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赤い天使:10
先を行く清ラ、仕方なくその背を追う広石、その後ろを俺と朝火先生が並んで歩いた。清ラは呪い塚へ向かうと言った。それはまさに今日の今日、藤堂光江の首吊り自殺体が発見されたばかりの事件現場、つまり例のトンネルに違いなかった。そしてそこは長年に渡って騒がれて来た、多くの自殺者を出した真の心霊スポットでもある。
「戻ってええっすよ」
朝火先生にそう声をかける。暗くて顔色までは見えないが、並んで歩く彼女の呼吸がかなり浅い。恐怖によるストレスでそうなっていると思われた。
「……なんだか、息苦しくて」
「せやし、下おりて姫倉の側についてた方が」
「でも知りたいんです」
「……」
「どうして私がここにいるのか」
「……」
「藤堂さんは何故私を選んだのか」
「いやそれは」
「ただの偶然なんだとしても……彼女がどんな思いであれだけのコメントを書いたのか。三百人の別人に成りすましてまで彼女は一体何をしたかったのか。もしもこの先に、彼女が亡くなった現場にその答えがあるのなら、私は」
「……ほな、もう何も言わん」
「でも、あの人」
「……」
「あの阿含清ラって人、どこまで信用できる人なんですか」
先生の声は震えていた。表面的には清ラを責めたてる口調ではあるものの、そこに怒りは感じなかった。怖いのだ。まだ目には見えない真実が、今見ている現実にぐいぐいと減り込んでくるその様がとてつもなく恐ろしい。……この俺がそうであるように。
現場は、俺が何度も登り下りした山道からかなり離れていた。
夜中ということもあって、懐中電灯やスマホの照明だけでは識別できない草むらを踏み越えて脇道に入った。義男くんや加子ちゃんが自らこの道を進んだなんて信じられない。この世のモノじゃない何かに導かれたなんて考えたくもないが、そうでなければ説明がつかない程だった。
しばらく雑草を踏みしめながら歩くと、やがて未舗装の砂利道に出た。歩き続けるに従ってだんだんと道らしく変化して行き、ついには経年劣化によってひび割れたアスファルトの感触が足裏から伝わって来るようになった。そのまま五分程歩いた。すると前方を照らすライトの輪の中に突然チラチラと黄色のロープ線が現れた。
「到着だ」
と清ラ。
現場に警察官の姿はなかった。
立入禁止の札がかかった黄色いロープこそ張られているが、警察は事件性なしという判断で現場検証を終えた筈である。今だ規制線が張られているのはこの場合、そこから先が事件現場だからではない。
これ以上入るな。
入ると死ぬぞ。
死んだら警察の仕事が増える、だから入るな。
俺にはその為のロープに見えた。
「ここが……例のトンネルですか」
見つめる朝火先生の声も上擦る。
俺たちの前方、約二十メートル先。目算で縦三メートル、横幅五メートル、車が二台すれ違うのも難しそうな小さなトンネルだ。緑さんの話では埋められたと聞いていたが、黒々とした半円が大口を開いて俺たちを待ち構えていた。多くの生者を呑み込み、死者に変えて吐き出し続けた魔のトンネル。俺たちが立っているのは入口か出口か、それはあの世へ続く異界への門にも見えた。藤堂光江の身体がぶら下っている光景が脳裏を掠め、思わず俺は目を伏せた。
「着きましたよ」
と続けて清ラが言う。それが俺たちに対する言葉じゃないことはすぐに分かった。砂利を踏む音が不自然な程反響したかと思うと、トンネル内部からふたつの人影が現れたのだ。清ラが容赦なく懐中電灯の光を浴びせ、動く人影を捉えた。
「あ」
と声が出た。「……清水、さん!?」
トンネル内部から現れたのは、多黒村の清水だった。まさかこんな場所で出くわすなど考えもしなかったが、余所者の動向に逐一目を光らせていたあの男の言動を思い出し、
「あんたこんな所まで追って来たんか!」
思わず俺はそう口走った。だが瞬間的に、そんなわけあるか、と思い直した。清ラは俺の言わんとすることが理解出来たのだろう、ハハと乾いた笑い声を上げて、
「ね、だから言ったでしょ」
と清水の身体をぐるぐると光の輪で撫で回した。その瞬間、清水のすぐ後ろに立って眩し気に手を翳している人間の姿が目に入った。女性だった。
「誰や!」
声を上げると、
「どうぞ、前の方へ」
と清ラが促した。
女性はおずおずと清水の隣に並び立ち、所在無さげに下を向いた。年齢は六十代くらいだろうか、身に着けているのは真白いブラウスと黒のロングスカートだ。その上に乗っかっている小さな顔は、俯いているせいで灰色に染まった頭髪に隠れて見えなかった。
「朝火先生」
と清ラが呼んだ。
「は! ……はあ」
「先生は例の黒い日誌をお持ちだったそうですね。つまり、つい先程までは」
「……はい」
「その日誌を書いた人物が誰なのか、分かってますか?」
「た、多黒山病院に勤務していた、看護師さんです」
「そうです」
そう言って、清ラは両手をトンネル開口部に立つ女性に向けた。「……こちらの方がそうです」
言われ、その女性はゆっくりと顔を上げた。
朝火先生がはっと息を呑んだ。
鹿島先生が持っていた、色褪せた写真に写った三人の女性の顔を思い出す。一番右側、看護服を着て微笑んでいたあの女性に違いない。痩せて皺が増えた以外、四十年前とほとんど変わっていなかった。……生きてたのか。
「吉備津さん?」
朝火先生が名を口にすると、何故か清水がずいと前に出た。
「緑さんから聞いたな? それか法子さんか。あれ程口止めしといたのに」
だから―――。
清水の言葉を遮って清ラは言う。
「意味ないって言ったでしょう。いくら村の人間の口を封じたって結局呪いは村の外に出るんですよ。俺の言った通りでしょう?」
「しかし……!」
つまり、清ラは清水とも知り合いだったのだ。しかも、例の業務日誌を書いたとされる吉備津という元看護士の存在をも知っていた。一体清ラはどこまでこの事件の全容を把握してると……
「何があったんですか!」
朝火先生が悲痛な叫び声を上げた。
考えてみれば、朝火先生も可哀想な人である。四年前に『卑忌』と名付けたホラー小説を書いた、ただそれだけなのに、訳も分からぬまま多くの死者を出した場所まで連れて来られたのだ。ひょっとしたら、真実を欲しているのは俺以上にこの四方朝火の方かもしれなかった。
「朝火先生」
清ラが応じる。「あなたにその覚悟があるなら、真実をお見せしてもいい、しかし」
「しかし?」
「真実を見たからといって幸せになるとは限りませんよ? ……なあ、藻波? 占い師のお前になら、この意味分かるよな?」
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