3. 出仕

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 無言で歩みを進める銀英に連れて行かれたのは後宮の東側、各省の舎が立ち並ぶ区画だった。盆や箒を片手に忙しなく立ち回る宮女たちの間を真っ直ぐに通り抜け、銀英は渡り廊下の先にある一室の前で立ち止まる。 「どうぞ、こちらへ」  そう促されるまま、白檀は眼前の木製の引き戸を開けた。広々とした室内は竹を基調とした質素な作りとなっており、散らばった書類以外に物は少ないものの文机や硯、腰掛けや戸棚といった必需品は全て揃っている。あまり華美なものは得意ではない白檀にとっては、こちらの方がやりやすい。 「完成して間もないですから、まだ散らかっていますが」  銀英は白檀を文机の前に座らせ、ずいと茶器を差し出した。白檀もまた深紅の牡丹が描かれた白磁の椀を手に取り、蓋で茶葉を避けながら茶をすする。澄んだ明るい色の緑茶は渋みもなく、口に含むと香りがすっと鼻に抜けていく。 「検非省について、清香君から何か伺ってらっしゃいますか?」  唐突にそう尋ねられ、白檀は答えに窮する。 「いや、まだ何も……」  何とも情けない返事に銀英はやれやれという風に溜息を吐く。しかしすぐに気を取り直したようにぴんと背筋を伸ばし、流暢に説明を始めた。 「ご存知とは思いますが、後宮は内官・内侍省・宮官の三部から構成されています。内管は后妃の方々を指し、位は正一品から正五品。内侍省は宦官によって組織されますから我々とはあまり接点がないかもしれませんが、これもまた後宮内の勢力図に多大な影響を与える存在です。宮官は正六品以下の我々宮女を指し、六局とその下に位置する二十四司を組織系統として後宮内の職務に当たります」  どうやら基礎の基礎から説明してくれるようだが、流石にこの辺りは下っ端宮女であった白檀も知るところである。 「ですから通常であれば我々は六局の指揮下に入るはずなのですが、清香君の献策によって新設されたこの検非省は、六局はおろか三部のどれにも属さない皇帝陛下直属の独立機関になります」 「陛下直属⁉」  予想外の言葉に白檀は思わず茶を吹き零した。そんな大掛かりな話だなんて聞いていない。  (まあ確かに、どの妃にも組織にも属さない立場は宮中を監視するにはもってこいだけど、そのためにわざわざ省を一つ創っちゃうのが流石は皇帝陛下の最側近ってところか) 「検非省の職務はその名の通り『非を検める』こと。後宮内で報告されたあらゆる異常を調査し、その対応に当たります」  突然大雑把になった銀英の説明に白檀は不安の念を抱かずにはいられない。いくら新設だからって仕事内容があやふや過ぎる。これじゃあ体の良い何でも屋だ。 「えー、ちなみに検非省配属の人数って?」 「二人です。長官と私の」  その答えに、危うく白檀は抑え込んでいた芳玉への怒りを剥き出しにするところだった。 「たった二人で、この広い後宮全体の治安を維持せよと?」  関わる人数が少ない方が秘密裏に動きやすいということは分かっている。分かっているが、それにしても二人は少なすぎだろう。 「そういうことになりますね」  銀英はあくまでも素っ気なくそう答えた。取り尽く島もない様子の副官を前にして白檀の方も腹を括る。とにかく成果を上げないことには人員も増えない。何はともあれまずは動き出すしかないだろう。 「それで、何か依頼は来てるの?」  そう都合よく異常が報告されているはずもないと思いながら白檀は尋ねる。しかし予想に反し、銀英は懐から一枚の巻物を取り出した。 「はい、一件。沈香宮から届いております」
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