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「さっきはよくも見捨ててくれたね。魔法使いさん」
相沢ユウヤは皮肉を投げつける。答えるのは、真っ黒な闇そのもののような少女の背中だった。
「怒りましたか? 予知能力者さん。協力関係を放棄しますか?」
「理由次第では」
「ネバーランドの維持を優先しました」
予知していたように、相沢は砕けた笑みを浮かべる。
「だろうね。なら、これ以上責める理由は僕にはないよ」
学生服のポケットに手を入れたまま、相沢は月明かりの下に姿を晒すのだった。その隣に立つ優奈を見て、振り返った魔法使いは微笑を浮かべる。
「ところで――」
私立青柳高校。
秋といえど風は冷たい。時刻はもう夜。校舎に挟まれた中庭で、相沢ユウヤは魔法使いに問いかけた。
「ところで、準備が完了したという話だったけど」
「ええ。下準備は終わりましたよ」
「そう……」
相沢は、周囲を見回す。
母校。
切りそろえられた花壇の花に、棚のような造りの校舎と、褪せた灰色のタイルの地面。
何の変化もない光景。青い闇に沈む夜の学校。ネバーランドの片鱗ひとつ、どこにもありはしなかった。
「別に疑うわけじゃないんだけど……その、具体的に何を用意したんだい?」
「ふふ……全域知覚を使えばすぐ察知できるのに、律儀な方ですね。やはり肉眼がいいですか?」
袖が捲られ、魔法使いの白い手が掲げられる。
「さぁ……これが、あなた方のネバーランドですよ」
「! それが――」
それは、ブラックホールのような物だった。
魔法使いの手の平で浮遊している。
渦巻く球体。
ただし。
「……ええと」
ビー玉サイズだった。
「か」
その毒々しい輝きを見上げて。
「かわいい……!」
「優奈ちゃん、その感性は正直どうかと」
優奈は星屑を目に灯らせていた。気を悪くした風もない。変わらず頬を朱に染めて、夢見るように謳い上げる。
「これがピーターパンへと華麗に変身!」
「致しません」
「妖精!? 女の子! ということは、これがあの有名なティンカーベルに!」
「なりません」
「ならフック船長まで妥協します! じゃなきゃいっそ船でもいいです! これから胸が躍るようなアトラククションが、きっと!」
「あなたの目の前で、繰り広げられ、ません」
不動の笑顔で言われて、さすがに気勢が削がれたようだ。
「……そうですか」
とぼとぼと、相沢の背後に帰っていく。
ベールで隠された両眼。
優奈はこの『魔法使い』と名乗る人物がどうにも苦手だった。
「正確には片割れなのですけどね。本体は、あこに浮いているのですが……」
魔法使いは空を指差した。
遙か頭上、夜の海に浮かぶビー玉を視認できるはずもなかった。
「それにしても小さいな。呪いも微かにしか感じられないし、こんなもので、一体どうやって?」
「そのために、子供たちを集めてもらったのですよ」
「なんだって?」
ビー玉を掲げたまま、魔法使いは指さした。
「あなた。こちらへどうぞ」
それは、無数の腕のうちの一体だった。
「…………」
水から陸に上がるように、声もなく一人の少年が姿を現す。
じっと、魔法使いを見上げている。
「大丈夫……怖がることはありません。みんなで夢を見るだけです。さぁ、手を」
不安そうに、少年は迷った。
ちらりと優奈を見やり、怯えたままで魔法使いの手に触れた。
「!?」
瞬間、少年の姿が揺らいで消えた。
まさしく魔法のように。気配ひとつ残さずに。優奈には、生気をまるごと略奪され、掻き消されてしまったように見えた。
「ユウヤ君!」
優奈の叫びを受けて、相沢の横顔もかすかに揺らいだ。
「……念のために聞いておくが、あの子に危害を加えたわけじゃないね?」
「無論です。あちらへ転送しただけですから」
そう言ってまた、魔法使いは夜空を見上げた。
視認できるはずもないビー玉。
しばし、相沢は黙考。
静かに結論を述べた。
「…………なるほど。読めてきたよ、ネバーランドの作り方」
縋る優奈の頭を撫でて、怯える瞳に微笑を向ける。
その双眸は既に、全域知覚を発動していた。
「大丈夫だ優奈ちゃん。ちゃんと気配が空にある。あの子は消えてなんかいないよ」
全域知覚を発動したまま、相沢は魔法使いに問いかけた。
「でも、一体どういう理屈なんだい? 霊を集めて空に浮かべる。僕の知識にはないものだ」
「……亡霊というものが、何で構成されているかご存知ですか?」
「呪いだろう?」
「そう、彼らは呪い。人の形をした、呪いそのものなのです。」
魔法使いは、異常の世界を語る。足元から影に侵食されていくようだった。
「呪いは幻想、現実を捻じ曲げる疑似現象です。不可解な事象を巻き起こし、この現実に顕現させる歪んだ力」
歌い上げるような声。手のひらの上で、暗黒の玉が踊る。
「あなたに集めてもらったのは、子供の亡霊たちです。その呪いは似通い、もともと群体として活動していたものを更に増幅していただきました。ならば――その呪いは、整えれば通常の五十倍、あるいはそれ以上の力を持った呪いとなるでしょう。有り余った力で現実を捻じ曲げる。ネバーランドを具現化するのもたやすいことです」
「……理解はできないが。確かに、その理屈ならとてつもないことが実現できるのだろうね」
相沢は、感心したように微笑んで、頭上の暗黒を見上げた。
自身の全域知覚の呪いを知っているからだ。
「…………」
それでも優奈は、不安を拭いきれなかった。
作り物のように真白い魔法使いの横顔を盗み見る。
「ふふ……では残り四十九人です。じっくりと、作り上げて参りましょう」
優雅な所作を伴って、魔法使いは作業を始めた。
一人ずつ一人ずつ。
鮫の海に、子供を突き落としていくように。
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