終章:1

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終章:1

 東京に戻り、景子に今回の事件の顛末を離して聞かせると、じゃあ、と言ってしばらく考え込んだ後、 「引御前なんて最初から存在してなかったってことなのかな」  と彼女は呟くように言った。私は必死に言葉を探した。しかし固く結んだ唇を開くことは出来なかった。この事件に関わった人たちそれぞれ、立場や距離感によって受ける印象が違うのだと思う。その人なりの答えはあっても、それが全員に当てはまる確かな真実と言えるかどうかは分からない。私にとって、『引御前』は存在した。だが景子にとっては存在しない。それはどちらも正しくて、どちらも間違っているのではないだろうか。  後日談という程でもないが、私が知り得た関係者からの情報を少しだけ書き記しておきたい。それをする必要は特にないけれど、私が知り合い、そしてすぐに別れてしまった彼らの生きた証を忘れぬ為には、こうする以外に良い案が思い浮かばない。  長年、多黒村を中心に言い伝えられて来た『引御前伝承』に関する謎は、身の毛もよだつ連続殺人事件の存在が明るみに出たことによってそのほとんどが解明されたと言っていい。だがしかし、オカルト愛好家の鹿島真珠郎教授や雑誌編者であった谷崎氏の根底に流れていたフィールドワーカーとしての信念が、単なる知的好奇心から来るものではなかったと知れた時、そこにある種のロマンさえ感じていた我々の心はこれでもかと打ちのめされてしまった。  好奇心猫をも殺す、いうイギリス発祥の諺がある。  霊媒師・阿含清ラ氏、大阪の高校に通っていた藤堂光江さん、そして谷崎氏、彼らの死の向こう側にあるものが、9つの命を持つと言われた猫をも殺す危険な好奇心だったなら、ひょっとしたら私たちはこの悲しみを受け止めることが出来たのかもしれない。しかし彼らその死の向こう側にあったのは、ある種の呪いにも似た悲しみの連鎖だったのである。    鹿島先生は、木村藻波さんが施設を出た十九歳の頃から清ラさんと交流を持つようになった。そして彼から亡くなった父親の話を聞いた。かつて鹿島先生が木村さんの御両親に紹介した霊媒師であり、友人でもあった清ラさんのお父様がどうして命を落としたのか。どうして木村さんの御両親は真実を告げずにこの世を去ったのか、その原因を調べ続けているという事も先生は清ラさんに打ち明けていた。  所がここでひとつ、ボタンの掛け違いのような現象が起きた。  清ラさん自身は、自分の知り得る情報を鹿島先生に話して聞かせたにも関わらず、自分もまた先生と同じく父親の仇を追い続けている、という真実を伝えていなかったのである。その原因はおそらく、幼馴染である木村藻波さんにあると思われる。清ラさんは、自分のやろうとしていることを木村さんに知られたくなかったではないか、と鹿島先生は述懐する。 「清ラくんから聞いた話です。大阪の施設で初めて藻波くんと出会った時、彼は藻波くんの背後に箒次郎を見た。むろん当時はそれが何なのかは分からないし、次郎の噂さえ知らなかった。だけど清ラくんはその時、藻波くんの両親と自分の父親が死んだ原因がその時見た化け物だと直感したそうです」  両親の死後、木村さんは親の霊障を引き継ぐ形で『箒次郎』に憑りつかれていた。その原因として考えられるのは、木村さんが少ない所持品の中に黒いノート、つまり、という。驚くべきことに木村さんは幼い頃、すでに例の黒いノートに遭遇していたのである。  施設時代のことをほとんど覚えていないという木村さんだが、七歳当時も、その黒いノートのことは身に覚えがないと清ラさんに話しているそうだ。だが清ラさん曰く、『箒次郎』が日誌に憑りついていることは一目瞭然だった。  清ラさんは木村さんの身を案じ、簡単な除霊や盛塩、御守り、神社への参拝など色々なことを試したそうだ(これらの思い出が、混乱期にあった木村さんの記憶の中で「清ラは突拍子もない事ばかり言うおかしな奴」という印象に置き換わってしまったのだろう)。  そして清ラさんはある時、毎日のように施設を訪れていた郵便配達員の鞄にノートを忍び込ませた。これは『箒次郎』を施設から遠ざける為に行った一時凌ぎの筈だったが、拾得物として施設あるいは警察に届けられる筈のノートがこの日を境に消失してしまったという。清ラさんは焦ったが、自身もまだ小学生だったこともあり、目の前の脅威が去ったことでひとまず胸を撫で下ろした。だがこのことが、木村さんの両親と自分の父親を死に追いやった怪現象究明に大幅な遅れをとる原因となっただけに、清ラさんは幼少期の自分の行いをいつまでも悔いていたそうだ。 「清ラくんが霊媒師になると決めたのはむろん自分の父親の意志を継ぐためでもあるけれど、個人的な復讐や悔恨の念を払拭するためでもあったんじゃないかな。だけどそこに藻波くんを巻き込みたくはなかったんだ。だから、僕にも胸の内を明かさなかったんだろうね」  私にそう教えてくれた鹿島先生だが、先生は先生で、友人だった木村さんの御両親の死に纏わる怪異を追い求めて本格的な調査に身を投じて行ったわけだから、清ラさんの気持ちはさぞかし理解出来たことだろう。  もしも清ラさんが黒いノートを紛失してさえいなければ、という残酷なifが頭を掠めたりはしなかったのだろうか……そんな私の意地悪な問いに対し先生は、きっぱりと首を横に振った。  その後鹿島先生や清ラさんは調査の過程において、多黒村の引御前や箒次郎の噂、都市伝説などの知識を得ることは出来た。しかし、木村さんの御両親を死に追いやった怪異と謎の黒いノート、これらを多黒村と結び付けて考えることが出来ないまま、二十年近い月日が流れてしまったのだ。
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