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だぼだぼの白シャツに身を包んだ女の子が、私の目の前に立っていた。
「……うおぉ」
「え?」
風呂上がりも相まって、上気した頬のいぢらしきかな。
私・桂智花が貸してあげた、間違って買ったLサイズがこんなにも似合うだなんて。
ふとももの真ん中まで届くシャツの裾。短めのスカート。そこから見上げて細い腰、華奢な肩、そして最後にまだタオルで拭いている途中の赤い髪。
赤。鮮烈な赤。
ついさっき雨の中で出会った女の子、高瀬アユミ嬢がそこにいた。
「……アユミちゃん。ちゃんとお湯に浸かって十億秒数えてきた?」
「えぇと……あの、そんなに数えてたら日が暮れて朝になってまた日が暮れちゃうと思うな」
苦笑いした顔までどこかお上品。きっと白ロリとか着せたら天使だろう。頬を掻く少女にそんな幻影を重ね、小さく微笑む私なのでした。
「うん、そんだけ言えれば充分だね。家に着いた時なんてもう青白かったもん。だめだよ、雨の日はちゃんと傘差さないと」
+
「──だめだよ、雨の日はちゃんと傘差さないと」
そんな言葉を掛けてくるこの人は誰だろう。
名前はさっき聞いた。桂智花さんというそうだ。でも。
「うむうむ、よく似合ってるよ本当。そそるね。やばいね。吐血しそう」
「……えーと……」
わたし・高瀬アユミは少し混乱していた。
初対面どころか、道端で出会っただけの他人さんのはずなのに。シャワーに服に、なんでこんなにお世話になっているのだろう。
さっきまで先生の指令で野良猫にミルクをあげていたんだけど、実は何の作戦なのかも聞かされてない。
以下回想。
先生『髪の長い高校生。以上』
わたし『はい?』
回想終了。指示はこれだけだった。雑にもほどがある。
ただ、智花さんは、指定された特徴に合致してはいるようだ。
「はい、アユミちゃんの猫。この子もめちゃくちゃかわいいね、すっごい人懐っこいんだよ。ほらほら」
両手で猫を差し出して、満面の笑顔で見上げてくる智花さん。猫は好きだ。癒される。
「……本当だ。かわいい」
白猫の頭を撫でていると、嬉しそうに声を上げてこっちに前足を伸ばしてきた。
猫には懐く子と懐かない子がいるけど、こんなに懐きやすい子は滅多にいない。小さい頃近所でたまに見掛けた子以来だ。
彼もしくは彼女を受け取って胸に抱き、勉強机の椅子を借りて腰を下ろした。
改めて見回した智花さんの部屋は、なぜだろう──かすかに、見覚えのあるような気がした。
勉強机があって、それなりに家具があって、目立つものといえば大きな本棚を埋めている大量の本とCD──それと、本棚の前に立てかけられていたぴかぴかのエレキギターを見付けた辺りで理解した。
羽村くんだ。
この部屋、羽村くんの部屋に似てるんだ。
もっとも彼の部屋はもっと簡素で、もっとCDがあって、あとギターはアコースティックで埃をかぶり、弦が切れたままだったりするんだけど。
「雨……止まないねぇ」
ぽつりと智花さんが呟いた。
窓の外は相変わらずの薄暗い天気。これは夜まで止まないかも知れない。
智花さんはゴツゴツしたヘッドフォンを首に掛けたままベッドに腰掛け、ずっと音楽を流していた。
お気に入りの『クリアレイン』という曲だそうだ。本当はスピーカーで流したいんだけど、このまえ壊れてしまったんだとか。
ほんのりと茶に染めた長い髪と、浅緑の薄手のパーカーにごく普通のジーパン。ラフな格好だけど、ヘッドホンもセットで、なんだか飄々とした智花さんにはよく似合っていた。
「しゃーない、もうちょい雨宿りして行きなよ。あ、でも帰りたくなったら遠慮なく言ってね。ちょっと大きいだろうだけど、服ならいくらでも貸したげるからさ」
男勝りな笑顔の、少し変わったお姉さん。智花さんの第一印象はそんな感じだった。
+
テーブルの上に乗せられた日本茶と水ようかんの皿。わたしたちは特に盛り上がるわけでもなく、のんびりゆったりと雨が止むのを待っていた。
「へぇ……その年で学校には行ってない、と」
「うん。いろいろ複雑な事情があって」
「で、親はいないと。三人孤児で集まって、支え合いながら家族のように生きてる」
「そうだね。そんな感じ」
「ふ~ん……?」
しばし考え込むように、窓の外の雨を見た。怪しまれているだろうか? 先生には、嘘を吐く時は真実を混ぜればいいと教わっていたのだけれど。
だけどそんな心配は的外れ――再度口を開いた智花さんは愉快そうに笑っていた。
「おもしろい──変わった家だねそれはまた。ああいや、おもしろいってのは興味深いって意味ね? 私みたいな自堕落なだけの環境じゃないっていうかさ、いいね、いいね、なんか楽しそう」
そう言って、何か天啓を得たように深々とうなずいている。
変わった人だった、けれど。
「……そうだね。確かにいまの家、けっこう楽しいのかも」
羽村くんがいて、先生がいる家。きっと普通とは違う環境だけど、それはそれで「おもしろい」のかも知れない。現にわたしはいま、毎日笑って暮らすことができている。
――――まるで、それ以前の過去なんて忘れたように。
「うんうん、羨ましいねそーいうの。仲のいい家族ってさ、憧れるよ」
わたしを見る裏表のない笑顔。なんとなく、智花さんがどういう人なのか分かってきた気がする。
智花さんの目は、たぶんいつも何かを探してるんだと思う。
「…………」
本棚に目を向けると、智花さんが集めた本のコレクション。ジャンルの統一性なんてまるでなくて、法則性がちっとも分からなくて、だけどその方が彼女らしいような気がした。
「……ん。アユミちゃん、どしたん? そんなにみつめて」
不思議そうに見返してくる。
理解できた気がした。智花さんが、見ず知らずのわたしなんかを連れ帰った理由。
「智花さん、どうしてこんなによくしてくれるんですか? 初対面なのに、シャワーと洋服にお菓子まで。どうして?」
「ん? 理由? 理由か、むぅ……また難しいこと聞くねきみ」
えーとなんだろう、親切心? ひとめぼれ?
なんて呟きながら言葉を探す姿はどこかおかしかった。
だけど一通り逡巡してようやく見付けたのだろう。ぽんと手を叩いて、智花さんは言ってきた。
「そりゃねアユミちゃん、わざわざ雨ん中で野良猫の世話なんてしてるキミが、なんていうかその……『おもしろそうだった』から、つい」
たははと揺れるヘッドホン。
なんとなく、雨の音が陽気に軽快になった気がした。
「お。アユミちゃん、メールだよメール」
「え?」
勉強机に目を向けると、確かにわたしのケータイが震えていた。
・送信者:羽村くん
・件名:生存確認
・本文:生きてるかい。なんかあったら電話しろよ。
「あ──智花さん、わたしそろそろ帰らないと」
「ん、家の人? そっか分かった、ちょ~っと待っててね。アユミちゃんに似合いそうな服探さないと」
立ち上がってクローゼットを漁り始めた。なにやら気合いが入っているような。
「あ、あの、てきとーなのでいいよ? 雨だし、あんまり綺麗な服借りたら悪いし……」
「なに言ってんのアユミちゃん。いい? キミはいまから十五分間、私の着せ替え人形になるんだから。大人しくそこに座ってなされ」
びし、と何故かVサインを向けられる。よく分からないけど、なんだか大変な十五分になりそうだ。
ひとまず羽村くんに返信して、膝の上で眠っている猫を撫でながら待つことにする。
「…………」
暇を持て余していると、勉強机の写真立てが目に入った。
写真立ては全部で三個。そのどれもが同じメンバーで、男の子と女の子の五人組だった。
その中には智花さんもいる。
場所はどこかの廃工場。
どの写真もみんな笑っていて、とっても仲良しそうだった。気のおけない仲間という感じがして、ちょっと羨ましい。
「この写真って智花さんの友達だよね」
「ん~? ああ、それね……」
服探しの手が止まった。
静かな、とても穏やかな――あるいは穏やかすぎるような目をして。
窓の外の青く澄んだ雨を見ながら、智花さんは遠く祈るように呟いた。
「…………私たち五人はいつも一緒だった」
──わたしの錯覚じゃなければ。
その横顔は、虚ろなくらい淋しそうだったように思う。
「うん。今度、アユミちゃんにも紹介するよ!」
そう言ってこっちに視線を戻した顔は、元通りの明るい智花さんだったけれど。
雨は、まだ、降り続けている。
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