい』という思いもあったはずだ。
「佐葉子先生はあのコンクールの理事もやってらっしゃるからねぇ。大会に清葉ちゃんの名前があると気づいた事務局とか他の審査員の先生たちとかから情報が行くかもしれないわよ。私から伝えたほうがやっぱり良さそうなら、遠慮しないでね~」
雪歩先生は朗らかに笑う。
茶髪のショートカットを綺麗にセットし、優しげな顔が引き立つようにお化粧をし、小柄な体に柔らかな素材の花柄ワンピースをまとった雪歩先生は、出会った当初から変わらず、穏やかな人だ。塞ぎこんでいた私を気遣い、レッスンはコンクールのクラシック曲だけでなく映画音楽やジャズ、はたまたポップスを取り上げるし、レッスンが終わればこうして雑談しつつのティーブレイクをしてくれたりする。
「そう、ですね……」
対する私は愛想などない。雪歩先生の言葉もなんだかむずがゆく感じられて、素っ気なく返事してしまうことがしばしばあった。母から少し離れて、ようやく自覚した自分の性質。
小さく息をついて、気晴らしに大きな窓越しに庭を眺める。七月になり見頃を迎えた地植えの百日草を、雪歩先生のお父様が手入れしている。私たちの視線に気づいたのか、お父様が笑いながらこちらに手を振った。娘の雪歩先生と同じ、優しげな顔で。
雪歩先生が両親と住まうこの家の庭は、一年中花が咲いていてとても美しい。和やかな光景で、いつも胸がじんわりと温かくなる。
それから他愛もない雑談をするうちにお暇する時間になって、私は雪歩先生から母宛の原稿を受けとると、お父様と雪歩先生に見送られながら教室を後にした。
帰り際、いつも考える。綺麗なおうち。他人に優しいひとびと。こうなれるには、私はどうしたらいいのだろう――正直なところ、想像がつかないでいる。
ピアノをやめてしまえばいいのだろうか。……そうなんだろう、きっと。
でも、自分がなにか分からないままふわふわしているところでピアノを断ち切ってしまったら、ふっと自分が消えてしまう気がする。
足元がふわふわとしておぼつかない。そんな心地のまま、私は駅まで続く、平坦な住宅街の道を歩いていく。
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