夕立ちの蝉

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返事はない。ただ目を細めて笑っているだけ。ふらりふらりと回っている。 京子は我を忘れていた。奇妙な儀式めいた動きから目が離せないで。 あれほどの豪雨が、いともあっさり弱まって消えてゆく。おかしな夢でも見てるようだ。一滴の雫が落ち、水面が反作用で跳ね返る間際、乱反射する煌めきが眩しくて、顔を背けた。 虹と夏の匂いが立ち上ると、蝉が一斉に鳴く。 「See you!また会いましょう!サヨナラ!」 「あの……」 狐につままれた気分で、ほおけてしまった。人気のない駐車場に蒸気の幕が張る。目を逸らした隙に、彼の姿は消えていた。 臨界を超えた入道雲から降りしきる雨と雷光の一閃。光の乱反射、屈折、プリズム、虹。再び湿度がへばりついて、熱炎のはじまりを告げる、蝉。 自然界は精密機械のようだ。 暦を刻むシステムの、その歯車の一つ一つが絡み合い、夏という現象を演出している。 そんなロジックの外で自分だけ、余り物のように取り残されていた。 バシャン……と水をかき分ける音。通り過ぎてゆく車で我に返る。 いけない。バスの時間! 時刻を確かめ走り出だした。 いまはこの場から立ち去るのが先決だと本能が訴えている。水溜まりの隅を弾いて空が揺れる。蝉の声に急き立てられ、逃げるように、走る。脳裏にあのオレンジの視線がチラついた。まだ自分に注がれているような気がして、振り返っては行けないと、息を切らして、鳴り響く、 ──I'm a man who can't be 13── あのフレーズがリフレインする。
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