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「母親のいない皇子は宮中では生き延びられない。息子の世話を見られるほど皇帝は暇ではないし、後宮の中では何が起きていたとしても外部からは分からないからだ。事件の後も、何人もの弟妹たちが生まれては命を落としていった。そんな中で、浩徳様だけが元服の年まで生き延びることができた。楊太后もお世継ぎを産もうとなさっていたようだが、一度御子が流れてからはご懐妊の兆しもなく、結局は浩徳様を養子に貰うという形で正妻としての面子を保つしかなかった。だから、楊太后は陛下の養母とはいえその心中は穏やかではないはずだし、一度は殺そうとした相手でもあるわけだ」
珍しく訥々と語る芳玉に、白檀は知らず背筋が冷たくなった。
後宮。閉ざされた女の園。その華やかな顔の裏にどす黒いものが渦巻いているだろうことは理解していたが――
(これじゃあまるで、蟲毒のようなものじゃない)
器の中に閉ざされた蟲たちは最後の一匹になるまで殺し合い、互いを食い尽くす。その連鎖の中で、恨ばかりが膨れ上がっていく。そしてその頂点に君臨する毒蜘蛛の如き楊太后。
黙り込む白檀をよそに、馬車は既に皇城の大門へと続く石畳をゆっくりと歩んでいた。柱の並ぶ両脇の回廊には灯篭が吊るされ、その微かな灯の向こうに、聳え立つ後宮の殿舎が浮かぶ。
「項白檀、後宮を監視し制御しろ。陛下に仇なすものは全て私が見張っておきたいところだが、後宮だけはそうもいかない。私の代わりに、楊太后を中心に後宮で起こる全ての出来事に目を光らせ、不穏な動きがあれば私に報告しろ。それが君の仕事だ」
芳玉の薄い瞳が白檀をじっと見つめていた。笑みも皮肉も含まないその真剣な眼差しを、白檀は正面から受け返す。
「承知いたしました、芳玉様」
大門の赤扉が重苦しく開き、馬車はその中へと音もなく滑り込んで行く。腰に剣を、片手に紙燭を携えた武官たちが二人を迎えた。先に馬車から降りたのは芳玉の方だ。ふわりと官服の袖を翻して降り立った彼は既に優しい微笑みを浮かべている。自力で馬車から飛び降りた白檀の耳元に、芳玉が囁いた。
「それと、君の職務は沈香様の侍女でも楊太后の侍従でもないよ。先日後宮に新設した検非省。そこの長官を君にやってもらう」
「――は?」
素っ頓狂な声を上げる白檀を、芳玉はまるで面白いものでも見るかのような目で見る。
「それじゃあ、頑張って下さいね」
白檀にだけ見える角度でにやりと笑うと、芳玉は手をひらひらと振って宮中へと続く小門へと向かって行ってしまった。
(やっぱり性格わる!)
一人その場に取り残されてしまった白檀は、小さくなる後ろ姿にべえっと舌を突き出した。
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