3. 出仕

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 とはいえ、詰問の嵐から逃れられたというわけでもなかったようだ。 「環芳玉」  部屋の中に入った途端、こちらを咎めるような鋭い声が響いた。襟に龍の刺繍が入った黄の上衣に赭色の裳をつけ、玉の垂れ下がった冕冠(べんかん)から覗く瞳を不満げに細めたその姿は一国の主に相応しい威容を誇っている。 「はい」  ひりつく空気に知らず背筋を伸ばしてそう答えると、 「何で昨日呼んでくれなかったんだ! 俺だって婚礼の儀に出たかった! ずるいぞ!」  浩徳の口をついて出たのは厳しい糾弾の声というよりはむしろ、駄々をこねるような幼稚な文句だった。主はわざと腹を立てている振りをして見せているだけだと察し、芳玉は微かに目尻を下げる。 「陛下がいらっしゃるとなると大事になってしまうでしょう」  呼びたいのはやまやまであったが、皇帝が参列するとなると他の公務との調整を行うために各省に事前に通達を出さなくてはならなくなる。そんなことをすれば式の日時も場所も全て明らかになってしまい、参列客が殺到するだろう。 「それはそうだが、それにしてもなあ……。親友の婚礼くらい参加したいだろう。晴れの舞台だぞ。相手の顔だって見てみたいしな。俺だけお前に女の好みを把握されてるの嫌なんだよ」 「私の場合ただの契約ですよ」  今回の婚姻の事情は浩徳にだけは事前に知らせてある。そうでもなければ今頃もっと大騒ぎしていただろう。しかしなお皇帝陛下は項白檀という女に興味津々のようで、 「お前が選んだ相手ということに違いはないだろう?」 「ええ、まあ……」 「それも検非省の長官に据えるくらいだ。相当信頼しているみたいじゃないか」 「信用はしていますが、まだ信頼はしていません。使えなければ、妻であろうとすぐに切り捨てるつもりです」  芳玉がにべもなくそう答えた時、 「陛下、お仕度を」  部屋の向こうから書記官の声がした。そろそろ朝儀が始まる時間だ。芳玉は椅子に掛けられていた黒い上着を手に取り、皇帝の背後から肩に掛ける。 「お前にはまた嘘を重ねさせることになるな」  芳玉に背を向けたまま、浩徳がぽつりと呟いた。「また」という言葉に込められた痛々しさに気が付かない振りをして、芳玉も小さく答える。 「それでもあなたにだけは嘘は吐きません、決して」
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