#003 / 天使-Never Land' III-

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 俺・羽村リョウジは夕陽のオレンジ色に目を細める。 「…………」  沈黙のリビング。  俺、アユミ、先生の三人は何をするでもなく黙り込んでいた。  そろそろ、日が落ちる頃だった。 「……相沢ユウヤの全域知覚は厄介だ。倒す術はあるか、少年」  先生が、手入れをしている小笹の刃紋を見下ろしながら聞いてきた。頬に反射する白光。 「ありませんね。六道沙門が破れた時点で、俺に勝ち目はありません」  西通りで相沢に破れた六連撃。  アユミの技の模倣、正体は連鎖式の高速連撃。  同じ技でもアユミの怪力が加われば破格の威力を誇るが、どのみち当たらないのでは意味がない。 「先生はどうなんです? 打開策は浮かびますか」 「どうかな。理屈で言えば、本当にこちらの攻めを事前に見切られるんじゃどうしようもないだろう。何をやっても無駄な足掻きだ。話に聞く限りじゃ、偶然の事故が奴に襲いかかっても躱されるんだろう」  その通りだ。  全域知覚は周囲の情報すべてを取り込む呪い。不意打ち然り、偶発事故然り、物体の位置と情報を読み切られている以上どんな罠を仕込んでも躱される。  勝ち目はない。だっていうのに先生には迷いがない。刀を鞘に収めて立ち上がる。 「勝機がなくても、行くんですね」 「恐いなら寝てろ。お前が幸せな夢を見てる間に、死人が日増しに乗算で増えていくだけだ」  そう言って先生は、哀れむように俺たちを見下ろした。 「……だが、それでも強制はしないさ。所詮、お前たちはまだ見習いの身だ。終わった死に何かを学んで、次に生かしてくれればそれでいい」  キン、と小笹の鍔が鳴る。吠えるように。 「もちろん。死ぬのはオレではなく、奴の方なんだがな」  くくく、と先生は笑って見せた。  不思議だ。この人といればどんな死線だってくぐり抜けられそうな気がしてくる。 「…………」  だが、それは錯覚なんだ。俺たちを今日まで育て上げ、鍛えてきた先生。師匠にして、親か姉みたいなものだが、この人だって死ぬ時は死ぬんだ。  先生はあくまでも薄く笑っている。  きっとこのまま駆け抜けるのだろう。いつまでも、どこまでも。 「……アユミ」 「うん」  俺が立ち上がる。アユミも当然のように立ち上がった。  小さく笑みを交わし合う。  もう一人では行かない。  俺たち二人は相方だった。生きるも死ぬも一蓮托生、何がどうなっても恨みっこ無し。そういう義兄妹なんだ。俺たちは。 「……ほう? 来るのか。意外だなダックスフンド共。大人しく道端ボランティアでもしてればいいものを」 「いやいや、何言ってんですか今更」 「今更じゃないよ。ならひとつ聞いておくが」  先生は顔を上げ、真っ直ぐに俺たちを見た。沈んだ声がリビングに響いた。 「お前たちに、奪う覚悟が本当にあるのか?」 「え――」  あくまでも邪悪な微笑のままで。 「狩人は秩序を守る者。ささやかな悪を切り捨て凡百を肯定する。切り捨てられる者にとっちゃ悲劇だよ。善悪なんて宗教だろう? お前は形のないもののために、形あるものを切り捨てられるのか」  目を伏せ胸に手をあてて、聖女のような仕草で魔女は謳った。 「どうだ少年。あの優奈という少女の希望を粉々に打ち砕き、もう一度絶望させる覚悟がお前にあるのか?」  それは、とても鋭利な問いかけだった。  俺たちが狩人で在り続けることさえ揺らぐかも知れない質問。  なのに先生はニヤニヤと俺を見ている。  なるほど、俺を試してるわけですかい。 「…………分かりません。でも」 「でも?」  約束がある。  そして、違和感もある。  だから俺は真っ直ぐに見返した。 「相沢ユウヤは間違えている気がします。決定的な、そして大切な何かひとつを」  いまはまだ、それが何なのかは分からない。  永遠の島(ネバーランド )。  子供だけの楽園。  もう二度と傷つけられることのない、幸福な場所のはずなのに。  どうしてもそれが許容できない。  雛子たちがその島に連れて行かれても、どうやったって幸せになれる気がしない。不安なんだ。なぜか怖ろしいものを見ている気になる。この胸にこびりつく感触は、一体何なのだろう。 「傲慢だな。だが、悪くない観点だ。逃げるでも割り切るでもなく、お前は別の答えを探そうとしている。それは理論の開拓だ。オレなら、希望なんて真っ先に切り捨てただろうにな」  そして先生は目を細めた。  どこか遠くを見ながら、少しだけ羨ましそうに。 「そうだな……子供にしか見えないことも、きっとある。果たして何が見えていたのかな。どんな色眼鏡で世界を見ていたんだろうな。思い出せない。昔は、みんな子供だったはずなのに」  沈黙がリビングに落ちた。  少しずつ日が空を辞していく。  もうすぐそこまで、夜は来ている。  なのに希望も答えも突破口もなく、俺たちは立ち尽くすだけだった。 「意外と――」 「ん?」  ふと、アユミが声を零した。  含みのある笑顔が呟く。 「意外と単純な答えかも……知れませんよ?」  子供のように、澄んだ瞳で。 「お前……」  見えていたのかも知れない。  すぐ目の前にあった、俺たちが見逃していた回答を。  魔女は不敵に鼻を鳴らした。 「いいさ、答えは戦場で見付けよう。死に物狂いで、命を賭けて」  切れ長の瞳がテーブルを見下ろすと、そこには新品のボールがあった。  右手でボールを掴み、目を閉じて静かに笑う。 「九回裏ツーアウトランナー無し。それでも選手が打席に立つ理由は何だと思う?」  俺はお師匠サマに倣い、挑戦的に鼻を鳴らした。 「そこに試合があるから」
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