#003 / 天使-Never Land' III-

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「う、ぁ……!」  宝生優奈は、タイルの地面に手をついて声を押し殺す。  熱い。  背中が、背骨が熱を持ってみしみし軋む。誰に何をされたわけでもないのに、唐突に痛み始めたのだ。 「ひぐ……あ……っ!」  肩を寄せて震える。  まるで腐り落ちるように。あるいは、新しく生まれてくるように。木でも生えるのではないかと困惑しながら、唇を噛みしめて耐える。  優奈の背中から滲み出す、黒色の半透明。どうしてか脳裏に、強く誰かの声が押し付けられていた。 「雛子、ちゃん……?」  まるで耳元で聞こえるように、吉岡雛子の淋しそうな声が響いている気がした。 「…………おやおや。共鳴ですか、魔王現象じゃあるまいに」 「っ! あぐ……!」  這い蹲りながら、きつく魔法使いを睨みつける。 「――わたしに、何をしたんですか」  そんな詰問にも、魔法使いはふわりとおかしそうに笑うだけだった。 「私のせいにされても困ります。何もしていません。自然現象ですよ、共振なんて。よくあることです。放って置いたら、内側から破れて死にますけどね」 「ッ!」  優奈の双眸に怒りが混じる。  魔法使いは不思議そうな顔を浮かべた。 「あれ……面白くなかったですか? 残念です。とっておきの冗談なのに」  それっきり、踵を返して歩き出す。  優奈は身体を起こし、噛み締めた歯の隙間から声を発した。 「どこ、に……ネバー、ラン、ド……は」 「作業は万事、滞りなく終了しました。あとは熟すのを――いえ、腐り落ちる(・・・・・)のを黙って待てばよろしいかと」 「うぐ、うぅうううっ!」  少女は苦痛をおして、身を震わせながら立ち上がった。  その必死な姿を見返して魔法使いは目を細める。嗜虐的な視線で。褒美を与えるように、足を止めた。  ふらふらの優奈が、それでも強く声を突き付ける。 「ユウヤ君の、夢……ちゃんと、叶え、て……!」 「社会見学したでしょう。大人の世界は厳しいのです」 「ぇ……?」  魔法使いは優奈の目の前に現れ、白い顎に指を這わせた。  あくまでカタチは微笑だが。  形容しようもないほどおぞましい瞳が、そこにあった。 「――そう。無償で夢を叶えてあげるなんて言われて、疑わない方がバカなんですよ。子供なんです。そんなだから騙されて、愛する子たちをあんなことに使われてしまうんです、あの人は」  白。  優奈の顔が、白く染まった。 「……な……ぇ?」 「あのまま放って置いたら子供たちは汚染され、完成と同時に意志のない『物』に成り下がるでしょう。分かります? あれ、コンセプトは確かにネバーランドですけど、方向性は『虐殺』という定義になるよう、呪いを捻じ曲げておいたんですよ。永遠の幸福? ありえません。所詮は使い捨ての模造品(まがいもの)ですから。みんな殺してハイおしまい」  愛おしそうに、崇拝するように魔法使いは空の魔物に腕を伸ばした。  優奈の胸の中で、何かが、ガラガラと崩れ落ちていく。  ネバーランド。  一緒に叶えようと誓った願い。  背中合わせだった彼は、いま、みんなの願いを守ろうと命がけで闘っているのに。なのに肝心のネバーランドが――虐殺? 使い捨て? 幸福は、夢は希望はどこへ行った? 「それではさようなら、優奈ちゃん。いっそ楽にしてあげてもいいですが、面白そうなのでそのまま痛み続けて下さい。身も、心も」  ――ようやく、裏切られたのだと理解する。 「ぅ……あ、ああっ!」  掴みかかろうとするが、躱され、踏み止まれずに倒れてしまった。  地面に爪を立てる。  ぽたぽたと落ちていく。  踏みにじられてしまった祈りの欠片。  また裏切られた。  大人に。  壊されて、何ひとつ叶えられないまま、気が付けばすべてが終わりに向かっていた。  ――激痛が、少女の身体を蝕んでいく。 「……そうそう。さっき、『ユウヤ君の願い』と言いましたね。なぜ『わたしたち(・・)の願い』とは言わなかったのでしょう。――――ねぇ、ユウヤ君のお友達の、優奈ちゃん……?」  優しく残酷に微笑んで、それきり魔法使いは消えていった。 「知らない……そんなの知らない……知らない、知らない……っ!」  一人悪夢の真下に取り残されて。  悪夢は秒速で膨らんでいて。  呪いにまみれた嵐の中で、少女は泣きながら、叫んだ。 「ユウヤ君……ユウヤ君、ユウヤ君ユウヤ君ユウヤ君……!」  立ち上がることも出来ずに、身体を引きずって這う。だが――遠く、大切な人の苦鳴が聞こえてしまった。 「―――――、」  声もなく、表情もなく。ただ涙だけが滂沱と溢れた。  壊されてしまった幸福の、最後のひとかけらまでもが、無惨に千切られ消えていく。 + 「――六道沙門ッ!」  アユミの奥の手、間隙のない超高速連撃が爆竹の速度で炸裂する。 「が、は──っ!?」  怪力任せの亜音速、人体の反応では防ぐことも躱すことも叶わない。貪欲に風を食うような音は、防御など考えるほうが頭がおかしい。紙屑のように吹き飛ばされて、相沢ユウヤは地面に落ちた。 「……が……ぁ」  額から血が落ちて、顔を渡り、視界を朱色に染め上げる。  全身が麻痺している。激痛が意識を軋ませる。赤に塗られた夜の中で、目の前に突き付けられた銀の鋼だけがよく見えた。 「……終わりだな、予知能力者」  雨夜の瞳の魔女が見下ろす。  相沢の眉間に日本刀を突き付け、お前の敗けだと宣言してきた。 「…………は?」  愕然と、その意味を繰り返す。  負けた。奪われた。守ることが出来なかった。  左腕を動かそうとする。  力が入らない。  いますぐに立ち上がって、こいつらを殺さなくてはならない。なのに視界が明滅するだけで、立てない。抗えない。それが何より腹立たしかった。 「脆い……脆い、脆い脆い脆い脆い脆い脆い脆い!!」  口の端から血を吹き零し、相沢は怨嗟の声を吐いた。 「どこだ魔法使い! どこに行った! 姿を現せ!」 『はい、御用ですか?』  声だけが、頭の中に反響する。十分だ。 「こいつらは危険だ! このままでは突破されてしまう! 僕の! 子供たちの! みんなの願いが奪われてしまう!!」  相沢の双眸が、悲痛に歪んだ。 「助けてくれ……こいつらを砕く力が欲しい……どうしても、どうしても……!」  眉間に触れる切っ先も無視して、震える上体を無理やり起こす。  黒セーラー服の魔女を見上げる。 「守るんだ……じゃないとまた殺される……優奈ちゃんが刃を向けられ、怯えながら二度目の死を強いられてしまう……」 「待って! わたしたちはとっくに、あの子には手を出すなって命令を受けて――」 「黙れ! 誰が騙されるか! 子供たちの祈りを壊そうとする、お前の言葉など信じられるか!」 「……っ」  アユミは、血に濡れた自分の両手を見下ろした。  狩人見習い、高瀬アユミ。訓練以外で人を傷つけるのは初めてのことだった。 「優奈ちゃんは……あの子はもう、暴力を受けてはいけないんだ……今度こそ心が壊れてしまう……」  相沢の手が、日本刀の切っ先を握りしめた。強く、強く。 「守るんだ……死んでも守りきる……絶対に、絶対に……ッ!」  取り憑かれた鬼の双眸に、魔女がわずかに後退した。 「吉岡雛子だって同じだ……奪った分は必ず返す! 殺した分を返せと言うならこの首を差し出す! 僕の命は、復讐を願い残った彼女のものだ!」  投げ捨てるように、切っ先を払いのけた。 「だから! この身が砕けようも、彼女たちの祈りだけは叶えてみせる! 赦しなどいらない、倫理も道徳も破り捨て血をかぶることも構いやしない! 神がいるなら引き裂いて殺してやる! あの子たちを未だ虐げ続けるこの世のすべてが罰を食らい、死ね!!」 「っ!?」  魔女が、跳躍して距離を取る。  上空から呪いの帯が降りてくる。相沢を巻き取り、壊れた肉体を修復していく。 「お前たちはバケモノだ……なぜあんなにも無垢な子供たちを守ろうとしない!?」 「ふざけるな――」  魔女は厳しい顔で叫び返した。 「悲劇などどこにでもある! 聞け、相沢ユウヤ! お前は方法を間違えている!」 「黙れ! ありもしない方法を探してる間に人は終わる! どれだけ抗ってみても心が殺されるだけだろう! 机上の空論で人は救われない!」  赤黒く血管のように染み渡る。  全域知覚の呪いに混じって、別の呪いが空間に伸ばされ始める。偽・魔王現象の庇護が、相沢を強化していく。 「僕はひとつとして忘れはしない! 奪われ死んだ子供たちの顔をひとつとして忘れはしないッ!!」  泣くような声で、ネバーランドの王は告げる。 「何も知らずに死んでしまった……恋も、夢も、希望のひとつ、会話の端に上る冗談のカケラさえ知らずに死んでいった……みな消えていった! 絶望のただ中で! いまだに墓にさえ埋められない子供もいる! 何故だ!? 何故あの子たちが奪い去られた!!」  子供が、殺される。  雨のように死体が降り注ぐ。  ゴミのように捨てられ、始めからなかったことにされる。  魔王現象の影響で、そんな脳内映像が現実に投射されていた。  影のように嗤う、歪み壊れた大人の姿も。 「魂に染みついた歪曲……子の魂を折ることを愉しみとする屑のような親……現代の病魔……そんな言葉で片づけられていく命。おもちゃなんだよ……みんなおもちゃのように捨てられていく! 今日も明日も、延々と、壊れた骸が積み上げられていく! 終わりはない! この世には永遠の絶望が約束されている!!」  とうとう、敗北したはずの予知能力者が立ち上がってしまった。 「いいか、これは現実の話だ。無垢な子が死に、死ぬべき歪んだ大人たちが生きている。死ぬべき者たちがいる……生きるべき子たちがいる……逆だろう、間違っているだろう――――――――――――――――――――――――――ならば反転させてやる」  上げられた双眸は渦巻く混沌の赤と黒。  憤怒の呪いが、アユミと魔女に向かって叩きつけられた。呪いの波紋が駆け抜け、世界を侵食していた。 「この地に永遠の島を! あの子たちに終わらない幸福を! ――――――加害者に与するお前たちは(・・・・・・・・・・・・)誰よりも強く呪われて死ね(・・・・・・・・・・・・)!!」 「チ――アユミ! 逃げろ!」  瞬く間に周囲は、呪いの底に沈んでいた。  二メートル先も見えないほど濃く汚染された一帯。歪む視界、壊れる色彩。脳を犯す絶望の幻覚。うねる絶望の沼の底で、相沢ユウヤは、狂気の笑みで呪いを発動させた。 「……無限地獄を与えてやるよ」 ――“呼声(ヴォイス )”。  その瞬間に、魔女はかくんと地に伏した。 「……あ?」  右足に力が入らない。  遅れて、徐々に熱が込み上げてくる。箇所は膝だった。燃えるような熱が迸り、関節が神経が剥き出しにされる感触に変わり、最後は脳まで沸騰させる激痛へと相成った。 「が――ぁぁっぁぁぁああああああああああっ!?」  目を見開き、視線を下ろす。  無い。  切断されていた。  右膝から下が、潰れた切り口を最後に消えて無くなっている。視認した瞬間に、神経は更なる苦痛を削り付けてきた。ガリガリと。みしめきと音を立てて、今度は逆の足が、見えない何かに切り落とされていく。  耳に、誰かの幼い声が聞こえた。  ――たすけて 「ぃ……あ……」  アユミは、地面に引き倒され、気管を押し潰されていた。  呼吸が出来ない。  ゆっくりとじっくりと、喉元で静脈を封鎖された脳が、内側から血液に圧迫されていく。  どくん。  頭の中の太い血管が脈打つ。  どくん。  少しずつ少しずつ、意識が赤く塗り潰されていく。  酸素が欲しい。  呼吸がしたい。  目の前の相手を振り払えばいい。だが、いない。姿の見えない以前に、どこにもいない誰かに首を絞められているのだ。外しようがない。  だから、たっぷりと、時間を掛けて絞め殺されていく。  苦痛をねっとり味あわされるように。  窒息死は無惨だ。という知識が、徐々に溶けていく意識を掠めた。眼球の毛細血管がぴきぴき電気でも受けているような感触。末端破裂。次第にあのウサギの目になるのだ。  壊れていく視界の中で、アユミは、相沢に詰問の視線を投げつけた。  何層もの呪いの向こうで予知能力者は皮肉そうに言った。 「死の苦痛だよ。幻覚再現。彼らが死んだときに味わった苦痛」  アユミの耳に、五十人分の呼び声が飛び込んで、鼓膜を潰そうと暴れ回る。頭蓋を撃ち抜くように反響し、内側から責め立てる。 『たすけて――たすけて、たすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけてたすけて!!!!!』  脳裏に弾ける顔は無数。  黒い眼球、血涙まみれの子供たちの幻覚。実在の亡霊の渦。声を上げようとして、しかし首を絞められているので叫び損ね、喉を傷めるだけだった。 「これから少しずつ、ゆっくりと、時間を掛けて何十人分も体験させてあげるよ。何日でも何週間でも何ヶ月でも何年でも。繰り返し繰り返し繰り返し、気が狂っても正気に戻して。生きながらに死の苦痛を与え続ける。永遠に家畜として飼ってあげるよ。子供たちの目に付かない、ネバーランドの地下奥深くで」  嬉しそうに、予知能力者は拷問を強いる。  アイスピックの先端が地面に。 「泣いて謝ってひれ伏すといい。だが、それで子供たちは大人に許されたか? ……彼らは許されなかった。死ぬまで暴力を強いられた。だから、僕も、許さない」 「ほほぅ。そりゃいい悪趣味だねぇ、相沢ピーターパン殿」 「!」  即座に、全域知覚が危険を訴えた。  首を逸らす。  頬を掠めて、野球ボールが夜の中庭に跳ねた。 「…………」  不服そうな双眸で、相沢は呪いを解除した。  空間が清浄を取り戻す。  ちゃりちゃりと響く金属音。片ピアスに茶髪の少年狩人――羽村リョウジが、場違いに軽薄に笑って、悠然とアユミの前に立つ。 「しっかりしろよアユミ。やっと俺にも見えたんだぜ、答えが」  アユミは激しく咳き込んだ。  喉を押さえながら、それでもいつもの笑顔で見返す。 「そう……意外と、簡単だったでしょう?」 「ああ。しかしお前は本当に鋭い。アユミじゃなきゃ気付かなかったろうな、あれは」  くるくると短刀を回し、相沢に向き直る。夜に光る黒曜石の双眸は、いつも通り気怠げだった。 「さて……んじゃま、いっちょ気合い入れて…………む。」  少年は、夜空に浮かぶ巨体を見付けた。  魔王現象『ネバーランド』。  おぞましい怨念の渦、いまにも地表に落ちそうな絶望。  間近で見ると迫力が違う。ただ立っているだけで幻聴に脳を侵食され、正気を吹き飛ばされそうになる。 「はぁ………………」  羽村の死んだ鳥類の目が、いっそう沼底のように沈んでいく。  頭上に魔王、目の前には苛立った様子の予知能力者。その双眸は渦を巻き、全力で羽村を縊り殺そうと輝いている。呪いの触手が蜘蛛の巣の如く張り巡らされているのを見て。 「…………死ぬよなぁ、俺。」  誰にも聞こえないように、絶望した。  
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