#003 / 天使-Never Land' III-

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 上空で育ち続ける小惑星。  不可視のビー玉から風船くらいまで膨張し、とうとうあんなに巨大になってしまった。 「……っ」  宝生優奈は喉を鳴らした。  一体何なんだろうあれは。  あれが、本当に、自分たちの思い描いたネバーランド? 「視えないな……」  全域知覚を発動していた相沢が呻った。 「まるで濁った壁があるようだ。僕の全域知覚でも見通せないなんて、よほど高度な呪いなんだろうね」 「高度でない呪いで、あんなものが構成できるはずがありません。そのくらい、あなたがたの願いは無茶なものです」  消え入りそうな細い声。可憐なはずなのに、ひどく不吉な響きだった。 「それで? あなたがたは、大人をすべて殺し尽くすのですか?」 「――――」  殺し、尽くす。  そう言われて優奈が表情を固くした。 「なに、言ってるの。わたしたちは、ただ……!」  冒涜だった。少なくとも優奈にとっては。 「大人たちのことなんて知らない、どうなったっていい。ただ、わたしたちのネバーランドには絶対足を踏み入れさせない。それだけ。ただそれだけが願い!」  それ以外のことなど自分の知ったことではない。大人たちなど、害することさえ厭わしい、と優奈が叫んだ。 「ねぇ? ユウヤくん」  だが、相沢ユウヤは自らの手のひらを見下ろして沈黙する。見えない血に濡れた自分の手のひらを。 「……ああ、そうだね。僕たちはただ子供の楽園を築くだけだ」  空っぽの笑み。その一点に、嘘があった。  当然、争いは避けられないのだ。ネバーランドを築いた途端、それをよく思わない大人たちが彼らの夢を引き裂きにくるだろう。  ならば、争いは必定。  そうなった時、ネバーランドを優先し歯向かうものを虐殺する覚悟はできている。  そう――この楽園は、大人を排除して成立する。  だが、それを優奈も含めた子供たちに伝えることはない。  ネバーランドは、影で大人を殺すのだ。その汚れを一身に背負う覚悟を、相沢は決めていた。 「ははぁ、そうですかそうですか。それは素敵なことです。まるで壊れやすい夢物語のよう」 「悪いかい?」 「いえいえ、いいえ。ただただ大人を拒絶する。ええ、子供らしくていいのではないでしょうか。私の趣味ではありませんが……」  魔法使いを名乗る少女が、静かにネバーランドを見上げる。相沢と優奈もそれに続いて視線を上げた。真っ黒な小惑星。優奈には、それが何を意味しているのか理解できなかった。 「覗いてみますか?」  ぽつりと、新しい星を見つけたように魔法使いが言った。 「いいのかい?」 「ええ、ですが……」  相沢の目を細い人差し指で示し、魔法使いは変わらない薄笑みを浮かべて言った。 「あなたの目では視えすぎる。呪いを帯びた眼力は影響を与えてしまうかも知れません。ですが、そちらのお嬢さんでしたら問題はないでしょう」  覗く?  そんなこと出来るのだろうか。  淡々と『作業』を続け、子供たちを減らしていく魔法使いを優奈は盗み見る。  ――出来るのなら、確かめておきたい。  本当にあの黒球が、自分たちに幸福をもたらし得る存在なのかどうか。 「この目で、見ます。」  まっすぐに、告げた。魔法使いの横顔に、突きつけるように。  魔法使いは意味深な笑みを浮かべ、その覚悟を喜ぶように言った。 「――では、社会見学と参りましょう。どうぞお楽しみください、お嬢さん。」  目の前に立ち、ゆったりと手を差し伸べてくる。 「…………」  やっぱり、好きになれない人だ。  そんな感想を抱きながらも、優奈は恐る恐る指を伸ばす。  いやな空気を纏った魔法使い。  触れたくない。  けれど、触れなくてはいけない。これは自分たちが始めたことなんだから―― 「いいかい優奈ちゃん。取り込まれないように、戻ってくるんだよ」 「っ!」  相沢ユウヤの警告を聞きながら勇気を振り絞り、魔法使いの手を握り返した瞬間。  眩暈と重力。  冷たい手の平に全身が吸い込まれる。  正確には半身を。幻像の体から意識だけを抜き去り、そうして優奈は、千々に引き裂かれて死んだ。 「っ! ぁ……!」 否、死んだと錯覚するくらいに、怖ろしい感覚だった。  人間はひとつ。  たったひとつの体を有し、その形状を守るが故に生きている。それは亡霊であっても同じことだろう。  なのに、裂かれた。 「ひぁ――ぅ、あああああ――ッ!」  叫ぶ喉は途中で壊れた。  2つに裂かれ。4つに割られ。8つに分けられ16の肉片に。そして最後は100の破片へと成り下がる。 「ぁ……ぐ……」  意識がバラバラに砕けた。  全身が内側から強烈な酸に焼かれるような苦痛だった。  空間は黒い。  赤と黒が渦巻き燃える、魔王現象の内側で優奈は沸騰する。 「ぃ……ぎ……!」  呪いがまとわりつく。  どうしようもない苦痛に感電する。  人のカタチをしていた時にたとえるなら、激しい頭痛だ。頭頂をバールの先端に穿たれ、内側からみしぎしと生きたまま割られていく感触。  壊れる。  溢れる。  溶けていく。  こんな苦痛を優奈は知らない。  身も心も投げ出して消え去りたい。死んだ方がマシだと思った。意識が赤く明滅。この苦痛が消えるならなんでもいい、どうだっていい。  死にたい。殺して。誰か私を消して下さい。  そんな祈りも聞く者はなく。  ただ、際限なく頭蓋を割られる。正気のままで割られ続ける。 「……ぃ……や」  これ以上の苦痛なんてありえない。  なのに、彼女は恐怖を感じた。  壊れた意識が捕らえる視界。魚眼レンズの彼方に見える、あの呪いの芯部にだけは行きたくないと思った。  けれど抵抗する四肢がない。  流される。  飲まれるように流されていく。  溶ける。  溶けきる。  そして優奈は、ネバーランドへと飲み込まれた。 「……え」  苦痛が消える。  両手両足、ちゃんと揃っている。ただし顔にふれても感触はなかった。 「…………」  見回す。どこか遠くから俯瞰している感覚。目も耳も、曇った水中にいるような状態だった。 『あはははははは』 『あはははははははははははは』  それは綺麗な草原だった。  神々しい色に輝く芝。広大で、地平線まで見えていて、遠くに行けば行くほど腐食していた。  空は青色。晴れやかな日差しの雲と青空。  風は腐臭。肉の腐った刺激臭。 「う……」  綺麗な楽園だ。  広くて狭くて死にかけていて。  海に毒林檎を投げたのは誰なのだろう。島の外はすべてが腐敗している。  幼児が描いた混濁のようだった。  神秘と醜悪のコントラストに、ひ弱な優奈は崩れそうになる。  素敵な場所だと誰かが囁く。胸の内に直接喜びの感情を打ち込まれ、けれど皮膚が不快に悶える。  目の前を、愛らしい妖精たちが翔け抜ける。  呼び止める。  振り返った顔はみな蒼白。反面をヤケドに覆われて、でももう反面はイメージ通りの可愛い妖精、ただし血涙。  可憐な微笑に問いかける。  ――ここは、なに?  火傷の反面が醜悪に、可憐の反面が華やかに答える。  ――ネバーランド。子供だけの幸せな国、ですよ。  そう言い遺して、妖精たちは火に包まれた。  耳をつんざく悲鳴が響く。  唖然とする優奈の目の前で、妖精たちがのたうち、焼かれ、燃え尽きていく。  可憐な反面が人形のように場違いな笑顔を浮かべ、呪わしい声で断末魔を叫んだ。  ――死ね、死ね、みんな死ね! 嫌いだ! 消えてなくなれぇぇえええ!  それは誰の心を謳っていたのか。  尋ねる間もなく、妖精たちは一人残らず消し炭になってしまった。 「…………」  それを見て、優奈の胸に感動の感情が打ち込まれた。誰にも見えない注射器で。  すごい。  燃えた。あんなに可愛い妖精たちが燃えてしまった。可愛い。びっくりした。うれしい。こんなの誰も見たことないよ。 「う……ぇ」  踏みつぶしてあげたい。  燃え尽きた跡を無惨に踏みつぶしてあげたい。  そうすればあの子たちも幸せだ。わたしも幸せだ。みんなみんな楽しく死ぬ死ね終われ壊れればいい。  ――そんな自分の思考が分からない。理解できない。自分が誰だか分からなくなりそうだった。ただ、意味もなく嬉しくて、吐き気がする。 『ねぇ、遊ぼう?』 「え……」  唐突に声を掛けられた。  顔を上げる。  見覚えのない女の子。  蒼白な顔に笑顔を浮かべ、黒く染まった眼球から血涙を流している。 『遊ぼう優奈ちゃん。待ってたよ。ずーっと一緒に遊びたかったんだよ』  手を引かれる。  知っている感触だった。腕だ。あの無数の腕たちの中で、いつも優奈のそばにいてくれた子だった。  彼女に手を借りて立ち上がる。  血涙のまま、愛らしい笑顔。  彼女の向こうに、いつのまにか、たくさんの子供たちがいた。 「…………」  子供たちがはしゃいで駆け回っている。  手にはゲーム機。  血涙。  たくさんのプラスチックに囲まれて、笑いながら泣く子供たち。  みんなみんな幸福そうだ。  幸福に決まってる。だって、ここはこんなにも壊れている。濁っている。歪んでいて、変わらず頭にバールが刺さっているような違和感があって。 『一緒に行こう? 好きだよ優奈ちゃん、みんなあなたのことが大好き』  腕をつかまれる。  一緒に遊ぼうと誘ってくる。  返事も聞かずに引っ張られる。  無邪気に、楽しそうに、残酷に。まるで四肢を引き千切られるように。 「ま、待って――わたしはっ!」  取り込まれないように、と誰かが言っていた。 『見て、優奈ちゃん。私のお人形。かわいいでしょ?』  別の子供が立ち上がり、優奈にマリオネットを自慢した。  安い造りのおもちゃの人形。  四肢があちこちを向いていて、壊されていて、そして頭部は小さな優奈。正気を失いかけの朦朧とした、壊れたミニチュア優奈だった。 『首がね、なかなか外れないの。ほら、みて。固いんだよ。ぐりぐりねじってるのにとれないんだよ。外れないの。外したいのに。外れないの。どうしても首が外れないんだよ』  ――耳をつんざく悲鳴が響く。  ごきぼきと頸椎が壊されていく。ミニ優奈の首が。畳まれ、ねじ曲げられ、顔が醜悪に歪んで悲鳴を上げる。  耳を塞いで絞り出す。 「やめ……て……」 『ねぇ優奈ちゃん、一緒に遊ぼう? みんな好き。優奈ちゃんが大好き。だって優奈ちゃん可愛いよ。だから優奈ちゃんで着せ替えしたい。体を。腕の取りかえっこしたい。ね、優奈ちゃんの顔貸してよ。べつにあたまのなか交換するだけでもいいけどね。うしろ割ってどろどろのやつ出して、ペットボトルでみんなと交換』 「いやっ! 放して! さわらないで!」 『ねぇ優奈ちゃん、一緒に遊ぼう?』 『遊ぼう』 『遊ぼうよ、一緒に』  無数の子供に腕を引かれる。  有無を言わさず引きずられていく。  分からない。嬉しい。楽しい。コワイ。  何も分からなくなっていく。  どっちが空でどっちが地面か。  叫ぶ。  手首を折られた。  泣き叫ぶ。  股関節が外された。  血反吐吹く。  口に鉄パイプをねじ込まれた。  折れる。  背骨を柱に体が捻られた。  靴を脱がされる。  小指から一本ずつ丹念に指を折られていく。ぽき、ぱき、ぼき、めきっ。  左膝が逆に。  右脚は回され付け根からねじ切られた。  左腕が重いもので叩き潰される。何度も、何度も、執拗に。  右腕は指先から削られていく。すごい早さでかんなくず。  壊れた絶叫が儚い吐息と吐血に変わった。  頸椎がゴキリと外される。頭を掴んだ手が離れない。ゴキリ、ゴキ、ボキゴキ。外れない。どんなに壊れて目が回ってもいつまでもいつまでも許してくれない。  眼球がえぐり出される感触は怖気がした。  握りつぶされた瞬間に胸が締まった。  死ぬ。  花のように死ぬ。  四肢を曲げられ溶けていく。世界に熔ける。世界が融ける。ただ、視界を覆う無数の笑顔に遊ばれて―― 「やれやれ……取り込まれるなって言ったじゃないか」  そこで、ようやく目が覚めた。  目の前に微笑。  彼の向こうに夜空が見えた。 「……ユウヤ、君……?」 「ああ、おはよう優奈ちゃん。いい夢見れたかい?」  ゆっくり地面に下ろされる。ふらふらと立ち上がり、目の前にいる人物を認識した。 「……ユウヤ君……っ!」  ただ全身が冷たくて。  優奈は、相沢の胸に顔を埋めて震えた。 「おや、刺激が強すぎたのかい? よしよし、君はちゃんとここにいるよ。いましばらくはこのつまらない現実で我慢してくれ」  相沢は上機嫌で優奈の髪を撫でる。優奈は震える唇で、顔も上げられずに声を絞った。  けれどおかしい。あんなのは、あんなのは自分たちが望んだものではない。 「ねぇ……さっきの……な、に?」 「うむ、きっとネバーランドの内部じゃないかな。まだ現実にはなってないけど。どんな夢だったんだい? さすがに夢の中身までは、僕の全域知覚でも視えなくてね」 「…………」  あれが?  あんなものが、自分たちの欲しかった幸福?  相沢は魔法使いに問いかける。 「ま、僕にも大枠だけは視えたよ。要するに、みんなが共通の夢を見てるんだね?」 「ええ」  優雅な声が、歌うように語った。 「あれを空で完成させて地上に落とします。呪いと化した共有の夢は、殻を破って盛大に現実を喰らうでしょう」  また小さく、優奈の肩が震える。  あの夢が現実に?  考えただけで悪寒がした。 「『空間浸蝕』という言葉を知っていますか? 強い呪いは人の意識に幻想を見せたり単体としての半実体を構成させるのではなく、空間そのものに疑似現象を敷くことができるんですよ」  そう言って、魔法使いは穏やかに笑った。  貴族のような空気を纏って。 「しかしすごいね、呪いが呪いと混ざって育ってるのか。初めて見たよ」  くす、と漏れる声を聞く。 「『魔王現象』、と呼ぶんですよ」  優奈は知っている。  あの吐息も本当は氷のように冷たいんだ。 「…………」  そして優奈の不安は、不信に変わった。  ネバーランドの子供たち。  あれはもともと、無数の腕の姿を取っていた子供たちだ。  常に優奈を守ってくれた。  人を傷つけることが出来なくて、だから西通りの時も雛子たちを取り逃がしてしまった、そんな優しい子ばかりだったのに。  なのに、なぜ、悪夢が生まれたのだろう?  おかしい。  あんなの誰も望むはずがない。  優奈も相沢も子供たちも、誰一人としてあんな歪んだ楽園は望まない。  なら、みんなのネバーランドを、影で歪めたのは誰なのか。 「…………っ」  怯える優奈の瞳には、魔法使いの横顔が映った。強く睨みつけるが、ニタリと怪しく口元を歪めて微笑みかけてきた。 「ユウヤ君――!」 「え? なんだい優奈ちゃん」  意を決してユウヤに話そうとするも、音も立てず割って入った魔法使いに遮られる。 「お話の途中にごめんなさい。……視えてますよね?」 「ああ」  相沢がアイスピックを回して逆手。渦巻く双眸に不快感を浮かべる。 「邪魔者が来た。僕らの未来に楯突く奴らが」  一気に表情から温度を失った相沢が、学園の入り口に向かって歩き始める。 「ユウヤ君、待って! 話が!」 「安心して、優奈ちゃん。僕らのネバーランドを邪魔する奴は僕がすべて引き受けるよ。話ならそのあとで、いくらでも聞こう」  相沢は足を止めない。  魔法使いは、微笑する。
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