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13. 元カレ登場(前編)
「今日は俺のおごりなのに、樹生さん、全然食べてないじゃないすか」
丼ごと抱えて美味しそうにクッパをかっこむ翔琉を、樹生は恨めしげな目で見上げた。
「そりゃ焼肉は好きだけど。翔琉みたいなアスリートとは食べる量が違うからね? 君らは一日五千キロカロリーとか必要だろうけど、僕らは二千もあれば十分なんだから」
翔琉の試合出場にドクターストップを掛けたのは約一か月前だ。互いにトラウマや劣等感を打ち明け合って以来、二人は以前より親しくなった。トレーニング中、遊びでちょっとした賭けをする日もある。先日は、翔琉が指先で何秒ボールを回せるかを当てる勝負で、樹生が負けた。
「自分が勝ったら、苗字にさん付けではなく、名前で呼んで欲しい」
そんな罰ゲームで良いのかと思ったが、その日以来、クリニック外では名前を呼び捨てするようになった。
親しくなるにつれ、あんなに無表情だと思っていた翔琉が、実は感情豊かだと知った。仕事モードに入ると、目標達成を目指して無愛想で完璧主義者になるが、普段はおおらかで、抜けているところもある。
アスリートは、チームメイトとの物理的な距離が近い。互いに身体に触れ合うことで関係性を深めているのだろう。だから、翔琉が事あるごとに樹生にじゃれつき、ハグしたり腰に手を回したりしてくるのも同じだ。ただの親愛の表現で、深い意味はない。そう自分に言い聞かせている。
樹生は、過去の恋の苦い記憶をまだ引き摺っている上に、翔琉の家庭的な彼女の存在に、自然と自分の心にブレーキをかけていた。
今日は負けたほうが食事をおごることになっていた。一分間で翔琉が何回腕立て伏せできるか。回数当てで樹生が勝ち、焼肉をご馳走になっている。本人の努力に加え、樹生の献身的なサポートもあり、翔琉は順調に回復している。一か月ほど前、試合出場にはドクターストップが掛かったが、素直に受け入れ、ようやく今月少しずつ練習試合に出始めた。実戦の勘を取り戻しつつあり翔琉はすこぶる機嫌が良い。
「俺らが行く焼肉屋がコスパ良いんで、そこにしましょう」
翔琉が連れて来てくれた店は、確かに美味しい。社会人バスケ選手の御用達らしく、レジ周辺に写真と色紙が何枚も飾られている。
「翔琉を見てるだけでお腹一杯になりそうだ」
アスリートの旺盛な食欲に樹生が苦笑した時。奥の個室が開き、大柄な男たちが次々に出てきた。翔琉とは違うチームの社会人バスケの選手たちだ。その顔ぶれで、樹生には彼らの所属チームが分かった。何人かは樹生の顔を覚えているらしく、あれっという視線を送ってくる。耐えがたくなり顔を伏せた。
「……樹生? こんなとこで何してんの」
頭の上から聞き慣れた声がする。溜め息をつき、諦めて樹生は顔を上げた。
「今、岡田選手の担当PTしてるんだ。クリニック外でも、復帰に向けてトレーニングを手伝ってる」
目を合わせないまま、硬い声で答えた。
三芳 慎。樹生の元患者で元カレ、そして心に傷を与えた張本人だった。
「ふーん」
三芳は、無遠慮に樹生と翔琉を眺め回す。翔琉も、樹生と三芳を少し緊張した表情で無言のまま見比べている。
微妙な空気を破ったのは、勢い良く振動を始めた翔琉のスマホだ。液晶画面をチラリと見て舌打ちすると、翔琉は立ち上がった。
「すんません。急ぎの用っぽいんで、電話出ます。すぐ外にいますんで」
彼は店のショーウィンドウを指差し、大股で出て行った。言葉通り、窓のすぐ隣に張り付いて電話しながらも、三芳と樹生の様子から目を離さない。まるで不審者が飼い主に近付くのを警戒する忠実な番犬のようだ。
そんな翔琉の態度まで見届けたうえで、三芳は樹生を振り向いた。
「樹生、岡田と付き合ってんの?」
「岡田選手とは、ただの患者と担当PTだよ。それ以上でも以下でもない」
「そっか。良い雰囲気だったから、てっきり」
三芳は断りもせず、樹生の隣に腰かけた。
「相変わらず美人だね。……いや、前より綺麗だ」
顔を覗き込み、指を絡めながら手を重ねてくる。指で指を愛撫するような艶かしい仕草に、恋人同士の睦み合いを思い出す。樹生はきゅっと眉をひそめて手を引っ込め、彼の身体を軽く押して拒絶した。意外そうな表情を一瞬浮かべたが、三芳は目を細めて言葉を重ねる。
「ねえ、樹生。俺ともう一回やり直してくれない?」
樹生は首を左右に振った。
「浮気は許せない。でも、僕とだけ真剣に付き合うなんて、慎には無理でしょ?」
彼は拗ねた表情を浮かべたが、樹生の言葉を否定はしない。そのことに樹生は改めて深い溜め息をついた。
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