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ひんやりとした玄関に足を踏み入れる。ここへ戻るのは何日ぶりか。
背後に立つ影のような少女を招き入れ、ガチャリと鍵を閉める。
それなりに整った家。
僕、相沢ユウヤの生家である。
「……退屈な家だけど、入ってくれ。リビングで紅茶でも淹れよう」
「ええ、おかまいなく」
影のような少女。不可思議な存在。日常に在るはずのない異物。
「それにしても――『魔法使い』か。僕にはまだ、わからないことだらけだね」
「ふふ……理解されてしまえば、謎は謎でなくなります。そうなった時、私はとても退屈な存在となり、文字通り魔法が解けるように力を失ってしまうのでしょうね」
違いない。
靴を脱ぎ捨て、はやる気持ちを抑えて視線を送った。
「ネバーランドについての詳細を聞きたい。来てくれ」
「…………」
玄関に立ち止まる魔法使い。翳った表情は伺えない。
妖艶な出で立ちも相まって不吉そのものだった。
「ところで――あなた、もう何人も殺していたのですよね? 子供ばかりを」
「――!」
断罪するような言葉に、心臓が早鐘を打った。
凄惨な記憶がよぎる。
あれを理由に、ネバーランド計画への協力を拒まれるのは避けたい。
「…………その話は、」
「何故です? あなたは、子供好きなのでは? 子供を救いたい、と願っているのでは?」
「……その通りだ。僕はただ……」
「――――――あら?」
瞬きの間に。
魔法使いは、目の前に立っていた。
「!?」
触れそうな距離に、無表情のまま見開かれた二つの眼球がある。
まるで意思のない人形。
その、形容しようのないほどおぞましい瞳が、僕の中の真実を見透かしてくる。
「よくないものに憑かれていますね」
だが、そんなことは知っている。
彫像のような魔法使いに告げる。
「……キミも知ってるだろう。僕は、予知能力の呪いを発症している」
「呪い――――いえ、亡霊ですね、それは」
「何……?」
呪いでなく、亡霊?
「……ばかな、何を言っている。この僕が、霊に憑かれているとでも言うのか。呪いを発症している僕が。冗談だろう」
だが、魔法使いは僕の言葉になど耳を貸さず。
なおも、彫像のように目を見開いたまま、そのおぞましい問いを投げてきたのだ。
「はじめに、誰を殺しましたか?」
言われて、心底の恐怖が全身を貫いた。
暗い場所、公園の奥、点滅する公衆便所の床が血に染まっていた。
子供を食い殺していたのは兄。
兄の所業を目撃し、訳も分からず落ちていた鉄パイプで兄を撲殺したのは僕。
散らかった肉片の上に、おぞましい人食い野郎の血を上塗りする。
意味が分からなかった。
理解ができなかった。
何の罪もない子供を捕まえ、悪魔の所業をまるで人生の幸福のように歓喜しながら行っていたバケモノの醜悪な姿。
あの血走った目。
あの、汚らわしい男の声。
『思い出したか、ユウヤ』
囁きが、耳元で聞こえた。
背中を悪寒が撫で回す。
僕に取り付いている霊がいるとすれば、それは決まっている。
「ようやく、自覚しましたね」
魔法使いの右手の平が開かれ、僕の顔面に叩きつけられる――かと思ったら、僕をすり抜け。背中に張り付いていた人影のみを、真正面から張り倒す。
悪魔の雄叫びが、相沢家の廊下に投げ捨てられる。
呪いを撒き散らすケモノがいた。
僕から引き剥がされ、床の上に転がされた醜悪なケモノが。
僕は、震える喉を引き絞る。
「…………あれは、まさか」
「ええ、あれこそがあなたに取り付いていた悪霊です」
その眼光には覚えがある。
ケモノの叫びを上げ、襲いかかってくるその影を見下ろし、魔法使いは酷薄な目をして吐き捨てた。
「――――――駄犬、」
軽蔑の言葉。
怪物の顔面につま先をめり込ませて薙ぎ飛ばし、醜い苦鳴を嘲笑しながら手のひらを掲げる。
そこでなぜか、嗜虐の笑みを浮かべていた魔法使いはぴた、と動きを止める。
「――――あらいけない。ネバーランドの準備に力を回しているのでした」
瞬きの間に、魔法使いは僕の背後に後退していた。
「なんだ、どうした。あの怪物はどうするつもりだ」
「都合が悪くなりました。こちらを優先すれば台無しになります。けじめは、ご自身の手でつけてください」
それきり、悪夢のように消え失せる。悪い冗談だ。もう影一つない。
怪物はみしみしと姿を変え、見覚えのある人間の姿を取りつつあった。
その真っ黒い眼球だけは、生前のものと違うが。
「――やあ、ユウヤ。おまえから分離するのは久しぶりだな」
反吐が出る。
薄闇の玄関で、僕は、ついにそれと対峙した。
自らの罪。
「………………あんただったのか、兄さん」
相沢トモヤ。
連続女児誘拐殺人の真犯人、子供を殺す『悪霊』だった。
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