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赤い天使:16
生きていれば俺の両親はおそらく鹿島先生や谷崎とは同年代の筈だ。年齢的に吊り合わないことはない。
俺の父親はサラリーマンで、母親は保育士だったと記憶している。職種が趣味を制限することなどほとんどないように、うちの親が生前どんな仕事についていたかは関係ない。鹿島先生は大学教授だし、谷崎は出版社勤務だった。サラリーマンや保育士である両親が彼らと同じ趣味を持たないなんて道理は、どこにもない。だが、問題はそんなことじゃない。
「し、知り合いやったんすか……俺の親と」
「そうだ。ずっと隠し続けていたこと謝るよ、この通りだ、申し訳ない」
インターネット環境が未発達だった頃の話だ。携帯電話がここまで普及する前の時代、東京という一括りにするにはあまりにも大きな街で、俺の両親と鹿島先生は出会った。場所はやはりと言うべきか、曰く付きの心霊スポットだったそうだ。
動揺して思考の追い付かない俺を見つめて、鹿島先生は微笑んだ。
「君のご両親は筋金入りだったよ。どちらかと言えば学者肌に近かった。ただ現場でわーわーはしゃぐミーハーたちと違って、歴史を知ることに興味を持っていた。そこが、僕と気が合った点だ。しかしある時、君のご両親は……」
厄介なモノに触れた、と鹿島先生は言った。
俺の親は心霊スポットで遭遇したタチの悪いバケモノに憑りつかれ、這う這うの体で東京へ戻って来た。
「夜中に電話を貰ったんだ。しかし藻波くんのご両親は何があったのかを教えてくれなかった。きっと話せば僕にも悪い影響が出るだとか、僕がその現場の調査に乗り出すと思ったんだろう。最悪の場合、もう会えないかもしれないと追い詰められて別れの挨拶を寄越して来た君のご両親に、僕は当時自分が知り得る中で最も力のある霊媒師を紹介した」
「れい……ば、て、まさか」
「清ラくんの御父様だ」
「噓やろ」
「嘘じゃない」
先生は、泣いていた。
俺は走った。
廃トンネルの壁を崩して作られた小さな穴倉。木製の机に置かれた黒いノート、その上に乗せられたカンムリさんの頭蓋骨。6号と書かれた白いシーツ。土砂で塞がれたトンネルに埋まっている死者たちの遺品。呪い塚となってしまったその場所で清ラと別れてからどのくらいの時間が経過しただろう。俺は失われた時間を取り返したくて、ほとんど何も見えない夜の山を全力で走った。
――― しかし……。
鹿島先生は声を震わせて俺に言った。
――― 君のご両親は帰らぬ人となった。霊媒師だった清ラくんのお父様もだ。
そして、鹿島先生は調査を開始した。本業である大学講師という職務に従事しながら、空いた時間を全て、かつて俺の両親が追っていた怪異の実態調査につぎ込んだ。谷崎という信頼できる男とともに、東と西に別れて日本各地の心霊現象を虱潰しに調べ上げて行った。
俺の両親は何の資料も残していなかったそうだ。それが死にゆく者の礼儀だったのか、あるいはそれすら怪現象のひとつだったのかは分からない。だが調査はやはり難航した。鹿島先生たちが『引御前伝承』に何かしらの運命を感じて魅かれていったのは、その過程でのことだという。
月日は流れ、やがて俺が育った大阪の養護施設を出る時が来た。俺の側には同じく東京出身でありながら大阪の施設に入所してきた、阿含清ラの姿があった。
――― 阿含、という苗字を聞いてピンと来ました。
鹿島先生は清ラがあの時命を落とした霊媒師の子であることを知った。だが親子間でどのような経緯があったのかまでは分からなかった。清ラの母親は生きているはずだし、父親が亡くなったことが原因で離婚したとも聞いていない。しかし清ラが俺の側にいた事に何か複雑な事情があると感じた先生は、俺よりも先に、清ラへの接触を図っていた。
――― 長い間、多黒村の引御前と君のご両親の死を結びつけることが出来なかった。しかし清ラくんが多黒で夢を叶えると言い、日誌と箒次郎が山に現れた。そして谷崎くんの死を受けて激しく動揺した僕は、清ラくんに頼らざるを得ないと決心したんだ。彼自身それを望んでいた。だけど藻波くん僕は……僕のしたことはやっぱり間違っているのかもしれない!
「清ラァッ!」
廃トンネルに辿り着いた時、俺の目に飛び込んで来たのは想像だにしない光景だった。
一番初めに見たのは、仰向けに倒れている清水だった。その隣に、小学生くらいの子どもが立っている。子どもは両手に箒を握って、地面をサッササッサと掃いていた。箒の先が倒れている清水の脇腹をこすり、まるでその子どもが地面に落ちている大きなごみを片付けようとしているようにも見えた。
草むらに、姫倉バーネットが横向けに倒れていた。気絶しているのかピクリとも動かない。
ガ、と俺の右脛に何かが当たった。見ると、尻餅をつきながらじりじりと後退してきた朝火先生の肘が俺の足に引っ掛かっていた。
倒れている清水の向こう側に、トンネルを向いて立つ清ラらしき男の後ろ姿が見えている。らしきというのは、奴のすぐ後ろに人が立っているせいではっきりと見えなかったのだ。
吉備津さんだった。
吉備津さんが俺たちに背を向けたまま、清ラの右後ろにぴたりとくっついて立っている。
ザザ、ガリガリ、ガリガリ、ザザ。
音のする方に視線を向けると、呆然とした顔の広石が穴倉の入口付近で外を向いて座り込んでいた。そして放り出した両足の踵が痙攣するように不規則な動きで地面を引っ搔いている。広石の身に何が起きたのかまるで理解が出来ない。ただ俺の目には、彼の精神が壊れてしまったかのように映った。
「うはははー、ははー、うははははー」
調子の外れた、甲高い嗤い声を上げたかと思うと、広石はずっとその手に持っていたビデオカメラを足元に放り投げた。「こんなの撮れねーよぅ」小さな声で、広石は確かにそう呟いた。
「き、清ラ……」
やっとの思いで、俺は幼馴染の名前を呼んだ。しかし清ラは全くの無反応だった。その代わりに、吉備津さんが清ラの背後から離れた。
「え?」
彼女の手には刃渡り三十センチ程もある包丁が握られている。
清ラの右肩から出現した包丁の切っ先から半ばまでが、ドロリと赤黒く濡れて光っていた。
「き……きよ」
トン、と突かれたような動きで清ラが二、三歩前に出た。
「藻波ー……占ってくれー……」
トンネルの方を向いたまま、清ラはそう言った。「藻波占ってくれー」
……俺の明日が見えるかー?
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