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放課後
怪我をした二日後に退部届けを出した。
周りは引き止めてくれたし、監督も説得してくれた。
ただ、聞かなかった。
もう分かっていた。
自分が投げられないこと、もし仮に投げられても、前と同じ球を投げられないこと。
終わったんだ。
小学生から続けてきた。
誰よりも真剣に打ち込んだし、誰よりも上手くなりたかった。
現に、途中まで上手くいっていた。
けど、もう投げることができない。
投手以外のポジションなんて考えられなかったし、ましてや他の誰かがマウンドに立ってる姿を見たくなかった。
ほとんどのチームメイトが引き止める中、正一だけが、俺のところに来なかった。
別に気にすることではない。
次のチームのエースはあいつだ。
あいつもあいつで必死なんだろう。
そんなことをぼやっと、考えていた。
暑さも少しずつ弱まり、風が冷たくなり始めた、十月中旬。
俺はやってなかった課題を提出するため教室に残っていた。
17時だけれど、日が沈み始めている。
目が痛いほどの夕焼けに当たりながら、課題をやっていた。
外からはいろんな声が飛び交う。
笑い声や、怒声。
どこかで音楽でもかけているのだろうか、聞いたこともない洋楽が流れている。
ふいに後ろの扉が開いた。
俺は驚いた。
そこにユニフォーム姿の正一が立っていたからだ。
動揺した。
急なことだったから気が動転している。
しかし正一は気にも留めることなく、こちらに近づいてくる。
なんでだ、なんで来る?
俺は関わりたくなかった。
正一に対する嫉妬心はもちろんあったが、なによりも、あの祭りの日、俺を説得しようとしてくれたのにも関わらず、俺は聞かずに、壊れた。
そのことに対して罪悪感があったのだ。
「よ、よぉ」
仕方なく俺から話しかけた。
気まずかった。
何を言わないで近づいてくる正一が怖かった。
「久々だな…ちょっと痩せたか?あ、そーだ、秋の大会すごかったな!ベスト8だもんな!俺がいなくても全然関係ないってことだもんな~。いやー参っちゃうね」
喋りすぎだと自分でも感じていた。
けど止まらなかった。
喋らなければ、自分を保っていられないような感じがした。
「いやー、エースだもんなー、来年が楽しみだよな、ほんと。嘘じゃねぇぞ?俺ってやっぱ…」
そこまでいって俺は言うのをやめた。
正一が口を開いた。
「なに勝手なこと言ってんだよ…自分はもう関係ありませんってか…ふざけんなよ。俺は…俺は…お前から自分の力でこの背番号を奪いたかったのに…!お前は勝手に壊れて、勝手に居なくなりやがって…!お前は弱虫で大バカやろだ…!」
そう言って涙をこぼした。
恥ずかしかった。
俺は自分で自分を隠すために、ごまかした。
「ごめん…」
これしか言う言葉がなかった。
ごめんな、正一。
俺は自分で思ってるよりも、弱かった。
マウンドから離れてみてはじめて知ったよ。
正一に言われて気がついた。
俺はマウンドでしか強くいられない弱い人間だった。
情けないけど、仕方なかった。
俺は、自分で思ってるよりも強くない。
「正一、俺はな…」
言葉が続かない。
なんて言えばいいのだろう。この胸の内にある言葉を言い表すことができない。
それでも、無理に絞り出す。
「正一…お前はまだマウンドに立ち続けてる。俺にはできなかった…。分かるか?それが全てなんだよ…。それだけでもう、俺のことなんか抜いてるよ」
そう言って踵を返す。
ここから離れたかった。
自分への羞恥心と正一への罪悪感で押し潰されそうだった。
そのまま教室を出ようとすると正一が叫んだ。
背中を向けたまま足を止める。
「待てよ!また逃げるのか!お前はいいのかよ、このままで!俺は逃げないぞ!」
俺は何も言わず、ドアを開け、教室から出た。
下駄箱で上履きを入れ、スニーカーに履き替えた時に外を見ると、もう辺りは暗くなり始めていた。
先程まで騒がしかった音はほとんどなく、静かな空間と化していた。
とても同じ場所だとは信じられなかった。
逃げんなよ!
そう言われた。
その言葉が頭から離れない。
違う。違うぞ、正一。
逃げる逃げないの問題じゃない。
そこに立っていられるか、いられないか、なんだ。
それに気付いてしまった。
だからこそ、この事実から逃げるわけには行かない。
俺はこれと向き合うことから始めてみる。
だから、俺なんか気にしないで、ただ、野球にのめり込め。
今のお前はそれができる。
頑張れよ。
野球を辞めてから初めて心からそう思えた。
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