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 ベスビアナイト帝国の領土は、とても広い。大陸全土を覆うほどだ。生産力や軍事力は、他国よりぬきんでている。領土をねらって進軍してくる国も、しばしばあった。しかしだいたいが小競り合い程度で、すぐに決着がつく。むろん帝国側が勝つのだ。だからこそ国民は、より自国を誇りに思うのだった。  そんな政治や戦が別世界に思うほど、遠く離れた土地がある。オブシディアン領の中でも、さらに辺境の地。海の上にぽつんと浮かぶ島に、少ないながらも住人がいた。 「お母さん。恃まれていた薬草、摘んできたよ」  年は十五になる少女ミアは、扉を開けて「かしこい女が営む店」に入った。ミアはかしこい女の娘である。 「ありがとう。ハーブティでも入れるわ」  カウンターに座って、ミアはそわそわと躰をゆらしている。 「あらあら、どうしたの」 「お父さん、まだ戻ってこないかなと思って」  今日はとくべつだった。父の旅の話を聞いて育ったミアは、すっかり旅にあこがれた。自分も旅に出たいと幼少時よりせがんで、ようやく旅に出てもいいと許可が下りたのである。 「剣や弓の技倆(うで)も上がったものね」 「うん! 母さんからは薬草を学んだし」  ただ漫然と過ごしていたわけではない。武器の技倆(うで)あげて、薬草に関する知識を学び、「もう旅に出ても大丈夫だろう」となったら旅に出てもいいと昔から父に言われていたのだ。  軽快にドアベルがひびく。表情がとぼしい男が入ってきた。ミアの父である。 「ねえ、もう旅だってもいい?」 「待て待て、旅立つには準備が必要だからね」  父親は大きな鞄を、「どん」と机上に置いた。中からは小刀(ナイフ)洋灯(ランプ)引火奴箱(ほくちばこ)に財布。旅に最低限必要な道具がつめられていた。 「いいかい。今日、船に乗って行商人が来ている。彼らは信頼できるから、彼らとともに行くんだよ。一人旅なんて、させられないからね」  父親はさらに、矢筒と刃渡り一エレ(約五十センチ)ほどの剣を持たせる。首からは、文字の書かれた木の板を下げさせた。 「これは入城許可証だ。城を出るときに、陛下からくだすったものだよ」  父親の瞳がなつかしげに、細められた。 「あくまで帝都におもむいて、陛下にわたしの手紙をとどけてくるだけだよ。帝都に残る選択をしてもかまわないし、こっちに戻ってきてもいい。ただ旅の目的は、手紙をとどけるだけだ。いいね」  娘が心配でたまらない父親は、いくども言って聞かせた。 「わかっているよ、お父さん。それじゃあ、行ってきます」  ミアは港にいる行商人とともに、旅立った。  船に乗り込んでから、半日ほどで大陸につく。夜だからか。まだまだ田舎だからか。人はほとんど、いない。行商人の小父(おじ)さんにたずねると、舗装されている道を進んでいくという。父の通った獣道は、いかないらしい。少し残念に思いながら、ミアは宿の寝台にもぐりこんだ。  翌日。ふだん小父さんが使っているという幌馬車に乗り込んだ。中にはあらゆる商品が積まれていて、好奇心がそそられる。さわるわけにいかないので、見ているだけにとどめた。道は歪んでいるのか。ときどき上下に、躰がゆれる。馬車自体にも初めて乗ったものだから、少し体調を崩しながら、その日は過ぎていった。  次の日。荷台をねらって盗賊が、あらわれた。体調を崩しているいとまはない。彎刀(カトラス)をひきぬいて、おそいかかってきた。ミアと小父さんも剣を抜いて、応戦する。もと軍人だと聞いていたが、隙のない身のこなしで小父さんは盗賊を倒していく。彼の前に二合として立つ者はいなかった。五分もたたぬうちに、盗賊はぜんいん地面の上へ転がっている。 「さすがですね!」 「いやいや、ミアちゃんだって強いじゃないか」  ふたたび二人は幌馬車に乗って、帝都をめざしていく。  たまに盗賊があらわれるくらいで、味気ないひびが、数ヶ月、続いたころ。嵐に見舞われて、近くの街で宿をとった。少しでも帝都へ向けて進みたい気持ちもあるが、父も旅の途中で吹雪のために進めなかった話を思い出す。もしかすると、あのときと同じように出会いがあるやもしれない。  客人の共有する食事空間で、同じくらいの年ごろの女の子が座っていた。好奇心から、声をかける。 「あなたも旅をしているの?」 「ええ、そうよ。両親から旅の話を聞かされて、わたしもしたくなったの。そしてゆくゆくは、二人の旅を文字にして書き記そうと思っているのよ」  ゼノビアと名乗った女の子は、意気揚々と答える。書物にする発想はなかった。いいかもしれない。 「私も書物にしたためようかな」 「ぜひ、するべきだわ!」  頬を紅潮させて、ゼノビアが瞳の奥をかがやかせる。するとあきれたようすで、騎士らしき身なりをした男が近寄ってきた。ゼノビアと一緒に旅をしているらしい。 「ゼノビア()。押しつけはいけませんよ」 「押しつけていないわよ!」  男はオリヴァーと名乗った。彼が言うには、ゼノビアはうんと高貴なお方みたいだ。 「ミアは呼び捨てでかまわないのよ。身分を言っていては、友達になれないもの」  貴族なのだろうが、変わった方なのかもしれない。  嵐が去ったのは、二日後だった。ずいぶん足止めを食らったものである。ゼノビアたちとは、宿で分かれた。ふたたび出会えるのを、願いながら。  父の歩んだ道とくらべれば、平坦な場所を進んでいく。やがて荘厳と立つ、居城が見えてきた。帝都につくと小父さんはさっそく、商売をはじめる。いつもは手伝うのだが、今日は父の恃まれごとを果たさなくてはならない。城の門へ近づいた。父から陛下への手紙を託された旨を衛兵に言うが、「謁見許可は下りていないのだろう」の一点張りだ。どうしたものか、と、頭を悩ませる。 「いかがなされたのですか」  父と同年代くらいの男性が声をかけてきた。 「エーヴァルト卿。実はですね、こちらの()()()が、陛下と謁見したいと申しておりまして」  エーヴァルトと呼ばれた男の瞳が、こちらを向いた。どうして会いたいんだい、と、優しい声色で話しかけてくれる。 「父に手紙を託されたのです。陛下に渡してほしい、と」  手紙を取り出そうと、鞄をあさったとき。首から提げていた木の板が、(えり)から顔を出した。 「待ってくれ。それは……」  いちばんにこちらを、見せるべきだったのを思い出した。木の板を首から外して、男に見せた。至極色(しごくいろ)の瞳が、おどろきを示す。 「この子を通しても、大丈夫だよ」  しぶろうとする衛兵に、入城許可証を見せる。すると「ぴっ」と、姿勢をただした。さきほどまでの態度が嘘のように、「どうぞ」とすんなり通してくれる。父はもしかして、国のお偉いさんだったのかもしれない。男と一緒に廊下をすすんでいくと、かろやかに「ギル!」と呼ぶ女性の声がひびきわたってきた。近寄ってきた女性は国にとって重要な事項を話そうとしたが、男に止められる。 「陛下。かわいらしいお客人が、来ておりますよ」  入城許可証と手紙を受け取って、皇帝陛下マリアはあかるい表情をうかばせる。手紙の内容は気になるが、一度開けると跡がつくかもしれない。だからミアは内容を知らなかった。 「あなたはレジーの娘なのね」 「陛下は父を、ご存じなのですか」 「ええ。ともに旅した仲間だもの。いつでも城へ戻ってこれるようにと、入城許可証を渡していたけれども。こんなおどろきも、いいものね」  ころころと、陛下は笑う。 「今夜はここに泊まっていってね。わたしの知らないレジーの話を、たくさん聞かせてくれないかしら」 「はい!」  その夜。皇帝陛下と皇配殿下、そして親王殿下に父の話を語って聞かせた。 「ありがとう、ミア。娘もいたら、きっと前のめりになって聞いていたでしょうね。でもあいにくと、旅に出ていてね」  内親王殿下自身が旅に出るとは。なかなか行動力のあるお方のようだ。 「姉とは話が合うのではないでしょうか」  ずっと黙っていた親王殿下が、そういいながら苦笑する。名前を聞いてみると、「ゼノビア」というらしい。いつだったか、宿で一緒になったと話した。 「まあ、運命のいたずらかしらね」  日が開けると、ミアは居城をあとにする。小父さんは幌馬車に荷物を、積み込んでいた。 「てっきり帝都に残るかと思ったよ」  手紙には「娘が帝都に残る選択をする場合、おいてやってほしい」と書かれていたようだった。しかし、断って城を出た。 「父の元へ戻ります」  本業を行商人として、各地を回ろうと決めたのだ。見たい。聞きたい。知りたい。世界はまだまだ自分の知らないもので、あふれかえっている。父の通ってきた道を、逆の順序でいくだけの旅だった。だけど今度は自分自身で道を選び、進んでいく旅をしよう。父も体験したことのないような冒険譚を、文字に書き起こしていこう。考えるだけで、胸が高鳴った。 了
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