#002 / 百腕-Never Land' II-

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 曇り空の住宅街は、焦げた土の匂いがした。 「……」  今日はヤケに暑い日だ。秋特有の枯れた空気はどこに行ったのか、うっすらと汗ばむくらいに不穏な空気だった。  視界の隅に朱が滲んでいる。  そう錯覚するくらいにどこでもない1点を睨みつけ、俺はただ静かに歩き続けた。  目的地はある神社。俺たち縁条市所属狩人の本拠とも呼べる場所だ。そこに、縁条市の夜を統括する人がいる。  ──早坂雪音。  かつて最前線の狩人として幾多の敵を葬ってきた、先生の元・相棒にして、縁条市狩人の総括だ。 「……はぁ」  顔を上げる。  煤けた塀の三叉路で、ミラーに映る俺は陰鬱な顔をしていた。  刺々しい双眸に左耳のチェーンのピアス。  狩人見習い、羽村リョウジ。  なんてことはない、どこにでもいる無芸の無能力者だった。  隠している能力なんてない。俺だけが使える裏技(チート)もない。正真正銘、本物の無能力だ。 「無能……ねぇ」  俺たち狩人は、有害認定を受けた異常現象を排除する者だ。  対象が無害か有害か。この一点が常に狩人の行動の判断基準となる。  今回の下手人は黒も黒、既に吉岡雛子という死亡者を出し、これ以上被害者を出さないという確証さえない。  完全な有害認定。  よって俺たちは速やかにこれを探し出し、排除しなくてはならない。  拳を握る。  夜。そう、夜が始まるのだ。俺たち狩人と、まだ見ぬバケモノ野郎との潰し合いが。 「……でも」  やるせなくなる。  例え犯人を屠ったからといって、雛子が帰ってくるわけではないのだ。  小さな両手に大きなバットを抱え、笑顔で俺たちの前から去っていった少女。  多くの人間に愛され、あんなにも気丈だった彼女は、死んだ。  閉ざされてしまった未来。  終わってしまった可能性。  それを考えると気が重くなる。 「酷いな……これじゃまったく」 「まったく、救われないね」  俺の内心を代弁するように、そいつは静かに言葉を紡いだ。  見返す。 「…………お前」 「不機嫌そうな顔だ。こんにちは、僕のこと覚えてるかい?」  彼岸花の傍らに立つ影のような高校生。やつは灰色の塀に凭れ、優雅な微笑で手を振ってきた。  俺は曖昧な記憶を辿り、拾えた情報をそのまま口にした。 「自称・予知能力者、名前は忘れた。好きじゃない部類に入ってることだけは覚えてるよ」 「ははっ、年上に向かって辛辣だな。僕の名前は相沢ユウヤだよ、羽村リョウジ君」 「よく覚えてないが、自己紹介がいらないなら気楽でいい。急ぎの用事があるんだ。またな相沢」  目も合わせずに通り過ぎようとしたが。 「吉岡雛子ちゃん」  ぴた、と足を止める。  背中越しにそいつは言ってきた。 「……ニュースで見たんだ。殺されたんだってね。まだ子供だっていうのに、あまりにも惨い話だ」 「…………」  黙って振り返る。胸の内がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、業火が燃えそうになったのを飲み下す。  なぜなら、相沢が心底落ち込んだような顔でアスファルトを見下ろしていたからだ。まるで死を待つ病人のような悲壮感。それを見ていると記憶の欠片が見えた。 「……ひとつだけ思い出した。お前、たしか子供好きだったよな」 「うん、そうだよ。だからあの手のニュースは見るだけで憎くなる」 「なら教えてくれないか」 「なんだい?」  向けられた微笑を見返しながら、俺はどんな顔をしていただろう。  胸の奥が赤く黒くざわついている。  焼け付くような苛立ちがあまりにも不快で片目を押さえる。一時の衝動のままに、俺は的外れな相手に愚かな質問をしていた。 「一体、子供を殺す理由は何なんだ? どうして雛子みたいな娘が死ななくちゃいけない。なんで、何のためにあいつは殺されたんだ」  縋るような詰問だったろう。  大して親しくもない高校生を相手に、俺は弱々しい声で聞いてしまっていた。 「…………そうだね、それを考えてみるのもいいかも知れない」  相沢ユウヤは空っぽの笑みで語った。 「子供は弱い。あらゆる意味で弱々しい。心も知恵も腕力も、何より社会的な観点が子供という生物は絶対的に弱いと告げる。そして、卑屈な大人は自分より弱い者を虐げる。世の常だね、そういう人間はどこにでもいる。自分より弱い者としか関係出来ない。自分より弱い者しか愛せず、また、自分より弱い者にしか報復できない。そんな下向き限定の関係性を求める者」  相沢の笑みが、溶け落ちるように消えていく。  見えてきたのは冷たい憎悪だった。  ヤツは我知らず普段の仮面を脱ぎ捨て、どこか自分に――あるいは身近な誰かに言い聞かせるように語り続けた。 「子供は宝だ、という言葉があるね。それは生物として当然の感情なんだ。人には生まれつき父性や母性があり、無意識のうちに子供を守ろうとする機能がついてる。だが稀に、一部の人間が、そういった感情と別の感情との区別を忘れ、歪曲し、いつからか別の意味で子供を愛し求めるようにる。ロリータコンプレックスという性癖があるね。あれには生まれつきの真性と、後天性の紛い物がいるのさ」  眉根に小さく皺を寄せ、相沢は不快そうに、自身の考えを語った。 「現代では、後天性は世に溢れている。何故か分かるかい? 彼らは心が弱く、精神年齢が低いんだ。よって彼らは年上や同世代に潜在的な恐怖を抱き、征服しやすい年下の相手に安堵と愉悦を見出しているのさ。  ――そう、弱い者は支配しやすい。どれだけ無力な大人でも勝てる。  この手の子供殺し報道のブームでも、出だしに現れた典型があったね。猫を殺し子供を壊し、征服の喜びをインターネットでばらまいた男。  これは僕の想像でしかないけど、彼の胸中はあまりに醜い。自分は強い。奪いたい。自分はこんなにも大事にされていた子供を壊し殺している。ああなんて気持ちがいいんだ。そんな自慰行為なんだよあれは。吐き気がするよね」  くつくつくつと相沢が喉を鳴らした。ひどく皮肉そうな、歪んだ笑みだった。 「奴らは死ぬべきだ。魂に染みついた歪んだ情念は死ぬまで止まらない。奴らを排除しない限り、あっけなく子供が殺されてしまう、こんないまの世の中が続くだろう。雛子ちゃん殺しの犯人といい、一般人でいられなかった異常者はやはり死ぬべきなんだよ。正しいカタチの秩序のために」  ガラス色の瞳がもたげられ、淋しそうに空を見上げた。  灰の曇天。太陽のない、光の差さない薄闇の縁条市。この街全体が、相沢の言葉と共に見えない箇所から腐り落ち、じわじわと輝きを失くしていくような錯覚に捕らわれた。 「……だが僕は思うんだ。きっと子供殺しだけじゃない。大半の人々が信じている常識の陰で、子供殺し以外にも子供が虐げられている場面が、きっと僕らの住むこの現実にもある。隣の家でも、自分の家でも起こり得る。  歪んだ大人が歪んだ子供を育て、その子供が大人になってまた歪みを感染させていく。そんな負の連鎖(・・・・)が本当に実在しているんじゃないだろうか──たまに、そんなことを考える」  広大な雲の海を彷徨っていた視線が下ろされ、立ち尽くしていた俺を見付ける。  途端に高校生は毒のない笑みを取り戻し、誤魔化すように言った。 「以上、僕の妄想劇場でした。気晴らしになったかい?」  聞き流しているうちに、いつの間にか冷静を取り戻していた自分に気付く。  俺はふんと鼻を鳴らし皮肉を返した。 「お返しに羽村リョウジの一行格言コーナーだ。『異常者を理解できるのは異常者だけ』」 「否定はしない。僕は異常なまでに純粋に、子供たちが大好きなのさ」  相沢は肩を竦め、なおも毒気のない笑みで言った。  俺は右手を上げて背中を向けた。 「予知能力者サマの言うことは理解できない。やっぱり、お前は変なヤツだよ」  だが、心の底から許せないほど大嫌い、というわけではないかも知れない。  そんなことを考えながら歩き始める。 「羽村君、話したいことがあるんだ。商店街の西通りで待ってる」  時間も告げない口約束。  独り言とも取れる呟きを背に、俺はその場を後にした。
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