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校門前には、風の音だけが取り残された。
「はぁ……っ! はぁ……っ!」
雛子は崩れ落ちそうになりながら、額の汗を乱暴に拭った。
予定外の消耗だった。
じっと、幻想の汗を吸い込むアスファルトに顔を向ける。直視するのが恐かったから。チラリと視線だけで林を盗み見た。
「…………」
破壊の爪痕。戦場のようだった。芝生が抉れ、木の枝が折れ、幹も傷だらけで――そして一人、林の奥で倒れたままの少年がいる。
「ねぇ……大丈夫……?」
恐る恐る声を投げた。だが返事はない。ぴくりとも動かない。少女の声は夜によく反響した。
雛子の胸に、冷たい不安が注がれていく。
「大丈夫……だよ、ね? 気絶してるだけ……だよね?」
答えはない。
意識がないからだろう。
しかし呼吸している気配さえないのは、一体どういうことだろう。
「先、行くから! あとでちゃんと追っかけて来てよ! 起きるんだよ! 絶対、絶対だからねっ!」
不安を振り払うように、雛子は叫んだ。
返事を待つ。
だが少年は一向に、指一本動かさずに倒れたままだった。
「…………」
少女は迷った。
駆け寄って無事を確かめるべきか、一刻も早く前に進むべきか。
「……大丈夫……ぜったい大丈夫、そうだよ気絶してるだけだよ……頭なんか打ってない、きっと、たぶん……大丈夫……」
弱々しく自己説得しながら、少女は校門の方に歩き始める。頼りない忍び足で。
しかしそれも、三歩で止まった。
「…………」
振り返る。
立ち止まった時点で無理だった。雛子は三歩を引き返し、駆け足で少年のもとに駆け寄った。
林の中に少女の足音が淋しく響く。
少年の首に腕を回し、抱き起こそうと引っ張り上げる。
「ああ、もうっ! あたしのバカ、やり過ぎだよ絶対……ごめん、ホントにごめんね。ぜったいめちゃくちゃ痛かったよね――」
だから完全に無防備だったその腕を――――俺はがっしと掴み返した。
「!?」
「捕まえた」
目を見開いた少女の背後に、目映い閃光が音を立てて膨れあがる。
「くあっ!?」
轟音。
周囲が閃光と爆煙に包まれる。一瞬後に降り注ぐ土砂。
容赦ない爆発圏の外に転がり出ながら、俺は、林のどこへともなく怒鳴り付ける。
「おい、打ち合わせと違うぞコラ! 威力抑えろって言っただろ!? せっかく捕まえたのに!」
その声に、森のどこからか返す声が飛んできた。
「うっさい! 黙って走れこの無能!」
「無能で……すいません、ねぇッ!」
引きつるこめかみを無視して、俺は真っ直ぐ駆け抜けた。
破壊跡の林の中を。
戸惑う雛子の双眸に向かって。
「な、何!? いまのなに!?」
「フン――」
腕を伸ばす。
再度捕まる寸前で少女は混乱を振り切り、俺の懐をすり抜け逃げる。
「くうぅッ!」
追い縋ろうとする俺に向かって、腕を振り上げる。
その瞬間に俺は笑った。
「……ああ、地盤沈下だな」
「うっ!?」
雛子は寸前で後退をやめた。
ずどんと嘘のように陥没する地面。一瞬にして直径二m、深さ三mの穴が林に、雛子のすぐ背後に現れていた。
まるで雛子を飲み込もうとするように。端からみたら怪奇現象だろう。
「な、何!? なんなのさこれ――!」
「そこッ!」
林に女の声が響いた。
答える弾丸はあまりに奇怪、草むらをかき分け飛び出す小動物。
「ひぁっ!?」
思わず腕を振るい、二匹を叩き落とした。だが一匹は雛子の腕に張り付いている。
「な、うそ、ウサギ――!?」
放つ閃光、結果は三連爆発。
轟音が少女を吹き飛ばし、林の地面に投げ飛ばす!
「うあっ!」
ずしゃしゃしゃと芝生を派手に滑らされる少女。さっき飛び出した小動物三匹、ウサギのぬいぐるみが連続爆発したのだ。
俺は闇に向かって吐き捨てる。
「おい美空……三度目はないぞ、次からはちゃんと威力抑えろ。じゃないと本当に殺す」
「いいから早く捕まえなさいっ!」
「おう」
俺の隣の木から垂れ下がる、赤色の糸があった。
それを思い切り引っ張ると、林のどこかで奇音が鳴る。がしゃきん
「っ!?」
八方向。
コウモリのように、何かが雛子へと襲いかかっていく。鋭い、手裏剣のような風切り音が八枚。
「く――ああっ!」
ずがん、ばきんと衝撃波で打ち落とす。残り六枚は外れた。
地に落ちた破片を見て雛子が声を上げる。
「何よこれ――CD!?」
「オーイエス、うちの家の廃品どもさ。加工してるから当たるとそれなりに痛いぞ。ほれ」
「ぐぅ!」
俺が左隣の青い糸を引くと、今度は十六方向から襲いかかっていく。
雛子は円盤射撃の中心から走って逃れ、弧を描いて俺に突撃してくる。だが。
「うぐっ!?」
派手な音を立てて転んだ。
草と草を結んで作った足輪に引っかかったのだ。
「美空!」
「あいよッ!」
ここぞとばかりに三度目の爆破ウサギ。
転んだ雛子の頭上から、五匹のぬいぐるみが飛びかかっていく。
「~~~~~っっ!!」
止めどなく連打される閃光と爆風。
煙に飲み込まれて、雛子が姿を消した。
「………」
風が爆煙のカーテンを拭い去る。
残ったのは、ボロボロになり、それでも立っていた少女が一人。
「う……ぐ……はぁ、はぁっ!」
――まだ倒れないのか。強いな。本当に手強い。
雛子は俺を睨み付け、苦しそうに声を吐き出した。
「なに……よ、これ……っ! どう、い、う……!」
右手を掲げる。
どこからともなく俺の短刀が飛んできて、手に収まった。この林に身を潜ませている仲間が投げたのだ。
「……俺はな、狩人としては何の能力もない。特技もなければ、尖った才能もない。完全な無能力なんだよ」
短刀に映った、自分の無気力な夜色の瞳を見返す。
そこには諦念しかない。
「何のスキルもない以上、できることといえば小細工くらいだ。それも無能力の範疇に収まるような、平凡な小細工程度。日曜大工は嫌いじゃなくてね。DIYって知ってるか?」
「だから、それが、何!?」
雛子は、混乱していた。転びそうになりながら叫んでくる。その姿は、まるで戦士のようだ。
対する俺はといえば、いつまでも無気力な笑みを浮かべる道化でしかない。
「俺は自分の実力を信じない。アユミと訓練しても全戦全敗してるくらいでな。強くない。強くない以上は、すぐ道具に頼るし、人に押し付ける。そう――――お前がここへ来るのは分かってた。実力不足の俺は、お前という呪いを獲得した亡霊が相手になると分かった瞬間、とっとと格上と決めつけて引きずり下ろすための準備を始めたんだ」
「引きずり、下ろす……?」
「簡単だ、小細工すればいい。時間をかければ仕掛けなんざいくらでも作れる。だから、ひたすらに作り込んだのさ。穴を掘り、人を雇い、異常なくらい大量に罠を仕掛けて――」
ザ、と地面を踏みしめる。俺にとってはすでに馴染みの土だった。
「――――そうやってほんの数時間前、この林を俺の罠庭園に作り替えたんだ」
そうして俺は、吹き出す風を背に浴びた。魔境の咆吼が夜空に上がる。
「う……そ……?」
雛子の双眸が、愕然と、周囲を見回した。
夜の陰で煌めく糸。
芝の色が不自然な箇所。
地雷じみた剥き出しのスイッチ。
草むらに紛れて光る金属。木の幹に巻かれた導線。木の葉の隙間から顔を覗かせる射出機。
圧倒的な物量。
この林のすべてが、立ち尽くす雛子一人に向けられていた。罠も、人件費四千円の俺の仲間も。
「…………死んだふりして……あたしを、騙したんだ……」
そうだ。途中で計算外はあったが、この場所に、罠庭園の真ん中に引き込む流れのすべてが誘導だった。
雛子の肩が震え始める。
上げた顔は、ただ悲痛だった。
「…………ひどい……ひどいよ…………こんなの卑怯者のやり方だよ……っ!」
涙ぐんだ視線を、静かに見返す。
「あたしは失くしたくないだけなのに……優奈ちゃんを取り返したいだけなのに……なのにどうしてこんなことするのさ! やめてよ! いじわるしないでよ!」
「……」
梢が揺れて淋しげに鳴る。
雛子はゆっくりと座り込んだ。地面の芝を握りしめる。
「優奈ちゃん……優奈ちゃん、優奈ちゃん……!」
縋るように繰り返す。かすれた声で。
失くしたくない。
その気持ちは分かるさ。
「でも――――ここは、通せねぇよ」
ネバーランドへ続く道を遮るように、俺は立ち塞がる。
いじわるでも卑怯者でもいいさ。何通りもある最悪の結末に比べれば、よっぽどマシだ。
「……もう、いい……ぜんぶ、嫌、い……」
そして雛子は止まらない。
意地でも友達を取り返す。そういう娘なんだ、こいつは。
「あた、しの……邪魔……」
目元を拭う。
身をかがめ、少女はとうとう決死のスタートを切った。
「するなあああああああああああああああ!!!」
「つ――!」
直線特攻。
速い。
目を見張る俊足だった。
「うあ――!」
だが、穴に足を取られて転んだ。
地の利はこちらにあった。圧倒的に。雛子の知らない無数のトラップがそこかしこに敷き詰められている。もはや戦闘にさえならない。一方的に追いつめるだけだ。
「いやだ……あたしは、絶対に……!」
だっていうのに。
「優奈ちゃんを、取り返すんだぁああッ!!」
すぐさま立ち上がり、絶叫しながら駆け込んでくる。擦りむいた膝も意に介さず。降り注ぐトラップの雨のただ中を。
「チィ――!」
迷いのない瞳。
あの勢い――止められるか……?
「銀一! 美空!」
「そこかぁぁあああっ!」
雛子の衝撃波が炸裂する。俺が叫んだ方向に。
「この馬鹿! 敵に狙撃手の位置知らせる前衛がどこにいるのよ!?」
「はは……っ!」
痛恨のミスだった。返す言葉もない。
「ああああああああああああっ!!」
対して、少女はただ懸命に駆け込んでくる。
もはや爆発も意に介さない。
衝撃を受け、横殴りの風に煽られても構わずに走り続ける。あまりにも勢いある突撃だった。
「――――」
真っ直ぐすぎる瞳に目を細める。
「渡すもんか! 優奈ちゃんは、友達だけは! 誰にも奪わせるもんかああああっ!!」
そも、この小さな戦士が誰に止められるというのか。それは技巧も経験も持たない、ただ必死なだけの、だからこそ気迫に満ちた特攻だった。
友達を取り返す。
生半可では止まらないだろう。
そんな強い意志の前に、俺はとうとう短刀を投げ捨てた。
「しゃーない…………いい加減、腹括るか!」
拳を打ち合わせ、真っ直ぐに駆け出す。
この位置の手動トラップは品切れだ。刃物を使うわけにもいかず、ぬるい狙撃では意味を為さず、もはや頼る物は拳しかない。
年上の男が襲いかかってくる。
小さな少女がどれだけ恐怖を感じたかは言うまでもない。
それでも、少女の勇気は微塵も揺るがなかった。弾丸のように、駆け抜ける。
「うああああああああああああああああっ!!」
「――――」
そして交差する。
激突の瞬間に。
「っ!?」
雛子の足下で、何かが破裂するような音を聞いた。
躓く。
目を見開く。
勢いのままに、交差する。
何かの間違いで訪れた好機に、俺は身をかがめ、一気に懐へと滑り込んだ。猫のように捕まえる。
「いやだ、放せ! あたしは! あたしはあぁっ!」
「……悪いな。眠れ」
抑えた打撃の音が鳴る。
それでも雛子は抵抗しようとした。
「やだ……優奈ちゃん、優奈ちゃ……ん……」
瞬く間に眠りに落ちていく。
それでも、少女は、最後の一瞬まで前に進むことをやめなかった。
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