6人が本棚に入れています
本棚に追加
/79ページ
不穏な空気の夜だった。
「…………」
俺、羽村リョウジは住宅街を無言で歩いている。前は先生。隣にアユミ。行き先は、相沢たちが待つ私立青柳高校だ。
異様な静けさが辺りを覆っている。
灯りがともっている民家はひとつもない。まるでゴーストタウンに来たみたいだ。この界隈はいつもこうなのだろうか。
「……?」
気配を感じて、周囲を見回す。
なのに、どこにも誰もいない。
「…………」
誰もいない。
それが何より妙だった。
気配はある。
亡霊だ。
亡霊に似た何かの気配を、確かに感じるっていうのに。何故なら聞こえる。
『……、……、』
無数の声が、耳を掠め続けている。
暗い夜。
街灯の光だけを頼りに、俺は漂う蛾のように歩き続けている。
しかし、俺は本当に自分の足で歩いているのだろうか。
視界が何かで濁っている。
水に流される小舟の足取り。
ただ、点在する光だけを頼りに、俺はゆったりと流され続けている。光から影へ。影から光へ。
『……、……、』
声は、少しずつ、近くなっているような気がする。
分からない。
誰だ。
俺を呼んでいるのは誰だ。
『……、……、』
何を言っている?
耳を澄ませる。
意識が引き寄せられていく。
真っ暗な闇の底で、誰かの腕が手招きしている。
吸い寄せられる。
舵を失った小舟は呆気なく。
その腕が起こす黒い渦に、咀嚼されるように飲み込まれていく。
「――――」
食われる、食われていく。
あと数センチであの指先に触れる。
と、そこで唐突に、無遠慮な風が吹き荒れ始めた。
「……?」
荒波のようだ。
小舟たる俺は体を揺らされ、ようやく飲まれ掛けていた意識を取り戻した。
「…………う」
久しく回帰した現実で、俺は変わらず夜道にいた。
頭痛がひどい。
目の前には、いつの間にか立ち止まっていた先生の背中。
「…………」
強風の中で、先生は、何故か夜空を仰いで停止していた。
珍しいな。先生でも星の眩しさに胸打たれることなんてあるんだな――
「………………は?」
そんな風に、真似して顔を上げたのが間違いだった。
夜の海に。
ありもしない、非現実の姿を見付けてしまった。
「え――」
アユミも立ち止まり、強風の中で空を見上げた。
「……あれ……うそ?」
目をこする。しかし、消えない。何度こすっても消えてくれない。あんなもの、この世にあるはずがないのに。
自分の正気を疑っている間に、雲が流れ、露わになった。
月がある。
満月だ。
ただし、その肌はドス黒く、そして、星間距離を大きく間違えている。
――縁条市の上空に。
ぽっかりと穴を開けたように、小惑星が、浮遊していた。
「……っ、」
異様な光景に胸が焼け付く。UFOでも見てるようだ。
頭蓋の中に反響する呼び声。気を抜けば失神しそうになる。責め立てる声。うるさい。
「…………あれが」
電線が揺れる。風鳴りが駆け抜ける。髪が煽られ激しく流れる。
暴風に押し返されそうになりながら、俺たちは上空のそれを呆然と見上げ続けた。
台風の目にいるのはアイツだ。あの球体が周囲の空気を犯し、歪ませ、膨大な呪いを振りまいている。
「…………ネバーランド……か」
巨大な黒球。
うねる表面の内側で、黒の獄彩が渦巻き燃えている。
しかし、何なんだあれは。
異常現象は大きく五つにカテゴライズされる。
その中にも、あんな奇妙なものはなかったはずだ。
「やってくれたな……本当、嫌な予感ばかり当たる。一体何万人殺す気だ?」
ふと、前に立つ魔女が聞き捨てならないことを言った。
「……先生。いま何か、すげー不吉なこと言いましたよね?」
「何? そうだったか? 記憶にございません」
それで通るのは国会だけです。
「ま、いい勉強だろう。覚えておけ二人とも。アレは『魔王現象』という」
「魔王……?」
それが勇者の反語か。
確か、神社で先生が言っていた。五大現象の他に、いくつかの稀少な例外があると。
「例えばある街が、大震災で滅びたとしよう。別に戦争や疫病でもいいんだが」
そして先生は語り始めた。
あの黒い巨塊。
ネバーランドの正体を。
「大量の人間が、一度に、みんな同じ理由で死ぬ。そうすると一体何が起こると思う?」
「……亡霊の大量発生、とかですか?」
「ハズレでもないが、そちらは『百鬼夜行』と呼ぶな。同じく災害後に見られる珍しい光景だが、それとはまた別のケースだ」
違うのか。なら何なんだあれは。
落ち着け、考えろ。現物が頭上に浮かび、なおかつその影響を受けているんだ。考えれば分からないはずがない。
「あ……もしかして」
半信半疑ながらも、アユミは答えを口にした。
「……その街のみんなが、同じ呪いを遺して死んじゃう、っていうことですか?」
「正解。さすがに察しがいいなアユミ」
声が聞こえる。
無数の怨嗟の呼び声が。
「そう、同じ呪い。みんなが同じ時間、同じ場所で、同じものに殺されるとそういうことになる。どうして死ななくてはいけないのか。なんで自分が。いやだ、死にたくなかった。そんな似通った呪いが街中を覆い尽くす」
それは地獄か冥界か。亡者の怨念が渦巻く国。
大気を覆い尽くすまでに、遺されてしまった無数の呪い。
「それが大量になり、一ヶ所に集まるとアレが起きる。『魔王現象』。あれはな、呪いと呪いが共鳴して、融合しているんだよ」
自然に融合してしまった、膨大な呪い。それが魔王現象の正体か。
空を見上げる。
なるほど、あれは無数の呪いが集って、ひとつの塊になっているんだ。個人の枠を超えた巨大呪。道理で、スケールが違う。
「魔王は比喩だ。融合し肥大化し力を蓄えた巨悪。あれを倒せる人類はいるのかな、少年」
暴風と怨嗟の中で、先生は平然と笑った。
俺も敗けないように精一杯の虚勢を見せる。
「……大丈夫です。俺の先生ならきっと、あんなの片手でも余裕です」
「もっと愛を籠めて言ってくれ。自信のカケラも湧きやしない」
「…………」
アユミは、無言だった。顔が青ざめている。
俺もあまり立ち止まっていたくない。ぼうっとしてたら飲まれてしまう。
「ちなみに尋ねますが、あれが地表に落ちたらどうなります?」
「さぁ? オレも実物は見たことないんでね、何が起きるかは知らないよ。案外大したことないのかもな」
先生らしくもない薄っぺらな嘘が、いまは逆に切迫していることを証明していた。
嫌になる。
それでさっきの『一体何万人殺す気だ?』発言か。
「……あれも疑似現象 だ。虚構と現実の敷居くらいは下がるんじゃないか? 縁条市のすべてが曖昧になる。ネバーランドなんてバカ話も、恐らく容易い」
それはつまり、あの魔王ちゃん(0歳)が大人死ねーと念じただけで、マジに縁条市から大人がいなくなってしまうということですか。
お菓子の豪雨も玩具の津波も意のままに?
邪悪クリスマスのバーゲンセールだ。
「さて、魔王現象のことは分かったな? では本題に入る」
「はい?」
「先も言った通り、魔王現象は通常、災害の跡地で発生するものだ。自然発生するにはとてつもない物量がいる。だが、いまあこで徐々に育っているあれはどうだ? 縁条市のどこにそれだけの死人がいる。無数の呪いがどこに生まれた? せいぜい、相沢が集めたっていう五十人の子供の亡霊か? どう考えても数が足りない」
育っている?
なんだそれは――ともう一度目を向けると、確かに、街のどこからか立ち上った呪いが、上空の塊に飲まれて消えた。
真下は――あれが青柳高校か。
「雪音が引っ掛かっていたのはこの部分でな。有り得ない話だが、誰かが魔王現象を真似て、この縁条市で再現しているんだよ」
「再現……」
「方向性を揃え、なおかつ呪いを増幅させている……そんな感じだ。人工融合呪。偽・魔王現象と呼んでも差し支えない」
「……それは……どういう」
「ここから推測出来る答えはみっつ」
先生が指を立てる。
「ひとつ。相沢ユウヤには、オレたちの知らない協力者がいる。あんなものが予知能力で作れるはずがない。ふたつ、そいつは知識に精通し、魔王現象の偽物を創作できるほどの怖ろしい技術と呪いを持つ何者かである。みっつ──」
小笹の鞘を握り直して。
「まだ何も起きていない以上、あれは未完成なんだろう。時間はまだわずかだが残されている。いくぞ」
そして俺たちは、再び歩き始めた。
影から光へ、光から影へ。
無数の怨嗟の風に煽られ、へばりつく粘性の大気の中を。
「あの、もう一つだけいいっスか?」
「なんだよ。早くしろ」
「いや……その、」
呼んでいる。
吸い寄せられるように目的地に向かっている気がする。
「もしかして、これは尋常じゃなくやばい状況なのでは? なんでそんな冷静なんです?」
魔王現象。
偽物だからといって、楽観してていいのだろうか。
「何を言う少年。世はなべてこともなし。そう、世界は無意味で出来ている。何万人死んだところで所詮、どいつもこいつもただの血と肉が詰まった皮袋じゃないか。みんなまとめて死ねばいい。はっはっは」
とても感情の抜けた声。
とっくに開き直ってたワケですか。
「…………」
改めて見上げる。
──大きすぎて実感が湧かないが。これだけ離れているはずなのに、意識ごと中に取り込まれているような感覚がある。
水中の曖昧さ。形にならない声たちが頭蓋の中で反響している。たぶん、あの巨大呪と対峙しただけで、無力な俺はこの世から抹消されるのだろう。痕跡も遺せずに。
「……相沢」
どう考えてもやり過ぎだ。
どんな大義名分を掲げた所で、あれは人の世で再現していいものじゃない。
なら、あれを壊さないといけない。
しかしどうやって?
空に浮かぶ巨体を壊すにはどうすればいい。
ミサイルでも持って来ればいいのだろうか。
無理だ。科学兵器なんて拳銃さえない。
万一用意できたとしても、あの偽・魔王現象の完成に間に合うはずがないじゃないか。
「ん」
一人焦りを募らせていると、気付いた。
「うー……」
アユミは額を押さえて唸っていた。
苦しそうだが、無理もない。こんな強い呪い、正気を失ったって不思議じゃない。
「おい、大丈夫か?」
「――――そうだ」
と、何か思いついたらしい。
アユミは真剣な表情をして、でもどこか焦点の合っていない目で、シリアスに言った。
「ねぇ羽村くん、いますぐ北極からペンギンさんを呼ぼう」
「飛べねぇから……」
最初のコメントを投稿しよう!