#002 / 百腕-Never Land' II-

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 少女は鳥居の下から、不安そうに雛子以外の俺たちを見回している。  宝生優奈。  遠目に見ても綺麗な少女だった。容姿端麗、というならそうだがそれだけじゃない気がする。 「……?」  何なのだろう、あの不思議な空気は。  怯えを宿した瞳が妙に目を引く。 「チャーム……」 「はい?」  俺の隣で、先生が耳慣れない単語を口にした。 「ほのかに魅了の呪いか、それに近いものを放ってるな。おそらく無意識だろう」 「魅了の──呪い?」  驚いて、優奈を観察する。  それはあれか。無意識で術者を愛させ、気が付けば心ごと操られるってやつか? かなりやばいのではなかろうか。 「ま、もともとの容姿が勝る程度の微弱さだ。別に実害があるわけじゃなし、気にするな」 「……そうですか」  そっと胸を撫で下ろす。ということは、あの少女の呪いは無害認定寄りなのだろうか。 「優奈ちゃん!」  雛子がぱたぱたと駆けていく。 「……雛子ちゃん」 「優奈ちゃん、帰ろう。あんなヤツに関わっちゃだめだよ」  雛子が優奈の手を取って引っ張ろうとする。だが優奈は応じなかった。 「雛子ちゃん、話があるの」 「話?」  俺たちが遠巻きに見守る中で、優奈は真っ直ぐに言った。 「雛子ちゃん……私ね。私が死んだ理由は……言ったよね」  雛子はしばし目を伏せ、こくりと頷いた。 「聞いたよ。悪いお父さん」  相沢が言っていた気がする。宝生優奈は、実の父に絞殺された子供なのだと。  ──あいつも子供殺しの被害者なのか。 「私はね、大人が嫌い。だからあの人と一緒にネバーランドを作るの」  少女は祈るように囁いた。 「ネバーランドはね、子供だけの国なの。私たちを傷付けるひどい大人なんていなくなる。もう誰も、誰も不幸になんてならなくて済むんだよ」  儚い横顔が夢物語を語った。  優しい世界。  箱庭の王国。 「……一緒に行こう、雛子ちゃん」  優奈は静かに右手を差し出した。  雛子に、ネバーランドの手伝いをしろと。相沢の共犯者になれと。 「待て──」 「羽村くん」  駆け寄ろうとした俺は、アユミに肩を押さえられて制止された。  見返すと、アユミは静かな微笑を浮かべていた。 「大丈夫。雛子ちゃんは、強い子だから」 「…………」  黙って見守ることにする。  雛子は、決然と顔を上げていた。 「優奈ちゃん。それ、本気で言ってるの?」  相沢ユウヤは吉岡雛子を殺した張本人だ。尋ねるまでもなく、共犯者になどなれっこない。  優奈は淋しそうに言葉を重ねる。 「……あの人を許せとは言わないよ。許さなくていい。本人もそう言ってる」  優奈は静かに、雛子の手を取った。 「ただ私が、雛子ちゃんに、一緒に来て欲しいだけなの。子供だけのネバーランドに。ユウヤ君が作る、子供の楽園に」 「…………」  雛子の双眸が俺を振り返る。 「ねぇ、子供のいない国ってさ……大人はどうなるんだと思う?」  ピーターパンの真実。  俺より先に、先生が皮肉をこめて口にしていた。 「簡単だ、殺すか排除するかしかないだろう。大人全員を殺して子供だけの国を作る。邪魔するやつは力ずくで消し去る。そういう人物なんじゃないのか? ……ネバーランドの邪魔をするやつは、ピーターパンが影で殺すわけだな」  優奈の瞳が翳り、不安の色が滲む。  やはり彼女も、相沢の言うネバーランドの実体には不安を感じているようだ。 「……やっぱりね」  雛子は優奈を真っ直ぐ見つめた。 「だめ。そんなの絶対にさせないから」  手を強く握り返す。 「ね、優奈ちゃん。一緒に帰ろう? きっと違うんだよ。やり方を間違ってるんだよ」  大人のいない孤島。  それは確かに子供だけの楽園。ましてや彼女たちは亡霊だ、生きている人間よりはよほど簡単に永遠を手にすることができる。  未来永劫不幸の生まれない場所。  ネバーランドを築くことによって負の連鎖は完全に潰える。  優しい幸福が、いつしか子供たちの傷跡も拭い去ってくれるのだろう。  ……だが何か、不吉なものを感じる。  ネバーランドは本当に幸せな国なのだろうか。  子供たちは、本当にそんなことで幸せになれるのだろうか。  相沢は一体、どうやってネバーランドを実現しようとしているのだろうか。 「迷っちゃだめよ、羽村君」  ぽん、と俺の肩に雪音さんの手が触れる。彼女は諭すように語った。 「夢に逃げてはいけない。危うい夢を力ずくで現実にするのはテロリストのやり方。私たち秩序の守り手からすれば、それは真逆の在り方なの」  そうだった。  俺は狩人なんだ。 「……子供を救いたいという目的は正しい。でも雛子ちゃんの言う通り、あなたたちは決定的にやり方を間違えている。留まりなさい、宝生優奈」  雪音さんは哀れむように言った。 「迷い子が悪魔の手を取ってはいけない。踏み外した子供の結末なんて、昔から決まっているでしょう?」  見返した優奈の目には空虚があった。悲しみがあった。 「そうですね……許されないこと、ですよね……でも無理ですよ、私たちは」  目を閉じて、少女は呟いた。 「眠る度に夢を見ます。血走った両眼。生きてるのにゾンビみたい」  開けられた双眸は恐怖一色。まっくろに染まっていた。 「お父さんが(・・・・・)私を絞め殺した時の記憶(・・・・・・・・・・・)」  彼女は追い詰められていたのだ。ずっと前に。心が瓦解してしまう寸前まで。  その全身から呪いが滲み出し、大気を汚染する。  負の感情の具現である呪いは、術者の心に呼応する。 「私はとっくに踏み外しています。平穏に生きている人たちの世界から」  亡霊少女の言葉に、雛子の表情が曇った。  もう二度と、生きている者達の世界に戻れない、哀れな野良猫たち。雛子だって強がっているだけなんだ。あいつだって死者だから。揺れないはずがなかった。  そんな雛子の傍らに立って、天女の少女は突き付けるように言ってきた。  こちら側に立つ、俺たち狩人全員に向かって。 「踏み外すのか、と聞くのなら教えて下さい。どうすれば私たちは踏み外さずにいられたんですか? どうすれば私たちは、死者にならずに済んだんですか?」 「…………」  虚しい沈黙が神社に落ちる。  答えられる者はいなかった。  いなかったのだ。 「……答えられないでしょう? でも、あの人は答えてくれました。過去は変えられない。だから未来を塗り替えよう、君の悪夢を……これからの未来を、素敵な夢で塗り潰そう、って……」  儚げに笑む少女。  その表情には、確かに、誰にも与えられなかった幸福の光があった。  相沢ユウヤが与えたんだ。  あのネバーランドの王が。 「……香澄ちゃんは?」  雛子がぽつりと呟いた。 「……?」  少女たちが、揃って疑問符を浮かべる。 「香澄は……雛子ちゃんと一緒じゃないの?」 「あたしは、優奈ちゃんと一緒にいると思ってた」  雛子の瞳が雪音さんと先生を振り返る。しかし何も知らない。誰も、香澄という少女の行方は分からないようだった。 「……まぁ……香澄なら、たぶん一人でも大丈夫だよ」 「確かに。香澄ちゃんは、一人でも大丈夫だね」  えらく信用されているらしい。  どんな奴なんだ? その香澄ってのは。 「……今夜、青柳高校に」  繋いでいた手が解ける。 「そこでネバーランドを実現させるって言ってたから。気が変わったら、来て欲しい」  どこまでも儚い微笑に、雛子は挑戦的に笑い返した。 「わかった。連れ戻しに行くから。絶対に」 「…………」  ──決別の最後に。  優奈の繊細な唇が、くすりと嬉しそうに笑った。 「ありがとう雛子ちゃん。次会う時は、喧嘩かな?」 「たぶんね。でもあたし、ぜったいに敗けないよ」 「私だって。がんばっちゃうんだから」  そう言って、優奈は作れもしない力こぶを作って見せた。  微笑ましい少女たちの友情。  それを引き裂くのはどこの馬鹿だ。 「…………」  鳥居が両断する秋の空を睨みつける。  彼女たちを引き裂いたのは相沢か?  確かにそうだ。でも、奴だけじゃない。  きっともっと抽象的で大きなもの──そう、相沢の語った負の連鎖、際限なく感染していく大人と子供の歪みも関係しているのだろう。 「それじゃ、またね」 「うん」  名残惜しそうに見つめ合ったあと。  どちらからともなく背を向け合って、少女たちは袂を分かつ。 「ぺんぎんの恩返しだ。はじめてみた」 「はい、たしかにぺんぎんの恩返しなのです。すっげーのです」 「……何?」  いつの間に来ていたのか、藍と碧が感心するように言っていた。俺が聞き返した途端に不機嫌になって、二人同時に蹴ってきた。 「ぐはっ!?」 「ふん、はなしかけんなあほっ」 「あほに言ったんじゃねーのです。おとといきやがれなのですっ」  ぷんぷんと去っていく。 「痛ぇ……ったく、何なんだよ。ペンギンの恩返しって」  そんな童話あったろうか。  ない。  あるはずがない。つくづく意味わからん双子だ。 「なるほどねぇ……確かにあれは、ペンギンの恩返しだわ」 「雪音さんまで。何なんです一体?」 「さーねぇ」  ひらひらと手を振って、雪音さんも神社の中に帰っていく。 「でも一体どういう理屈なのかしらねぇ……ちょっと想像がつかないけど……」 「おい、どこへ行くクソ巫女」 「私の仕事はもう終わった。あとよろしくね、クソ魔女」  ぱんと手を叩いて、巫女さんが宣言した。 「縁条市狩人総括、早坂雪音の権限で言い渡します。相沢ユウヤを有害認定と認めこれを速やかに無力化すること。しかしそれ以外の殺生は一切認めません。優奈ちゃんも雛子ちゃんも現状は保留、二人に対する手出しは厳禁よ。後日改めて調査結果を共有します。以上」 「…………」  不機嫌そうな魔女一名。当然である。 「……もっとも。今日中にぜんぶ分かっちゃうだろうけどね、あたしが言うまでもなく」 「ふん、なんだそれは。未来予知か?」 「あんたあたしの視力知ってる?」  巫女さんの白い指が、自分の目を指した。先生が皮肉る。 「さてな、老眼のくそド近眼だったか?」 「両眼2.0に加えてA(マイナス)級霊視。あたしはね、がんばれば何だって視ることができるの。視野狭の未来予知さんなんかよりよっぽど優秀なつもりよ」  それっきり、今度こそ雪音さんは去っていった。 「……ただいま」 「お帰り、雛子ちゃん」  あちらではアユミが雛子に褒めるように笑いかけている。それを見送って、優奈も去っていこうとするが。 「待て」  ぴた、と優奈の足が止まる。殺気を発しながら、先生が日本刀に手を掛けていた。神社に緊張が広まっていく。 「このまま逃がすと思うか?」 「…………」  優奈が敵意も露わに振り返る。いや、どっちかってーと怯えてるなあれは。よし、とりあえずフォローだ。 「あの、先生? さっき雪音さんが手出しはするなと」 「そうか、なら刀を出そう。なんなら足蹴でも頭突きでも取引材料でもいい」  先生の流し目が俺を睨み上げてくる。 「クソ巫女の戯れ言に付き合うほどの余裕はない。お前も知ってるだろう、相沢ユウヤの全域知覚。多少の駆け引きは必要だ」 「あー……さいですか」  しずしずと引き下がる。あんなコワイ目をした先生に関わるのは得策じゃない。 「うわたっ!? は、羽村くん何するの!?」 「おおおお兄さん! まずいってそれ!」 「は?」  唐突に、すぐ背後でアユミと雛子が叫んだ。  俺何もしてないですけど。  アユミは一人で勝手に躓いて、鳥居に激突し、神社をまるごと激震させた。ぐらりと致命的に傾く鳥居。 「…………おい」 「あちゃー」 「チ──!」  ずごごごごーと先生に向かって一直線に倒れていく。  轟音、土煙。  それが完全に晴れる頃、宝生優奈の姿はどこにもなかった。 「もう、いきなり何するのさ羽村くんっ! 逃げられちゃったじゃない!」 「……少年。やってくれたな」 「え? いや、だから」  俺何もしてないですけど。  邪悪オーラを纏う先生の向こうに逃げ込んで、アユミと雛子が拝むように両手を合わせ、先生にバレないよう必死で謝ってきているのだった。 「あー……えぇとですね」  いいだろう、ここはお兄さんに任せたまへ。華麗な口車で乗り切ってやる。 「なんだ少年。遺言か?」  言うべき言葉を探す。  ほどなくして見付けた。 「その……先生の麗しい髪になんと、ハエが留まっていやがったので、全力で追い払おうと」 「死ね」  がしょーんとブッ飛ばされる俺。
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