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5. 燕安
故に、無事に乗り切れたと思ったのだが、
「何で芳玉様がいるんですか!」
翌朝、皇城へと続く大通りの中心で白檀は叫んでいた。
都の中でも最も活気溢れる東市は道を急ぐ平民や牛車で溢れ返っている。その喧噪の中、突如として横に一台の馬車が止まり、道行く美女を口説くかのような雅さで簾を掲げて芳玉が顔を出したのだ。
「なに、今日は私も手が空いていてな」
「御多忙な清香君にわざわざご足労いただくような用事でもありませんよ」
用心深い奴め、と白檀は臍を噛む。昨日の問答では満足せず、直に白檀の動向を探りに来たというところだろう。
「乗らぬのか?」
「そのような御車では細路地には入れませんから」
城壁に囲まれた都・燕安の中心には大通りが南北に走り、そこから商店や家々が碁盤の目状に広がる。皇城に近い北部には貴族の邸宅が居を構え、南部に下るにつれて平民の家が入り乱れる雑多な地区へと景観が変わる。白檀の実家は南部に三分の二ほど下った辺りで、芳玉が普段使っているような仰々しい馬車では通るのに難儀するであろう細路地の一画にある。
「では、私も徒歩で行こう」
大人しく引き下がってくれという白檀の思いを裏切るように、馬車の簾が大きく巻き上がった。引き留める間もなく、芳玉が衣の裾を翻して目の前に降り立った。人目を避けるためか地味な私服に身をやつしてはいるが、それでもそのご尊顔は明らかに周囲から浮きたっている。白檀が実家から持ってきていた適当な普段着を着ているせいで、二人並んだ姿は傍から見ればお忍びの貴人とお付きの侍女にすら見えるだろう。
芳玉が何事か御者に耳打ちすると、馬車は音もなく皇城の方角へと走りだして行ってしまった。
「分かりましたよ、一緒に参りましょう」
内心溜息を吐きながら、白檀は渋々答えた。こうなったら、とことん芳玉に奢ってもらおうと心に決める。辺りを見渡すと、折よく飴売りの翁が道端に座り込んで商品を地面に並べている。
「芳玉様、山査子の飴売ってますよ!」
ぐいと芳玉の衣の袖を掴み、指をさす。山査子はそのまま食べると酸味が強いが、飴にすることで程よい甘さが際立つ。市場で売られる山査子飴は手持ちの少ない白檀でも買うことができるお気に入りの甘味だったのだ。
翁から飴を二本受け取り、白檀は自身の懐を探る。芳玉に払ってもらいたいのはやまやまだが、よほどの大店でなければ貴族が普段持っているような高額貨幣は使えない。白檀が片手でもぞもぞと衣の中を探し回っていた時、
「ご老人、これで良いだろうか」
芳玉が懐にしまっていた財嚢から半両銭を取り出したのだ。白檀の横からぬっと姿を現した長身の男に翁は驚いたような表情を一瞬浮かべたが、すぐに礼を言って銭を受け取った。
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