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四方朝火:4
私が現在執筆中のヒューマンドラマを書籍化する予定の版元には、サブカル系雑誌を発刊している編集部が存在する。個人的なつながりはないが、私についてくれている編集さんにお願いして直接会う機会を設けてもらった。検索の仕方に問題があるのかもしれないが、インターネットだけではこれ以上どう調べて良いのか分からなかったのだ。炎上しているコメント欄を見る限り、やはりオカルト系に強い人物の助けが必要だと感じたのもある。しかし担当編集者のM氏は私がサブカル系小説を書こうとしているのかと懸念し、
「せめて僕の原稿終わってからでお願いしますね」
としつこく釘を刺された。言い忘れたが、私は今年で三十歳になる。一応女性である。結婚もまだだし、恋人もいない。今からサブカル沼に嵌ろうものなら、おそらく一生ひとりで生きて行くという意志を固めてしまいかねない怖さがある。嫌いじゃないだけに、余計に怖い。
M氏がつないでくれたのは、サブカル系雑誌『ロットン』編集部の谷崎さん(仮称)だ。谷崎さんは五十代の髭面男性で、サブカルジャンルの中でも特にオカルトに特化した人物であるとして紹介された。M氏には事前に小説投稿サイトで炎上しているコメント欄の話はしてあったが、何故私がそれに興味を示しているかまでは伝えていなかった。正直、谷崎さんも私に呼び出された理由が今一つ分からないという怪訝な面持ちで、待ち合わせの喫茶店に現れた。
平成二十九年八月、都内某所の喫茶店にて ―――
「初めまして、四方朝火です」
名刺を差し出すと、谷崎さんは、
「そりゃあもう」
と言って、テーブルに額がついてしまう程頭を低く下げた。「Mからは何も聞いてないんですけど、私、何かやらかしました?」
「え? いえ」
具体的な理由を告げていなかったために色々と考えさせてしまったらしい。M氏と谷崎さんは所属している部署は違えど、私の小説を出版している版元としては同じ会社の人間である。作家(自分で言うのもおこがましいが)から理由も分からず直接呼び出されたとあっては、あまりいい気持ちにはならないのかもしれない。
「あの、変なことを聞くようですけど」
時間を取らせては悪いと思い、余計な前置きを省いて一番知りたいことだけを聞いた。「……引御前って、聞いたことありますか?」
谷崎さんは顔を前に突き出して私を見つめた後、「え」と言って一瞬窓の外を向いた。そして体を後ろへ引いて、もう一度「え」と言った。
「いきなりですみません。今私、ネットで見つけたその『引御前』について調べてるんです。ご存知だったりしませんか?」
私の問いに、谷崎さんは下唇をペロリと舐めた。自分が呼び出された理由が分かったのだろう。表情が明るく変化し、エンジンがかかったように見えた。
「いやー……人の口から久しぶりに聞きました。ええ、知ってますよ。もちろん」
もちろん、と来た。ここで出し惜しみする手もあるまい、そう思った私は小説投稿サイトのコメント欄を直接スマホの画面に表示して見せた。谷崎さんは自分もスマホを取り出して検索し、あっと言う間に同じページへと辿り着いた。そしてしばらくの間忙しくコメント欄に視線を走らせた後、
「へー、驚いた。こういうこともあるんですねえ」
と感心した様子で頷いた。「でも、一旦なんだって四方先生が今頃んなってこれに気付いたんです? この小説私も読んだことありますけど、もう四年以上前ですよねぇ」
「これ私が書いたんです」
打ち明けると、谷崎さんは弾かれたように顔を上げて私を見た。
「コメントをですか?」
「小説の方です」
「あ……四方先生が」
その目に若干の恐怖が浮かんでいる気がして、私は僅かに顎を引いた。
「すみません、最初に言うべきでしたね」
「え? いえいえ、そんなことは。……この話、Mは?」
「まだ言ってません。この小説を書いたのが私だっていうこと自体誰にも言ってないので」
「はあー……」
谷崎さんは放心したような顔でソファーに背中を預け、「なるほど」と大きく頷いた。「前もって聞いておきますが、先生はこの、コメントに書かれてる事件については、全くご存知なかった、ということでOKですか?」
「もちろんです」
私は自分で調べたネット記事、多黒山で複数の自殺体が発見されたというニュース記事と、謎のPDF資料をプリンアウトしたものをテーブルに出して並べた。「私が知っているのは、これで全部です」
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