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蝉のなる季節
五月に入り、ゴールデンウィークも投げ続けた。
球速は入学から5キロも上がった。
勝ち星が積み上がるにつれてチーム、そして自分の状態が上がるのが分かった。
夏の大会が目前に迫った6月下旬、梅雨の中、監督から告げられた。
「お前がエースだ。頼んだぞ」
言われれば言われるほど、気合が入る性格だ。調子を保ったまま、夏の大会本番を迎えた。
一回戦、完封。
二回戦は一失点、完投。
三回戦はシード高との対戦だった。
相手エースとの投げ合いを演じ、延長十一回、二失点での完投勝利。
俺らの高校が最初にベスト8に名乗りを上げた。
新聞も大きく取り上げた。公立校の躍進は久々だったし、なによりも原動力がルーキーの一年生ということが話題になった。
しかし、俺はこの時期から少しずつ肩の重さを感じていた。
夜中に目が覚めるほどの痛みに襲われることもたびたびあった。
ただ、引くわけにはいかなかった。
エースだから、責任があると思っていた。
「おい、ほんとに、無理するなよ」
正一はことあるごとに言ってきた。
「俺は、お前と一緒に野球やりたいんだ。それを忘れんなよ」
何を大袈裟な。
そんな風に思っていた。
ただ、正一は見抜いていた。
俺の肩の負担と限界を。
俺は自分の体なのに分からなかった。
それどころではなかった。
責任と重圧。見えないものに追われていた。
準々決勝での相手は優勝候補の一角として数えられている高校だった。
この試合も先発した。
初回に二点を取られはしたものの、粘った。
いつも以上にきつかったが、この試合でもいつも通りに投げることができた。
むしろそれどころか、回を追うごとに良くなっていった。
しかし、こちらが点を取ることができずに、敗退した。
2対0。
俺の初回の二失点が無ければ勝てたかもしれない。
そう思うと死ぬほど悔しかった。
唇を噛み、泣くのは我慢した。
まだ終わったわけじゃない。
これからだ、俺たちはこれからなんだ。
そう自分に言い聞かせた。
夏の大会が終わり、二日間の休暇が与えられた。
負けたとは言え、ベスト8だ。
束の間の休息だった。
七月の終わり頃、正一に祭りに誘われた。
地元の祭りだった。
珍しかった。あいつはあんまり人混みとか好きではないのに。
19時の待ち合わせに行くと、正一はもう来ていた。
「わり。待たせたか?」
「いや」
歯切れの悪い返事の後、黙ったまま歩き出した。少し怒っているように見えた。
「なんだよ。何怒ってんだよ」
気になった。この夏は自分でも頑張ったと言えるくらい頑張ったから、余計気になっていた。
正一はボソボソと話し始めた。
「俺…言ったよな?無理すんなって…」
そこまでいうといきなりこちらを向いた。
驚いた。
正一は顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいた。なぜ怒っているのか分からない。
理解ができない。頭が追いつかない。
「お、おい。どうしたんだよ」
「俺は!お前の肩がずっと心配だった…!」
「分かってるよ。でも大丈夫だよ、ちょっと休んだら、新チームに向けて頑張るさ」
「違う。分かってない。コウ、お前はすげーよ。昔からお前はすごかった。だからこそ言わせてくれ。お前はチームのためとかじゃなく、自分のために投げて欲しい…!」
なにを言ってるのかが、全く分からなかった。チームのために投げるのがピッチャーだし、勝たせるのがエースだ。
「お前こそ何言ってんだ、チームを勝たせてこそピッチャーだろ?そこに価値があるんじゃねぇか」
「理屈はな」
「じゃあ、どういうことだよ」
無性にイラついた。
それではこの夏の俺の頑張りは無駄だった言いたいのか。
ならば、なぜ、俺はこんなにも投げたのか。
頭の中がこんがらがる。
冷静になろうと努めてみても、ダメだった。
「帰る」
「コウ!待てよ!まだ俺は…」
黙って、背中を向ける。
そのまま歩き出した。
祭り一帯を抜けて、国道を歩いてると町全体が煌めいて見えた。星が見えない、曇った空だった。
八月になり新チームが始動した。
俺はエースとして、正一は二番手投手として、勝利に貢献した。
練習試合をしていた、八月の中旬ごろだった。四回のイニング入ったところで、カウントツーツー。
勝負球のスライダーを投げた時に肘に衝撃が走った。
結果は三振だったが、それどころの痛みではなかった。
しゃがみ込み、右腕を抑えてた。
チームメイトが駆け寄ってくる。
周りに声をかけられている中、
ああ、もうダメなんだなと悟った。
同時になぜか、正一の怒った顔が頭に、浮かんだ。
病院に行き、告げられたのは全治六ヶ月。
肩を庇って投げ続けた結果、右肘に負担が来てしまっていた。
「肘もだけど、肩もだよ。君の場合」
ひどく鼻につくような薬の匂い。
真っ白な姿の医者にそう言われるとなぜだが、説得力があった。
「よくここまで、我慢してこれたね。普通の人間じゃ、とうにギブアップ状態だよ?六ヶ月間投げるの禁止。分かった?」
ふざけんなよと言いたかった。ただ、それをこの人に言うのは違う。
俺だ。
俺が間違ったんだ。
永遠に投げられると思っていた。
そして永遠に投げなければならないと思っていた。
たった、今、気がついた。
思い上がりだったんだ。
ただ、自分を特別にしたくて、自分を信じたくて投げてきたに過ぎなかった。
そこからどうやって家に帰ったのかも覚えてない。
気がついたら、ベッドの上に寝っ転がって、天井を見上げていた。
暑い…今日は何度だっけ…?
確か朝のニュースでは30度を超えるって言ってたな。
汗が滴り落ちる。
体の熱さより、肩と肘に灯った熱のほうが熱い。
眠たいのに、眠れない。
外からする蝉の声がやけに耳障りだった。
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