3. 出仕

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「ごめんなさいね、疑っているわけではないのだけれど……」 「いいえ、とんでもないことでございます」  白檀はにっこりと微笑んで応えた。彼女が今朝受け取った文には、沈香宮の侍女の一人から相談したいことがあると書いてあった。向こうで日時を指定しておいて肝心の侍女が出払っているわけがない。それに―― (沈香様は香の文学にも明るくていらっしゃるのか)  香国に伝わる名詩選「香代文集」の中に「唯だ二人眺むる崑崙の月」という詩句がある。沈香が先ほど「崑崙山の月餅」と言ったのは、白檀と二人きりになりたいということだ。彼女が一芝居打ってまで二人きりで話したい話題など、一つしかない。銀英が尚食局に行って帰って来るまで、まだ少し時間があるはずだ。 「この度はご懐妊おめでとうございます。遅ればせながら、お祝い申し上げます」  再び腕を挙げて礼をすると、相手がはっと息を呑む気配がした。見る見るうちに澄んだ瞳に薄い水膜が浮かび、色白の頬が赤く染まる。 「……そう言っていただけて……本当に、嬉しいわ……ありがとう」  くしゃりと顔を綻ばせてから、沈香は涙をこらえるように唇を引き結んだ。 「この件は私と陛下、清香君、ここにいる私の乳母、そして環夫人しか知りません。どうか、それ以外の方にはご内密に」 「承知いたしました」 「何か問題が起これば検非省の方を頼るようにと陛下から伺っています。どうか、よろしくお願いします」  沈香はそう言うと、花の顔を伏せて深く頭を下げた。その姿に、白檀も慌てて頭を垂れる。 「いえ、そんな、こちらこそ、微力ながらお力添えできれば」 「環夫人が付いてくださるなら、本当に頼もしいですわ」  外朝の皇帝陣営は肝心な時に動けず、後宮内はどこに敵がいるのか分からない。頼れる親族もこの国にはおらず、孤立無援の中さぞかし心細かったのだろう。後宮内に秘密を共有している人がいるというのは確かに心強いのかもしれないが、 「私のことを、何故そんなにも信用なされるのですか?」  彼女が思慮深く慎重な質だということはこれまでの言動からもよく分かる。ぽっと出の女官など中々信用しきれるものではないと思うのだが。 「それは、清香君の認めた方ですもの」  当たり前とでも言うような姿に、白檀はこう思わずにはいられなかった。 (いや、あの人も結構胡散臭いと思うけどな)  何か言いたげな白檀の様子に気が付いたのか、沈香はくすりと口元に手を当てて笑った。
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