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ロンドンの郊外。テムズ川を挟む広大な緑豊かな敷地に、ゴシック風の荘厳な礼拝堂をいただく、全寮制の学び舎がある。 六月六日。 朝露にきらめく新緑が、深い霧に物憂げに霞む、そんな日だった。 季節はずれの転入生は、歴代の多くの首相や各界の著名人を輩出した、この大英帝国きってのパブリックスクールの中でも、ひときわ優秀な生徒にしか身につけることを許されない漆黒のつややかなガウンを、端麗な長身に壮麗にまとって、ルームメイトの前に紹介された。 怜悧な大理石の頬に、自然と揺らめくプラチナの髪。 秀麗な額と、綺麗に高く通った鼻筋。 輪郭のはっきりとした柳眉は、気高いカーブを描き、形のいい薄朱色の唇は、理知的な微笑みを絶やさず…… 「初めまして。僕は、ルイス・サイファ……」 その声は、涼やかな泉の流れのように、清涼な響きを奏でて。 そして、その比類なき美貌に厳粛な感動を彩る、切れの長い美しい目…… 長くはえ揃ったまつ毛が、澄明なアメジストの輝きを放つ清廉な双眸に、なんとも静謐な愁いの陰をたたえて見せる。 引き締まった長身の毅然とした姿勢の良さからただようストイックな印象とあいまって、まるで、美しすぎる受難者が目の前に降臨したかのような錯覚に、心を打たれて…… 学生たち自身による自由な運営を任せてもらえる『自治学寮』の監督生を務めるエイブラハム・ジュニアは、しかし、その崇高なまでに完成された美しさに圧倒されて無条件に屈服しそうになる気持ちを叱咤するように、 「"ルイス・サイファ"? なんだか……禍々しい響きの名前だな」 端正な細面に冷ややかな表情を消そうともせずに、握手を求めて差し出された白い手を、無視した。 「そう感じるか? だとしたら、君は、とても無垢で聡明なのだな」 ルイス・サイファは、脈絡のないようなささやきを漏らしながら、貴族的な造形を描く美しい両手を、優雅なしぐさで広げてみせた。 浮き世離れした美貌の白皙に、洒脱な言動が、どこか意外で。 エイブラハム・ジュニアは、虚をつかれたように、暗灰色のシャープな三白眼を、かすかに見開いた。 ルイスは、見透かすような透明なまなざしを、真っ直ぐに返した。 「……君の名前は?」 「エリオット……エイブラハム・ジュニア・エリオット」 エイブラハムは、自分の思いのほか、素直に答えていた。 「いい名前だな、エイブラハム・ジュニア。」 複雑なアメジストの虹彩に、からかうような光が揺れる。 「では、神に生贄に捧げられようとした"アブラハムの息子"とは、君のことだな」 「冗談のつもりか? ……くだらない」 エイブラハム・ジュニアは、フン、とつまらなそうに鼻を鳴らして、部屋の両端の壁際にそれぞれ置かれたベッドの片方にストンと腰を下ろして、 「僕のベッドは、こっちだ。君は、そっちのを使いたまえ。……分からないことがあれば、なんでも聞いてくれ。いいな?」 この『優等生自治区』においては、年功序列が地位の優劣を決定付けるということをハッキリと知らしめるために、ことさら冷淡に言い捨てた。 「ああ。ありがとう、エイブラハム・ジュニア」 ルイスは、イヤミなほどに悠然とした微笑みを返した。 「やはり、個室を辞退して、監督生と同室にしてもらって正解だった。寮生活は初めてで、心細かったんだ。」 「心細い? そんな風には見えないけど」 「感情を表に出すのが苦手なんだ……教会で生まれ育ったから……」 思いがけない答えに、エイブラハム・ジュニアは、内心の動揺を押し殺して、 「どういう意味だ?」 我知らず、うなるような声で挑むのを隠せずに、尋ね返した。 ルイスは、流麗な長身に良く映えるガウンの袖をかすかにひらめかせて、小さく肩をすくめた。 「僕は、乳飲み子の時に、ローマの修道院の裏で拾われた孤児なんだ。それから、ずっと、慈悲深いマザーとシスターたちの庇護を受けて育てられて……」 そして、数ヶ月前に、たまたま修道院を訪れたウェールズの富裕な篤志家の目に留まり、養子にしたいと熱心に申し出られて断るはずもなく、養父の母校であるこの名門校に転入してきたということだった。 「君のお兄さんも、ロンドンで教区司祭をなさっておいでだそうだね?」 屈託なく問いかけられて、エイブラハム・ジュニアは、なめらかな額にじっとりと冷たい汗がにじむのを自覚したが、 「ああ。……寮長に、伺ったのか?」 あいまいにうなずきながら、さも登校の身支度に忙しいように、臙脂色のアスコットタイを、長い指でせわしなく弄んだ。 ルイスは、闊達な少年には似つかわしいが、しかし、気品のある美貌の持ち主にはふさわしくない程度の無頓着な饒舌ぶりで、 「なんでも、ずいぶんと年の離れた兄弟らしいね」 あけすけとも思える鷹揚さを披露して、言った。 エイブラハム・ジュニアは、反射的に立ち上がっていた。 「だったら、なんだって言うんだ!?」 「別に……」 ルイスは、ルームメイトの激しい口調に驚いたように、わずかに片方の柳眉を吊り上げて、 「礼拝の時間だろう? 案内してくれないか?」 なだめるように、穏やかにささやいた。 「……ああ」 優秀な『自治学寮』の監督生は、薄く整った唇をギュッと噛みしめて、シャープな白い頬に柔らかな赤褐色の髪をすべらせて……上気した顔を伏せながら……立ち上がった。 美しすぎる受難者のごとき姿を装った、この無邪気で明朗なルームメイトを、 ―――なんだか、苦手だ…… と、敬遠したがる気持ちを、早くも、もてあまさずにはいられなかった。
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