赤い天使:13

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赤い天使:13

   考えてもみろ、と清水は口の端から泡を飛ばして言う。 「もともと吉備っさんの家はこの近所や、思い出もたくさん残ってる。ましてや無くなるまでこの上の病院で看護婦として勤め上げた人やぞ。戻って来て何が悪い」 「誰も悪いなんて言ってないでしょうが」  清ラが返すも、清水の目は奴を見てもいない。全てのことから目を背けるように、何もない空中をじっと睨みつけている。 「村の人間に黙ってたんは、言う必要がないからや。吉備っさんはお母さんと一緒にこの村を出た身やさかい、わざわざ外から来て山の掃除をしてますと言うて回ることに抵抗があったんや。嫌味に捉える人間もおりゃあ、許可を得ないかん話でもないんやから」  もともと住んでいた家があり、もともと勤めていた病院の跡地がある。山へ入り、落ちているゴミを拾って清掃に励むことに何の問題もなければ、不思議さもない。だが、何故それが『供養』になるのか。 「よそから来やはった人に言うてええもんか分かりませんけんど」  と前置いて、吉備津さんは言いにくそうに切り出した。「……この山に入った人間は死んでしまうゆーて、昔からそういう噂がありますのや」  当然知っている。  俺たちの追いかける『引御前伝承』だ。 「実際、何人も人が亡くなったのを見ましたわ。そのたんびに通報したり、以前から私が山へ戻って来てることを知っていらした清水さんにお願いしたり。するとどういうわけか、その後決まって、まるでわざと置いてったんやないやろかと疑うてしまう程、亡くならはった人の持ち物が残されてるのを見つけてしまうんです」  俺と朝火先生はほぼ同時にトンネル内部の土壁を見た。そこに埋められた品々が全部、この山で死んだ人間の遺品だというのか。 「ただ、山で長靴を発見したから言うて、それが自殺した人の物やとは限りませんよって。多黒村の誰かがやって来て忘れて帰ったのかもしれないと思えばおいそれと通報も出来ず、かと言って持ち帰るわけにもいかにない。考えた末に、人々が忘れてしまったこの山のトンネルに埋めて、供養とすることにしたんです」  それは間違っている!  突如声が響いて、俺たちは一斉に元来た道を振り返った。そこに、鹿島先生と姫倉バーネットが立っていた。 「せんせ」 「姫倉さん!」  朝火先生が姫倉に駆け寄る。意識を取り戻した姫倉の目には得も言われぬ凄みが宿っていた。友人の死が単なる自殺ではないことの真相を突き止めるべく、彼女は恐怖に打ち勝ち山を登って来たのだ。 「またあんたか!」  と清水が顔をしかめて言う。「一体何なんや、何だってあんたはそないこの村に執着するんや……!」  鹿島先生は俺たちの側を通り過ぎ、やがてトンネル内部に存在する穴倉の前に立った。多黒山病院から脱走し、カンムリさんと呼ばれた女性患者が亡くなったとされる因縁の場所である。6号、と大きく書かれたシーツが風に揺れている。 「聞いてんのかあんた」  と清水。 「ここですか……ヒキ発祥の地は、ここでしたか」  感慨深げに言うと、鹿島先生は大きく溜息をついて、ゆっくりと振り返った。「供養というのは、あの世へ旅立った人間の幸せを願うことです。祈りを捧げたり、仏教で言えば仏様にお供え物も用意する。そして我が国では、古来より物にも魂が宿ると考えられていることも、ご存知ではないかと思います」 「だから何や」  とまた清水。 「供養とは、大切な人や大切な物とに、祈ることです」  鹿島先生はそう言うと、右手を挙げて土壁に埋められた死者たちの遺留品に俺たちの視線を誘った。 「死者たちの魂を一緒くたにして土壁に埋め込んだ、これが、供養と言えるでしょうか。これで本当に死者が成仏できるでしょうか。これでは云うなれば……そう、人工的な呪い塚ですよ」  ――― 呪い塚。  先生は清ラとまるで同じ事を言った。  考古学研究の専門家ながら、オカルト分野に興味の全てを振り切った全力趣味人である鹿島真珠郎が、霊媒師阿含清ラと同じ見解を示したのだ。俺はこの時初めて、荒唐無稽で意味不明なことしか言ってこなかった清ラの新しい一面を見た気がした。 「しかし、吉備っさんはあくまでも善意で……!」 「分かってる」  尚も食い下がる清水を押し留め、優しい口調で清ラはそう言った。「清水さんの個人的な気持ちは、少なくとも俺にはよく分かりますよ。吉備津さんの思いも大切にしたい、そして消え去ることのない悪しき噂、ヒキ伝説もなんとかしたい。だからあなたはわざと悪者を演じて、この村が排他的であるように見せかけていたんですよね」  清ラは言う。  病院が取り壊された昭和五十四年以降、この山を出所にして女幽霊の目撃情報が広まり出した。やがて噂には『引御前』という名前がついて山は心霊スポット化し、多黒山に入ると死ぬ、死者の霊が生者の魂を引っ張るといった尾ひれが付いて近隣地域にまで拡散し、自殺を望む人々の間ではいつしか名所として認識されるまでに至った。  実際、自殺者が多く出た。しかし鶏が先が卵が先か、この山の霊魂が人を殺すのか、人が多く死に過ぎるせいで新たな自殺者を引き寄せているのか、それは誰にも解明できなかった。  吉備津さんにとっては故郷の山である。長年暮らした家があり、いざ戻ってみれば庭のような山に自殺者の遺留品が打ち捨てられている。放ってはおけない、しかし持ち帰るには気色が悪い。ならば埋めてしまおう……そう考えてしまったのも無理からぬ話だった。  そこで清水は一計を案じ、余所者がこれ以上山へ入らぬようにと目を光らせた上、『引御前』に関する噂を外に漏らさぬよう村民に箝口令を敷いた。 「ただ、清水さんにとって厄介だったのが、このトンネルです」  と清ラは言う。「吉備津さんが山に入っていることを村民が知っていれば、もしかしたらこの呪い塚はここまで大きくならずに済んだ、とも言えます。まあ、村民はずっとようですから、無理だったんでしょうが」  あ、あの……。  姫倉の側に立って俺たちを遠巻きに見ていた朝火先生が、右手をおずおずと挙げて言う。 「さっきから仰ってるその、呪い塚、って何のことですか? あの、失礼じゃありませんか? 吉備津さんは良かれと思って山を綺麗にしていたんですよね。確かに山道にはゴミひとつ落ちてませんでした。この広い山をたったひとりで美化し続けた方に対して、呪いだ何だって、それじゃあ、あまりにも……」 「じゃあ聞くが」  と清ラが朝火先生を遮った。「亡くなった谷崎さんと藤堂光江さんの遺品を一緒くたに穴に放り込んで、あんたはその穴に向かって手を合わせることが可能なのか?」  朝火先生は目を見開いて口を噤み、その隣では姫倉が両目から涙を零してギュッと瞼を閉じた。 「清掃と言うなら清掃なんだろう。亡くなった人間の持ち物をゴミとしてトンネルに埋め、それを供養ではなく清掃と呼ぶなら好きにしたらいい。だけど朝火先生……いえ、吉備津さん、はっきり言おう。あなたは完全に間違っているんですよ」  清ラの容赦ない言葉と刺すような鋭い目に、黙って肩を震わせていた吉備津さんは、両手で顔を覆ってその場に崩れ落ちた。
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