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桜
大きな桜の木が生き物のように揺れる。
まるで自らが望んで揺れているようだ。
ただ見つめて立ち尽くしてる自分がなぜかおかしかった。
萩原コウは今年で高校に入学する。
県内の山側に位置する高校だった。
入学式だからだろうか。
周りはザワザワとしていて、なぜか落ち着かない。
ほぼ無意識に手首を触っていた。
軽く回して、手を開いたり、閉じたり。
昔からの癖だった。
こうしていつもボールが投げられるか確認していた。
幼い頃から才能があった。
誰よりも正確に、速くボールを投げることができた。
周りと違うと自覚したのは中学一年生の時。
入部したシニアで起用されるとすぐに結果を出した。
体が大きくなるにつれて、球が速くなっていった。
中学三年生になる頃には多くの高校からスカウトが来た。
けれど地元の公立高校に進んだのだ。
「おっはよーう!」
勢いよく背中を叩いたのは幼馴染の遠藤正一だ。
「いってぇーな。なにすんだよ」
こいつはいつもこうやって俺に絡んでくる。
ただ、心地良くもあった。
こいつには嘘がない。真っ直ぐなのだ。それがすごいと思うこともたびたびあった。
「相変わらずだねぇ。そんなんじゃ友達できないぞ?」
「友達を作りに来たわけじゃないからな」
そう。
ここには友達を作りに来たわけではない。
自分の力を試すために、そして、勝つためにここへ来たのだ。
正一はヘラヘラ笑ってそれからは何も言わなかった。
ただ、大きな桜の木を見つめて、目をキラキラさせていた。
その目がなぜか、印象的だった。
正一とは小、中と同じチームだった。
俺がエースで正一が二番手。
実力は俺にも劣らない、強くたくましい球を投げていた。
ただ、ボールとは対象に精神的に少し弱い部分があった。楽観的なのだ。それを何度か指摘したこともある。
「お前、もっと本気でやろうとか思わないの?」
「ん?いや俺本気だけど?」
こいつは嘘を言わない。そしてそのまま続けた。
「俺な、ボールを投げるのが好きなんだ。勝つとか負けるとかっていうよりボールを投げて、それがミットに収まる瞬間がたまらなく好きなんだよね」
そう言って照れたように笑った。
その時思った。
ああ、こいつは、なににも、縛られてないんだな。ただ、野球が好きで、ボールを投げるのが、好きなんだな。すげえな。
その日ほかになにを話したかは覚えていなかったけど、燃えるような夕焼けは今でも目に焼き付いている。
高校に入学してすぐに俺はAチームに合流した。
当然だったと思った。
今のチームは投手が不足していたし、チームも強いとはお世辞にも言えない。
合流後は獅子奮迅の活躍をした。
春の大会では投げることができなかったが、それ以降の練習試合では、ほぼ全ての試合で投げた。
自信が確信に変わっていく。
中学の時も、そうだった。こうやって俺は進化していくんだ。
自分が孵化して新しくなっていくこの感覚が好きだった。
だれにも分からないし、俺だけのものだと思っていた。
俺は周りが見えなくなるくらい必死で、夢中だった。
親友である正一の言葉でさえ、聞き流していた。
「おい、お前大丈夫か?無理しすぎるなよ」
ああ。
簡単に返事をして、もう別のことを考えていた。
耳に入っていなかった。
俺にしか分からないこの感覚をずっと続けたい。
その欲求しか頭になかったのだ。
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