赤い天使:14

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赤い天使:14

 厄介だなんて思ってなかった、と清水は言う。  普段から多黒の村民が山に入りたがっているだとか、気にかけていたという事実があるわけでもない。必死になって隠し通そうとせずとも、誰も吉備津さんの帰省に気が付く気配はなかったそうだ。トンネルの存在が誰かの話題に上るわけでもなし、そもそも村人はずっと山を恐れていた。それでも、普段は静かで平和な村なのだ。『引御前』の噂に踊らされた余所者が流れて来ず、そして自殺者さえ出なければ。  かく言う清水とて普段から山に出入りしていたわけではなく、吉備津さんとの再会にも偶然の導きがあったそうだ。 「あれは……もう十年近う前や」  多黒村から山をひとつふたつ挟んだ地域に父方の実家を持つという、ひとりの少女に出会った。名を、藤堂光江(とうどうみつえ)と言った。 「みっちゃんが!?」  姫倉が前に出る。 「あ、ああ……。あんた誰や」  訝る清水に対し、地べたに膝を着いた吉備津さんに手を貸してやりながら、鹿島先生が言う。 「言ったでしょ、次は弟子を連れてくるって」 「どうしてみっちゃんが十年も前にこの村に来たんですか!?」 「お……」  清水は言いかけ、一旦口を閉じた後、やがてこう答えた。  、と。  清水の話では、藤堂光江の祖父はかつて、この辺りでは知らぬものがいない程有名な任侠道の親分だったそうだ。光江は単に、その任侠団体と村の自治体が顔をつき合わせて行う、地域の発展を模索する会議の場に連れて来られていたに過ぎなかった、という。つまり本人の意志ではなかったのだ。多黒山の再利用計画が白紙になって以降、村の顔役とヤクザ者の会議は頻繁に行われていた。が、むろん子どもにとっては退屈極まりない。そこで光江は多黒村に来る度、山に登って時間をつぶすようになったのだという。 「そん時、初めてあの子を見た」  と清水は目を細める。「明るい子やった。自分で自分を、霊感があるねん言うてたわ。お化けが見える言うて、この山は凄いなあ言うて、無邪気に笑うとった」 「聞いたか夜稲妻」  冷徹とも言える清ラの鋭い声が飛ぶ。一団の輪に入らず、ずっと外側からカメラを回し続けるこの男はしかし、ひと言も発さず、ただ黙って俯いていた。 「七年前、この広石という男がヒキの噂を聞きつけて山へ入った。そこで俺も、自分のサイトで突撃予告を出してたこの男を追って、こっそりと山へ入ったんだ。その晩この山の上で、俺たちは別々にその少女を目撃したってわけさ」  清ラは言って、姫倉を見つめた。 「藤堂光江さんだ。清水さんの言った通り、その時も大人の事情ってやつで村に来ていたんだろう。だが夜更けに単独で山の頂上へ行き、森の中で何をしていたのかまでは俺にも分からない。声を掛けようとしたが、向こうから逃げていったんだ。顔も見たし声も聞いたが、当時の俺にはその女の子が誰なのかまでは分からかった」  夜稲妻こと広石が描いたという赤い目をした怪物の正体は、藤堂光江だった。化け物でも幽霊でもない、当時十一歳の生きた人間だったのだ。光江は当時から多黒山に入り、噂の『引御前』についても知っていた。最近になって姫倉が興味を示したことで、 「危険だからやめよう」  と忠告した理由はここにあったのだ。 「けど、その子のおかげなんや」  清水は言う。「夜中に山をうろついてる女の人がおるいうて、吉備っさんのこと教えてくれたんはその藤堂さんとこの子なんや。吉備っさんかて別に悪さを働いてたわけやなし、あんたが言う程何も、厄介やなんて思うてへん」  じゃあ、と朝火先生が俺を見た。 「藤堂さんが私の小説にコメントを連投していたのは、あえて炎上させることで人々に警告を発していた、ということなんでしょうか?」 「どうかな……」  もしそうなら酷く遠回りな話だ、と思った。だが、直接誰かに山の危険性を訴えたところで通用しないと考えた可能性はある。そこでオカルトテーマに焦点を当てた小説の中から『卑忌』を探し出し、 「この小説は多黒村のヒキをモチーフにして書いている」 「呪われても知らないぞ」 「あの山は危険なんだ」  とけしかける事で、興味のある人間の注目を引こうと考えたのかもしれない。藤堂光江の趣味嗜好を考慮すれば、もともと朝火先生の小説を知っていた可能性も高い。しかし、注目を引いてどうしたかったのか。あるいはそれが警告だったとしても、どういう意図があったのかはもはや知る手立てがない。今この場に朝火先生がいることだって大いなる偶然に過ぎないのだ。ひょっとしたら光江自身にも、初めから明確な目的などなかったのかもしれない。それこそ、いつか誰かが、多黒山には恐ろしいものがいることに気付いてくれたらいい、その程度だったのかもしれない。傍目には三七十件の書き込みでも、光江はたった一人だった。そして実際その自演に気づいたのは、朝火先生の友人である上羽景子だけだったのだから。 「……」  不意に、広石が動いた。清ラの側に寄って小声で何かを訴えている。奴の持っているカメラはこの時、「6号」のシーツが垂れ下がるトンネル内部の穴倉に向いていた。広石とともにカメラの記録映像を確認した清ラは、 「どういうことだ」  そう独り言ちたかと思うと、 「じゃあ、行きましょうか」  と気持ちを切り替えたように突然声を張った。ここにはあまり長居すべきじゃないでしょう、と。  清ラの提案に、朝火先生と姫倉、そして清水の三人は素直に従う動きを見せた。大人数とは言えずっといたいと思える場所ではないだけに、どこかで潮時を見る人間が必要だったのは確かだ。だが、俺はこの時直感した。  ――― まだ、終わってない。 「ゴホッ!」  ホースの蛇口から溜まった水が一気に飛び出るように、朝火先生の口から緑色の液体が吹き出した。姫倉が悲鳴を上げ、先生はガクリと膝から崩れ落ちた。  辺り一面に草の根を煎じたような苦く青い臭気が立ち込める。匂いは朝火先生の吐瀉物から来ていた。彼女が吐いたのは血でも晩飯の残りでもない。噛んで噛んでぐじゅぐじゅに柔らかくなった……雑草だった。 「まずい、彼女はかなり強い霊媒体質のようだ、早くここから立ち去らないと今度は俺でも追い出せないぞ!」  清ラが叫んで朝火先生に駆け寄る。「広石!逃さず全部撮れよ!すべてを記録に残すんだ!もう絶対に奴を逃がしてなるものか!」 「き、清ラ」  訳が分からない。  訳が分からないが、それ以上に自分に出来ることはないかと焦りだけが募った。朝火先生の側に膝をつき、肩を貸して立ち上がろうとする清ラに俺は言った。 「代わる!とりあえず小暮の家まで下りたらええか!」 「村を出ろ」 「む、え?」 「同じことを言わせるな。朝火先生を連れて、お前はとっとと村を出ろ。そこの若い女の子も連れて逃げろ」 「逃げろって、何からや」 「決まってんだろ」  清ラはそう言って朝火先生を俺に預けると、背を向けてトンネルに向かい歩き始めた。「今日ここでケリをつけてやるぜ」 「清ラ!」 「早く行け藻波。……とっとと行ってしまえ」
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