木村一郎

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木村一郎

「木村一郎さん」 「はい。宜しくお願いします」 一礼をして、モノマネのオーディション会場に入ってきたスーツの男性の顔を見て、審査員全員が度肝を抜かれた。中肉中背のその男性は、オデコが広いせいで禿げているように感じさせ、目は細く吊り上がり、鼻は低く、アトピーの為、肌は赤く荒れている。口回りは青髭が目立ち、歯並びはガタガタ。およそテレビに出られる風貌ではない。その見た目で既に落選が決まったようなものだった。 木村一郎にはある特技がある。それは、人の声を直ぐに真似出来るという事だ。それも、完璧すぎて本人と全く見分けがつかないレベルに。 目立つ事が苦手な性格の上、容姿に劣等感があった為、人前ではあまりモノマネはしてこなかったが、5年勤めた会社の倒産を機にモノマネタレントを目指す事を決意した。 今、初オーディションに挑んでいる。当然、合格確実と思っていたのだが、見た目のマイナスが思った以上に大き過ぎたようだ。 審査員の1人が木村に話す。 「いや~、そっくりですね。とても似ているんですが、誇張したりできますか?」 「誇張ですか?」 「ちょっとやり過ぎぐらいのほうが、面白かったりしますよ」 「はあ」 別の審査員が質問する。 「歌真似は出来ます?」 「音痴なんで、歌はちょっと……」 「そうですか……才能ありそうなのにもったいないですね。では、結果は後日連絡させていただきます、ありがとうございました」 「ありがとうございました」 木村の声真似自体は本人とそっくりなのだが、ネクラな性格が邪魔をして笑いに繋げる事が出来ないし、最大の問題はテレビに映せ無いレベルの容姿なのでモノマネをしても見る側に入ってこないという事だろう。不細工でもテレビには出られる。むしろ、肌が綺麗なブスは人気が出て引っ張りだこになるかも知れない。ただ、木村はテレビ向けでは無い。視聴者が不快になる顔では駄目だ。 木村は落選っぽい雰囲気を感じ、フーッとため息を1つついた後、肩を落としながら会場を後にした。サングラスにマスクして出る訳にもいかないしなあ、と次のオーディションの作戦を考えながら駅に向かう。 その時「すみません」と後ろから声がした。木村が声のする方を振り向くと、中肉中背のスーツ姿で20代半ばに見える、知らない男性がいた。スーツが大きめでサイズが合っていないように見えるからなのか着せられている感が漂っている。自分の方を見ているので、自分に声を掛けたのだろうと思い「はい?」と返事をした。 「一緒にオーディションに参加していたものなんですけど、あなたのモノマネが凄く似ていたので……」 「あ、ありがとうございます」 「知り合いにラジオプロデューサーがいるんですけど紹介させてもらって良いですか?」 「あ、是非お願いします」 男はその場で電話をする。木村は、確かにラジオだったら、この顔でも特に問題無いなと感心した。完全に盲点になっていた様だ。 「……はい、では『ひまわり』で待ち合わせですね……はい……はい……失礼します」 男性は知り合いのプロデューサーとの電話を終えた様だ。 「近くの喫茶店で待ち合わせになりました」 「分かりました」 木村は男性についていく。5分程歩いたところ、左前方に喫茶店らしき雰囲気の建物が見える。想像していた喫茶店よりも大きく駐車場も広い。喫茶『ひまわり』の看板を見ながら、広い駐車場を横切って入ろうとしたが、看板が少しずれていたので木村は力任せに直した。男性は、その様子を不思議そうに眺める。そこに、ちょっとチャラそうな男が来た。身長は木村と同じくらいで170センチ強。茶髪のパーマで毛先を遊ばせ、黒のスーツを着ているがネクタイはせず、首元は第3ボタンまで開けている。胸元から見える大胸筋は細身の身体にしては筋肉質のようだ。 チャラ男は木村を見て、何か納得したように頷いた後、木村に名刺を渡してきた。 「ラジオプロデューサーの米山です。宜しくお願いします」 木村は名刺を両手で受け取りながら頭を下げる。 「木村一郎です。宜しくお願いします」 「立ち話も何なんで、珈琲でも飲みながら話しましょう」 米山は一緒に来た男を帰らし、店内に入っていった。木村も米山の後から店内に入る。
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