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早朝の外朝。
宮殿のあちこちで下働きの役人が走り周り、掃除をしたり備品を運んだりと忙しなく朝議の支度を始めている。それでもまだ高官が集まって来るには早い時間帯のようで、白檀も誰に見咎められるわけでもなく、役所での手続きを終えて後宮へと戻ろうとしていた。昨夜は麝香との邂逅のせいでその後もろくに寝付けず、徹夜状態の頭に朝日の眩さが染みこむ。早く帰って銀英に朝食を用意してもらい、布団を広げようと考えながらふらふらと外廊を歩いていると、
「何をしている?」
非常に聞き覚えのある声が耳に響いた。聞こえない振りをしてそのまま歩き続けようかとも考えたが、周囲に人がいない状況ではそれも難しそうだと判断する。
「芳玉様」
しぶしぶ振り向き、そこで初めて白檀は今いる場所が以前文官に連れられて赴いた執務室の前だったことに気が付いた。未だ平服でいることを鑑みると、昨夜は家に帰らずそのまま執務室に泊まっていたのだろう。乱れた髪を掻き上げる姿が妙に艶めかしくて何だか腹が立ってくる。
「お忙しそうですね」
「例の鬼火の件はどうなっている?」
白檀の社交辞令を綺麗に無視して、一気に本題へと話を進めてくる。
「ええと……」
鬼火の正体は実は恋人と密会している妃で、今は彼女を後宮から逃がそうとしているのだとも言えず、白檀は口ごもる。皇帝陛下の忠実な臣下である芳玉に裏切り行為とも言えるこの計画を知られたら、大事になるのは目に見えている。
「未だ鬼火の正体は分かっていません。ただ、前回現れた時の条件を考えると、恐らく数日以内には姿を現すかと。北東の方角に月の軌道が重なりますから」
詳しくもない呪の知識を交えながら出鱈目を口にすると、芳玉は不審そうな目で白檀の方をじろりと見やる。
「それで、外朝で何をしていたんだ?」
「外出許可を取りに来ただけですよ。明日、市街の方に出掛けて来ようと思っているので」
他の女官たちは後宮に所属しており、その外に出ることは基本的に許されていない。しかし、白檀の属する検非省は皇帝直属の機関であり、外朝から後宮に派遣されているという体になっている。そのため、外朝に届け出を行えば、仕事を休んで出かけることも可能なのだ。
「何をしに?」
「実家に寄るだけですよ。まだ向こうに置いてきたものもありますから」
白檀の答えに芳玉は未だ疑わしげな表情をしていたものの、そこに思わぬ助っ人が入った。
「清香君、こちらの資料は――失礼いたしました!」
廊下の奥から黒服の文官が現れたのだ。芳玉の部下だろう。手にした木簡から顔を上げた瞬間、白檀の存在に気が付いたようだ。上司の妻を前にしてあたふたとする文官に、内心感謝の言葉を述べながらも白檀は鷹揚に微笑んで見せる。
「いえ、どうぞお続けになって。それでは私はこれで」
芳玉の方も人前では強く出られないのか、「報告は欠かさないでくださいね」と釘を刺しながらもそれ以上深く追求してくることはなかった。
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