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少女は鳥居の下から、不安そうに雛子以外の俺たちを見回している。
宝生優奈。
遠目に見ても綺麗な少女だった。容姿端麗、というならそうだがそれだけじゃない気がする。
「……?」
何なのだろう、あの不思議な空気は。
怯えを宿した瞳が妙に目を引く。
「チャーム……」
「はい?」
俺の隣で、先生が耳慣れない単語を口にした。
「ほのかに魅了の呪いか、それに近いものを放ってるな。おそらく無意識だろう」
「魅了の──呪い?」
驚いて、優奈を観察する。
それはあれか。無意識で術者を愛させ、気が付けば心ごと操られるってやつか? かなりやばいのではなかろうか。
「ま、もともとの容姿が勝る程度の微弱さだ。別に実害があるわけじゃなし、気にするな」
「……そうですか」
そっと胸を撫で下ろす。ということは、あの少女の呪いは無害認定寄りなのだろうか。
「優奈ちゃん!」
雛子がぱたぱたと駆けていく。
「……雛子ちゃん」
「優奈ちゃん、帰ろう。あんなヤツに関わっちゃだめだよ」
雛子が優奈の手を取って引っ張ろうとする。だが優奈は応じなかった。
「雛子ちゃん、話があるの」
「話?」
俺たちが遠巻きに見守る中で、優奈は真っ直ぐに言った。
「雛子ちゃん……私ね。私が死んだ理由は……言ったよね」
雛子はしばし目を伏せ、こくりと頷いた。
「聞いたよ。悪いお父さん」
相沢が言っていた気がする。宝生優奈は、実の父に絞殺された子供なのだと。
──あいつも子供殺しの被害者なのか。
「私はね、大人が嫌い。だからあの人と一緒にネバーランドを作るの」
少女は祈るように囁いた。
「ネバーランドはね、子供だけの国なの。私たちを傷付けるひどい大人なんていなくなる。もう誰も、誰も不幸になんてならなくて済むんだよ」
儚い横顔が夢物語を語った。
優しい世界。
箱庭の王国。
「……一緒に行こう、雛子ちゃん」
優奈は静かに右手を差し出した。
雛子に、ネバーランドの手伝いをしろと。相沢の共犯者になれと。
「待て──」
「羽村くん」
駆け寄ろうとした俺は、アユミに肩を押さえられて制止された。
見返すと、アユミは静かな微笑を浮かべていた。
「大丈夫。雛子ちゃんは、強い子だから」
「…………」
黙って見守ることにする。
雛子は、決然と顔を上げていた。
「優奈ちゃん。それ、本気で言ってるの?」
相沢ユウヤは吉岡雛子を殺した張本人だ。尋ねるまでもなく、共犯者になどなれっこない。
優奈は淋しそうに言葉を重ねる。
「……あの人を許せとは言わないよ。許さなくていい。本人もそう言ってる」
優奈は静かに、雛子の手を取った。
「ただ私が、雛子ちゃんに、一緒に来て欲しいだけなの。子供だけのネバーランドに。ユウヤ君が作る、子供の楽園に」
「…………」
雛子の双眸が俺を振り返る。
「ねぇ、子供のいない国ってさ……大人はどうなるんだと思う?」
ピーターパンの真実。
俺より先に、先生が皮肉をこめて口にしていた。
「簡単だ、殺すか排除するかしかないだろう。大人全員を殺して子供だけの国を作る。邪魔するやつは力ずくで消し去る。そういう人物なんじゃないのか? ……ネバーランドの邪魔をするやつは、ピーターパンが影で殺すわけだな」
優奈の瞳が翳り、不安の色が滲む。
やはり彼女も、相沢の言うネバーランドの実体には不安を感じているようだ。
「……やっぱりね」
雛子は優奈を真っ直ぐ見つめた。
「だめ。そんなの絶対にさせないから」
手を強く握り返す。
「ね、優奈ちゃん。一緒に帰ろう? きっと違うんだよ。やり方を間違ってるんだよ」
大人のいない孤島。
それは確かに子供だけの楽園。ましてや彼女たちは亡霊だ、生きている人間よりはよほど簡単に永遠を手にすることができる。
未来永劫不幸の生まれない場所。
ネバーランドを築くことによって負の連鎖は完全に潰える。
優しい幸福が、いつしか子供たちの傷跡も拭い去ってくれるのだろう。
……だが何か、不吉なものを感じる。
ネバーランドは本当に幸せな国なのだろうか。
子供たちは、本当にそんなことで幸せになれるのだろうか。
相沢は一体、どうやってネバーランドを実現しようとしているのだろうか。
「迷っちゃだめよ、羽村君」
ぽん、と俺の肩に雪音さんの手が触れる。彼女は諭すように語った。
「夢に逃げてはいけない。危うい夢を力ずくで現実にするのはテロリストのやり方。私たち秩序の守り手からすれば、それは真逆の在り方なの」
そうだった。
俺は狩人なんだ。
「……子供を救いたいという目的は正しい。でも雛子ちゃんの言う通り、あなたたちは決定的にやり方を間違えている。留まりなさい、宝生優奈」
雪音さんは哀れむように言った。
「迷い子が悪魔の手を取ってはいけない。踏み外した子供の結末なんて、昔から決まっているでしょう?」
見返した優奈の目には空虚があった。悲しみがあった。
「そうですね……許されないこと、ですよね……でも無理ですよ、私たちは」
目を閉じて、少女は呟いた。
「眠る度に夢を見ます。血走った両眼。生きてるのにゾンビみたい」
開けられた双眸は恐怖一色。まっくろに染まっていた。
「お父さんが、私を絞め殺した時の記憶」
彼女は追い詰められていたのだ。ずっと前に。心が瓦解してしまう寸前まで。
その全身から呪いが滲み出し、大気を汚染する。
負の感情の具現である呪いは、術者の心に呼応する。
「私はとっくに踏み外しています。平穏に生きている人たちの世界から」
亡霊少女の言葉に、雛子の表情が曇った。
もう二度と、生きている者達の世界に戻れない、哀れな野良猫たち。雛子だって強がっているだけなんだ。あいつだって死者だから。揺れないはずがなかった。
そんな雛子の傍らに立って、天女の少女は突き付けるように言ってきた。
こちら側に立つ、俺たち狩人全員に向かって。
「踏み外すのか、と聞くのなら教えて下さい。どうすれば私たちは踏み外さずにいられたんですか? どうすれば私たちは、死者にならずに済んだんですか?」
「…………」
虚しい沈黙が神社に落ちる。
答えられる者はいなかった。
いなかったのだ。
「……答えられないでしょう? でも、あの人は答えてくれました。過去は変えられない。だから未来を塗り替えよう、君の悪夢を……これからの未来を、素敵な夢で塗り潰そう、って……」
儚げに笑む少女。
その表情には、確かに、誰にも与えられなかった幸福の光があった。
相沢ユウヤが与えたんだ。
あのネバーランドの王が。
「……香澄ちゃんは?」
雛子がぽつりと呟いた。
「……?」
少女たちが、揃って疑問符を浮かべる。
「香澄は……雛子ちゃんと一緒じゃないの?」
「あたしは、優奈ちゃんと一緒にいると思ってた」
雛子の瞳が雪音さんと先生を振り返る。しかし何も知らない。誰も、香澄という少女の行方は分からないようだった。
「……まぁ……香澄なら、たぶん一人でも大丈夫だよ」
「確かに。香澄ちゃんは、一人でも大丈夫だね」
えらく信用されているらしい。
どんな奴なんだ? その香澄ってのは。
「……今夜、青柳高校に」
繋いでいた手が解ける。
「そこでネバーランドを実現させるって言ってたから。気が変わったら、来て欲しい」
どこまでも儚い微笑に、雛子は挑戦的に笑い返した。
「わかった。連れ戻しに行くから。絶対に」
「…………」
──決別の最後に。
優奈の繊細な唇が、くすりと嬉しそうに笑った。
「ありがとう雛子ちゃん。次会う時は、喧嘩かな?」
「たぶんね。でもあたし、ぜったいに敗けないよ」
「私だって。がんばっちゃうんだから」
そう言って、優奈は作れもしない力こぶを作って見せた。
微笑ましい少女たちの友情。
それを引き裂くのはどこの馬鹿だ。
「…………」
鳥居が両断する秋の空を睨みつける。
彼女たちを引き裂いたのは相沢か?
確かにそうだ。でも、奴だけじゃない。
きっともっと抽象的で大きなもの──そう、相沢の語った負の連鎖、際限なく感染していく大人と子供の歪みも関係しているのだろう。
「それじゃ、またね」
「うん」
名残惜しそうに見つめ合ったあと。
どちらからともなく背を向け合って、少女たちは袂を分かつ。
「ぺんぎんの恩返しだ。はじめてみた」
「はい、たしかにぺんぎんの恩返しなのです。すっげーのです」
「……何?」
いつの間に来ていたのか、藍と碧が感心するように言っていた。俺が聞き返した途端に不機嫌になって、二人同時に蹴ってきた。
「ぐはっ!?」
「ふん、はなしかけんなあほっ」
「あほに言ったんじゃねーのです。おとといきやがれなのですっ」
ぷんぷんと去っていく。
「痛ぇ……ったく、何なんだよ。ペンギンの恩返しって」
そんな童話あったろうか。
ない。
あるはずがない。つくづく意味わからん双子だ。
「なるほどねぇ……確かにあれは、ペンギンの恩返しだわ」
「雪音さんまで。何なんです一体?」
「さーねぇ」
ひらひらと手を振って、雪音さんも神社の中に帰っていく。
「でも一体どういう理屈なのかしらねぇ……ちょっと想像がつかないけど……」
「おい、どこへ行くクソ巫女」
「私の仕事はもう終わった。あとよろしくね、クソ魔女」
ぱんと手を叩いて、巫女さんが宣言した。
「縁条市狩人総括、早坂雪音の権限で言い渡します。相沢ユウヤを有害認定と認めこれを速やかに無力化すること。しかしそれ以外の殺生は一切認めません。優奈ちゃんも雛子ちゃんも現状は保留、二人に対する手出しは厳禁よ。後日改めて調査結果を共有します。以上」
「…………」
不機嫌そうな魔女一名。当然である。
「……もっとも。今日中にぜんぶ分かっちゃうだろうけどね、あたしが言うまでもなく」
「ふん、なんだそれは。未来予知か?」
「あんたあたしの視力知ってる?」
巫女さんの白い指が、自分の目を指した。先生が皮肉る。
「さてな、老眼のくそド近眼だったか?」
「両眼2.0に加えてA-級霊視。あたしはね、がんばれば何だって視ることができるの。視野狭の未来予知さんなんかよりよっぽど優秀なつもりよ」
それっきり、今度こそ雪音さんは去っていった。
「……ただいま」
「お帰り、雛子ちゃん」
あちらではアユミが雛子に褒めるように笑いかけている。それを見送って、優奈も去っていこうとするが。
「待て」
ぴた、と優奈の足が止まる。殺気を発しながら、先生が日本刀に手を掛けていた。神社に緊張が広まっていく。
「このまま逃がすと思うか?」
「…………」
優奈が敵意も露わに振り返る。いや、どっちかってーと怯えてるなあれは。よし、とりあえずフォローだ。
「あの、先生? さっき雪音さんが手出しはするなと」
「そうか、なら刀を出そう。なんなら足蹴でも頭突きでも取引材料でもいい」
先生の流し目が俺を睨み上げてくる。
「クソ巫女の戯れ言に付き合うほどの余裕はない。お前も知ってるだろう、相沢ユウヤの全域知覚。多少の駆け引きは必要だ」
「あー……さいですか」
しずしずと引き下がる。あんなコワイ目をした先生に関わるのは得策じゃない。
「うわたっ!? は、羽村くん何するの!?」
「おおおお兄さん! まずいってそれ!」
「は?」
唐突に、すぐ背後でアユミと雛子が叫んだ。
俺何もしてないですけど。
アユミは一人で勝手に躓いて、鳥居に激突し、神社をまるごと激震させた。ぐらりと致命的に傾く鳥居。
「…………おい」
「あちゃー」
「チ──!」
ずごごごごーと先生に向かって一直線に倒れていく。
轟音、土煙。
それが完全に晴れる頃、宝生優奈の姿はどこにもなかった。
「もう、いきなり何するのさ羽村くんっ! 逃げられちゃったじゃない!」
「……少年。やってくれたな」
「え? いや、だから」
俺何もしてないですけど。
邪悪オーラを纏う先生の向こうに逃げ込んで、アユミと雛子が拝むように両手を合わせ、先生にバレないよう必死で謝ってきているのだった。
「あー……えぇとですね」
いいだろう、ここはお兄さんに任せたまへ。華麗な口車で乗り切ってやる。
「なんだ少年。遺言か?」
言うべき言葉を探す。
ほどなくして見付けた。
「その……先生の麗しい髪になんと、ハエが留まっていやがったので、全力で追い払おうと」
「死ね」
がしょーんとブッ飛ばされる俺。
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