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──縁条商店街、西通り。
打ち捨てられた薄闇。閑散とした空気。散漫に堆積するゴミの少なさを見るに、不法投棄場としての使用すら活発でない──そんな、沈殿空間。
照明も取り払われ、この時間帯でもなお暗い。通りの奧まで底無しの静寂に埋められている。
反響する俺一人分だけの足音。
後は侘びしい風鳴りしかなかった。
薄闇の戦場は得意のフィールドだ、相沢ごときに遅れを取る理由なんてない。
……人が来ないなら丁度いい。引きずり出して半殺しにするだけだ。醜く言い訳させる口だけは残しておく。その程度の理性が残っているのを確認してから、俺はどこへともなく声を投げ付けた。
「……逃げんなよ。追い詰められて自害するのもなしだ。いますぐ出てこい」
無音状態が六秒。
その後に、返答の声が響くのだった。
「やれやれ……」
柱の影から、高校生が気怠げに姿を現す。
十歩分の距離を挟んで対峙。相沢ユウヤ。改めてみても陰気な奴だ。お得意の薄笑みを浮かべ、渦の巻いたような黒い瞳で俺を見ている。
奴は揶揄するように言ってきた。
「逃げるな、死ぬな、顔を出せ……か。順番が逆だろうに。もしかして誘導尋問みたいなものなのかな。だとしたらお見事。不意打ちする気も失せたよ」
「…………」
俺は黙って短刀・落葉を引き抜く。
回して逆手。
即座にタイルの床を蹴り、相沢に向かって駆け出した。
「おっと、もう会話する余裕もなかったのか。残念」
まず狙うのはその右腕。
雛子にさんざん苦痛を与え、命を刈り取り永劫悲痛な死に顔を貼り付けさせたその手を、一瞬で千切り取る。
「お前だな――」
「なんだって?」
「お前が雛子を殺したんだなッ!」
視界が真っ赤に染まるような怒りだった。だが、
「遅いよ羽村君」
残り三メートル。その瞬間に、異変は現れた。
「なんだ……?」
靴底を滑らせ停止。立ち塞がるように現れたそれらを凝視する。
まるで水辺の葦だった。
色は白。病的な白の毒蛇。異様な光景だった。
──手が。
六本の腕が、相沢を守護するように地面から突き出し、ありもしない視線で俺を睨み据えている。
「…………」
右足に絡む感触。
気が付けば、地面から生えだした三本の腕に絡め取られていた。
弱々しい握力が逆に怖気を誘う。白昼夢と間違えそうな虚ろさだった。
「チ──!」
力ずくで振り払い、再度相沢に突進。
目に映る腕を寸断しようとした所で、俺は地面に叩きつけられた。
「がっ!?」
突然のことに、短刀を取り落としてしまった。どこかへ転がっていく虚しい金属音を聴
きながら、俺は拘束された。
二十以上。
無数の腕に、地面に押さえつけられている。体中を這う冷たい蛇の感触に総毛立つ。
視線を前に向けると、また無数。
三十近い白色の腕が地面から突き出し、相沢を囲んで不気味に揺れていた。
「何なんだ……これ……」
幻視するのは戦災の跡。
無数の瓦礫に埋もれて死んだ、人々の残骸。
そんな光景の中でも、相沢は友愛じみた笑みを浮かべている。俺ではなく、この腕たちに。
「亡霊さ。いろんな街で死んだ子供たちの亡霊」
「子供、たち……?」
俺を押さえる腕に続いて、地面から、何人かの子供が這い出してきた。
虚ろな白い表情の、少年と少女たち。
無表情で俺を押さえつけている。
まさか。
この視界を覆う腕すべてが、こいつらと同じ子供の亡霊なのか?
「そうか……子供の亡霊を連れ去ったのはお前だったな……」
雪音さんが言っていた。無害認定の亡霊たちが姿を消していると。
「彼らはね、一人一人ではひどく弱くていまにも消えてしまいそうな霊なんだ。でも人知れず消えていくなんて淋しいだろう? それが、群体としての形状を取ることで、かろうじて死後の寿命を永らえているらしい。どうにも、呪いが共鳴しあっているみたいだね」
「おまえがやったのか」
「馬鹿を言うなよ、そんなこと僕に出来るものか。僕と彼らはただの友人関係だよ。人数を増やすことには協力したけどね」
そう言って紳士的に子供の手を取る横顔は、本気であの亡霊たちを友人として見ているようだった。
「――傷付けないであげてくれるかい。この子たちに罪はないんだ。悪者は、僕一人さ」
哀れむように言った相沢の隣に、一人の少女が現れる。
透けた肉体、天女のようなショールを纏った儚い少女。さらりと長い髪を揺らし、彼女は不安そうに言った。
「ユウヤ君、あのひとは誰?」
「強い人さ。そして少し怖い人でもある。このままいくと将来、彼はきっともっと怖い人になるだろうね」
「……あの人、殺すの?」
「さあ、どうしようかな」
相沢はポケットからアイスピックを取り出し弄ぶ。その鋭い金属の輝きが禍々しい。
俺は動けない。
無様に敵の前で地面に押さえつけられて、ただ歯ぎしりするしか出来なかった。
──なんて、醜態。
「この子はね……とても可哀想な子なんだ」
相沢の手が、天女のような少女の肩に乗せられる。
「父親に殺されたらしい。こんな小さな子供に、酷いことをする男がいたもんだね。信じられないよ」
自嘲するような薄笑み。
それを睨み上げながら、俺は低く呻いた。
「……何が目的だ」
「お祭りさ。楽しい楽しい復讐の時だ」
「復讐……?」
相沢は無数の腕に囲まれながら、薄闇の中で静かに語り始めた。
「ネバーランドって知ってるよね。子供しかいないが故に平和で、幸福で、何の汚れもない孤島。僕は昔、あの設定に強く胸打たれてね。シナリオはつまらなかったけど、とても……そう、とても素敵な空想だと思う」
アイスピックの銀色の先端が、真っ直ぐ俺に向けられる。
「この世界に大人はいらない。この子たちを傷付け迫害し歪ませようとする大人なんて必要ないだろう? だからまとめて消し去るのさ。ネバーランドの真相通りに」
ネバーランドの真相は……“大人になる子供をピーターパンが間引く”だ。
不穏な相沢は渦巻いた瞳のままで、いっそう笑みを深め、宣言するように言ってきた。
「夢の島を作るんだよ。そして永遠の幸福を築き上げる。この縁条市で」
それが子供の亡霊を集めた理由?
意味が解らないし笑えない。
「寝言は寝て言え。第一、それは連続殺人の理由にはならない」
「はは、耳が痛いよ。でもこちらにも事情があってね――」
「事情……?」
気のせいか。相沢の背中に張り付いた、不吉な人影が見えたような気がした。俺の霊視ランクCの眼力では見通せない。
「……僕が、望んで子供を殺すとでも思うかい? いや、否定はできないんだけどね実際。はは、あはははははは――ッ!」
その全身から、どす黒い呪いが雲のように立ち上る。
「ああ、そうだよ! 僕は呪いに憑かれてる。いまだってとても危うい状態だ。分かるかなこの葛藤。本当、いますぐにだって自殺したいと思うよ。でもこんなんじゃ立ち行かないんだよ。このままで終わるわけにはいかないんだよ! せめて身勝手な欲望を撒き散らす、大人だけは道連れにしてやらないと何のために生まれてきたんだか分かりやしないッ!!」
天蓋に叩きつけるように、相沢は大仰に叫んだ。
西通りに木霊する絶叫。
その血走った目には本物の慟哭があった。こいつはいま、嘘偽りのない本心から喋っていた。
「……考えがイカれてんのは、生まれつきか?」
「人聞きの悪いことを。僕は後天性さ。僕もかつて、醜い大人たちに歪められてしまった子供の一人なんだ」
額に指をあて、悲劇的な口調で相沢ユウヤは語り続ける。
「酷いよねぇ。子供好きの僕が、歪まされ呪いにのまれ、正気に戻れば連続殺人鬼だ。勝手に理不尽な呪いを、罪を背負わされている。あまりにも惨い話だ。ひどい、ひどすぎるよ……」
相沢の顔が子供のような悲痛を浮かべ、天蓋を睨みつけた。
ここにはいない誰かを憎むように。
その純真すぎる絶望が目に焼き付いた。
「……ま、後ろ向きな考えはやめよう。やっぱり人は未来を見て生きていかないとね」
さっきまでの悲痛さが嘘みたいに消える。
見守っていた少女の頭を丁寧に撫でながら、相沢は優しく微笑んで見せた。
「子供は笑顔が一番だ。だから僕は守る。この子たちの王国を作り、いつまでもいつまでも守り続ける」
「意味が解らない。不可能だ」
「協力者がいる。味方の僕でさえ怖ろしくなるほど強い力を持った魔法使いが」
魔法なんてない、魔法使いなんていない。だが似たような異常現象を起こせる存在を、俺は知っている。
――呪いによる異常現象。
協力者というのが誰なのかは知らないが、ネバーランドも笑い話じゃ済まないのかも知れない。
「……君はどうする?」
睥睨してくるネバーランドの王。
ギリ、と奥歯を噛み締めて答える。
「お前は敵だ。それだけでいい」
迷いは微塵もなかった。
相変わらず押さえつけられたままだが構わない。
隙を見て、全力で引き剥がそう。そして跳ね起きて、差し違えてでも相沢ユウヤをここで潰す。
武器は落とした。だからアイスピック相手に無傷では済まない。いいさ、左手を差し出してやる。右腕一本あれば殺しきってみせる。
「そうかい……残念だよ羽村君。君ならいい守護者になってくれると思ってた。ネバーランドの素敵な騎士 。でも不満だって言うのならいいよ──」
そこで。
相沢ユウヤが、初めて俺に、憎悪を向けた。
「──死ねばいい」
瞳は0℃。
額目掛けて乱暴に振り下ろされるアイスピック。
その決戦の瞬間に、
「「!?」」
桁違いの爆音。
商店街の建物の壁の一部が崩落し、瓦礫と粉塵を撒き散らす。
「なんだ──!?」
地に墜ちる瓦礫が商店街を振動させる。
俺は腕を振り払うことも忘れて、粉塵に覆われた破壊現場を直視した。
見えたのは細い、華奢なシルエット。
両手に握る武装はツノのようだった。
「…………」
決然とした怒りを浮かべる赤髪の少女──高瀬アユミが、そこに立っていた。
「つ──止めるんだ! 邪魔者は押さえつけて!」
「!?」
相沢の叫びに、悪寒がした。
「やめろ相沢──子供を使うなッ!」
襲いかかる腕は幾十何本か。
けれど、それを意にも介さずアユミは俺と相沢に目をやった後で、右腕を高く振り上げた。
「……壊します。敵意のない人は下がってください」
冷淡な警告。
豪快に振り下ろされるのはナックルガード付きのナイフの拳。
少女の人間外の怪力が杵突きのように商店街を激震させ、地面を破壊。再度・ 爆音と粉塵を振りまいた。
「ぐ──ぁっ!?」
震度はいくらあったのだろう。
一瞬にして視界を奪われ、強風に煽られ、バランスを失って相沢がフラつく。その上空。
土煙を突き破り、服をはためかせ、天井付近にアユミが現れる。
「相沢ユウヤ……雛子ちゃんを殺した犯人……」
アユミの顔に、いつもの穏和さは欠片もなかった。
「…………許さない」
訓練の時と同じ冷静さに怒りを加算し、完全な狩人として、少女は落雷のような拳を撃ち落とす。
衝突するすべてを叩き壊す垂直一閃。
怪力に重力を上乗せした最大威力が、西通りを崩壊させるほどの衝撃を生みだした。
「うぐ──っ!」
地面を伝わって音速で駆け抜ける振動。
まるで小隕石。風は衝撃波。殴り付ける風圧に薙ぎ飛ばされそうになった。
粉塵に覆われ、破滅の爆心地がどうなっているのかは分からない。俺でさえ初めて見る、アユミの桁違いすぎる全力破壊だった。
この雨のような音は壊れた瓦礫が落ちる音か。
薄闇と粉塵の中、嵐のような風鳴りが聞こえ始めた。アユミと相沢が刃を交えているらしい。
びちゃりと鳴った液体の音。流血。
当然だ。アユミの二刀流の前にただの高校生が、アイスピック一本で太刀打ち出来るはずもない。
しかし風鳴りは続く。相沢が負傷しながらも食い下がっているのか。
────粉塵が晴れていく。
咲き乱れる斬撃の嵐の中に、俺は見た。
「…………な……!?」
アユミが。
あんなに圧倒的だったはずのアユミの肩から、ボタボタと血が流れ落ちていた。
対して相沢は無傷。薄笑みさえ浮かべながら、鬼のような斬撃の嵐をピエロのように躱し続けていた。
軽快なステップ。軽快な身のこなし。
あまりにも余裕のある“紙一重の連続”を見ながら、俺は理解してしまった。
「だめだアユミ! 全部読まれてる!」
「!?」
即座に積み上げた三重フェイントも躱される。まるで見透かされているかのように。
「……うそ、なんで……!?」
とうとう斬撃の嵐が停止する。
相沢は相変わらずの軽薄な笑みで、渦の巻いたドス黒い瞳で語る。
「“予知能力”って信じるかい? 別に信じなくてもいいけどね。拒絶してる間に死ぬだけさ」
──そう。
相沢には、その呪いがあったんだ。
粉塵に混じった黒い霧。
まだ俺の霊視では完全に捉えきれないが、西通り全域が、とっくに汚染されきっていた。
「……羽村くん」
迷う双眸が俺をみつめる。敵の言葉でなく、相方の言葉を信じると。
「事実だ。トリックはあるが、あいつの予知能力は妄言じゃない」
呪いによる全域知覚。
未来の超演算。
仕組みが分かった所で何ひとつ解決しない、どうしようもなく悪質な呪いだった。
「そう…………わかった」
アユミの瞳の迷いが晴れる。
部類は最悪、説得力すらない馬鹿げた敵を前に、しかしアユミは俺の言葉を飲み込んだ。
高瀬アユミは優秀だった。
自分の常識を秒速でかなぐり捨て、すぐさま予知能力者を想定した即興戦法に切り替える。
「はっ!」
「へえ……やるね。一気に回避ルートが狭まった」
威力を抑えた手数勝負。掠りはした。しかし、あと一歩届かない。
アユミの目には焦燥があった。
俺とアユミの戦績は全戦アユミの勝利に終わっている。つまり、俺が代わった所で一撃として当てられない。
「くそ──!」
土台、雪音さんが言っていたじゃないか。
真っ当な戦闘では倒せないと。
──対策を練る必要があったんだ。なのに俺が勝手に先行して、結果アユミを追い詰めている。
「そこ!」
近接戦に紛れたアユミの左投擲。
それを余裕の笑みでくぐり抜け、悪夢のように懐に相沢が滑り込む。歴戦の武闘家でしかあり得ない奇跡の呼吸を、予知能力は強制的に引き当てる。
「アユミ!」
あまりにも近い視線の交差。
「チェックだ」
「!」
後退しようとするアユミの左脚に、無惨にアイスピックが突き立てられた。
「う──ぁあ!」
派手に転倒。ナイフを地面に打ち付ける音が甲高く響いた。
立ち上がろうとするアユミの大腿から、赤い血液が流れ落ちていく。
「あぐっ!?」
その傷を踏みにじり、相沢がアユミを睥睨した。
「……いい線いってたと思うよ。うん、惜しかった。あと少しスピードがあれば僕の敗けだっただろうね。それだけに、ここで死なせるのは残念だ」
相沢が髪を掻き上げる。左頬に傷。汗ばんだ額を空気に晒し、激しい運動で乱れた息を整えながら相沢が持ちかけた。
「ネバーランドに興味はないかい? 守護者の席が空いてる。君のような強くて優しい女の子なら、子供たちみんな、きっと大歓迎してくれるよ」
アユミの表情は見えなかった。
ただ苦痛に息を切らしながら、静かに言った。
「…………夢には溺れない」
「そう。それじゃしょうがないね」
そして踵を返し、あまりにも自然に言った言葉に。
「雛子ちゃん、君はどうする? 僕と一緒に来るかい」
俺の思考は、完全に、これ以上ないくらいに漂白された。
「──────」
空っぽになった意識。
アユミは呆然と目を見開いて、俺の背後を真っ直ぐに見ている。
つられるように振り返る。
薄闇の商店街を背景に。
「…………知らない。
そんなのどうでもいいよ。それより優奈ちゃんを返して。この人殺し」
吉岡雛子が、立って、いた。
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