#004 / 雨詩-Clear rain'-

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 さて──とひとつ息吐いて、俺・羽村リョウジは顔を上げた。 「……」  現在、野外で張り込み中。  アユミの方は桂智花の家に友人として尋ね、ごく自然に泊まっているそうだ。 「……なるほどねぇ」  あまりに効率的でうなずくしかない。  要領がいい。ざばあああと雨が降る寒空を見上げて、一人で憂鬱になる無能こと俺だった。 「くそ……寒いな」  秋ですよファッキン。  秋の夜を舐めてはいけない。夏の残照などどこへやら、夜になれば普通に冬と変わらない。  そんな夜に道端で傘を差し、捨て猫よろしくな感じに物陰で身を縮こまらせる心境はただひたすらに情けない。  ひとつマッチを擦りましょう。火の中に見るは暖かい団欒の光景。チ……アユミのやつ、あったかい布団で眠るんだろな。 「……」  張り込み対象、中林俊彦宅に動きはない。灯りも点いていない。そりゃ深夜三時ともなれば一般家庭は就寝だろう。中林俊彦も夜までは桂智花宅で遊んでいたようだが、0時頃には帰ってきたことだし、日が昇れば学生は学校に、父親は会社に出掛けなければならないのだから。 「……暇だ」  あまりにも暇だったので、目の前の無機物に語りかけることにした。  いいかいお地蔵さん。お供え物を見掛けなくなったここ最近、あんたらだって不景気だろうが、人間社会も結構大変なんだぜ。ユーレイより他人が恐い時代だ。はみ出し物は容赦なく仕打ちを受け、またはみ出さなくても仕打ちを受けることだってある。  苦難。受難。不幸。失敗。  そんな時、人間は自分が一体どれだけ一人ぼっちだったのかを思い知らされるだろう。  ああ、こんな繰り返しに意味はない。  繰り返しの果てにも意味がない。  では意味はどこに? 自分の存在意義は誰が隠し持っているんだ?  そうして若者は山へ自分探しに、老人は川へ魚釣りに出掛けました。  若者は竹藪の中で同年代の修行僧に出会って意気投合し、老人は魚は釣れなかったが代わりに気の合う釣り仲間を見付け、笑顔で元の無意味に帰りましたとさ。めでたしめでたし。  ――――悟りは拓けなくとも、友人の存在に人生を救われることもあるだろう。 「……あ」  と、危うく眠りそうになっていた自分に気付く。無駄な思考は眠気覚ましには使えないらしい。仕方なくかぶりを振って、周囲の様子を窺ってからすぐ傍の自販機で缶コーヒーを買うことにした。 「む」  立ち上がったところで、自販機の光が霞んでいたことに気付く。  半透明の人間。見知らぬ亡霊が、ぼうっと自販機を眺めていた。 「今日はいい天気だな。成仏するにゃもってこいの夜だろ」 『──?』  声を投げると、その亡霊は不思議そうに自分の後ろを見回した。俺と彼以外は誰もいない。 「いや、あんただよあんた。そこの金髪亡霊」  高校生だろうか。興味深そうに俺をひとしきり眺めて、人懐っこい笑顔で言ってきた。 『……へえ。キミ、俺が視えるの?』 「ああ。飲み物が欲しいのか? なんだったら奢ってやらんでもないけど」 『マジで? んじゃコーラ欲しいな。好きだったんだよね、炭酸』 「はいはい」  ピッ、ガタン。 「ほら。これ飲んで、さっさと成仏なりなんなりしてくれ。言っとくけど俺に取り憑こうとか思うなよ。本気で殺すからな」  目も合わせずにコーラを投げ渡す。  さて、コーヒーは……うげ。ブラック売り切れ。  こちらをまじまじと見つめていた亡霊は、おかしそうに笑って言ってきた。 『おもしろい子だな。中学生だろ? ちょっとは敬語くらい使いなよ』 「知るかよ。いまどきどこの若者が死人を敬うってんだ」 『はは、確かに。んじゃ、ありがとね~』  背中越しに手を振って、金髪の亡霊はひらひらと去っていった。 「………」  なんか猿っぽいヤツだったな。別に顔が似てるってわけじゃないけど、こう、すばしっこそうだった。 「……さてカフェオレか、コーヒー牛乳か」  そもそも何が違うんだろうか。 + 「ん?」  カフェラテが空になる頃、ようやく動きがあった。  静かに慎重に玄関を押し開け、一人の高校生が姿を現したのだ。 「──」  俺は音を立てないように空き缶を置き、しきりにきょろきょろと周囲を見回すヤツの動きに注意する。  現在時刻、午前二時。ジョギングには少し遅い。  姿を見せた高校生の名前は中林俊彦。短かく切った髪を逆立てた、スポーツの得意そうなヤツだった。  ……こんな深夜に。どこへ行って、何をしようっていうんだ。 「──けっ」  しばらく門の前で周囲を窺っていたと思ったら、今度は舌打ちして忌々しそうに石を蹴った。  まさか──俺の張り込みがバレたのか? 「………」  んなアホな。まずありえない。  なにせこっちはあいつの部屋――二階の窓からはおろか、一階に降りてきても見えない位置にずっと隠れていた。  そう、俺が見張っていたのはハナからあの家の玄関だけなのだ。原則としてこちらから見えない立ち位置は、向こうから見られることもない。  ここは一体どこだと思う? 中林家から小さな児童公園を挟んだ反対側の、そのさらに木陰だ。ここで一人傘を差し、何時間も目の前の地蔵と睨めっこしながら、ただ生け垣に空いた穴から玄関だけを覗き見ていた。  こっちだってシロウトじゃない。一般の高校生相手に見付かるようなことあるはずがない。そんなヘマをするようなら、俺はよっぽど無能だっていうことだ。 「……あ~あ、かったりぃな」  そして続いた中林俊彦の独り言に。 「誰だか知らねぇけどな……邪魔すんじゃねぇよ」  『ボゴゥン』なんて、ウソみたいな炸裂音が聞こえて。 「……は?」  軽快に逃げていく足音を聞きながら、見事に俺の無能が証明されたのだった。 「……あれ?」  すぐそばでは、突如爆発した自販機の残骸が煙を上げていて。呆然と中林家の玄関を覗き見ても、さっきまでいたはずの高校生の姿はなく、ただ逃げていく足音が遠くなっていくだけだったのだ。 「いや……いやいやいや。は? ははっ」  気の抜けた笑いを漏らしながら児童公園を横切り、逃亡者を追って駆け出す体。  気が付けば傘は捨ててきていた。雨の中、すでに二十メートルは逃げていた中林俊彦の背中を見失わないよう、ほぼ脊椎反射で走り続ける。  だが頭の中は困惑している。  そうか俺はやはり無能か。笑えないね。だってさっき自販機を爆発させたアレ──どう見ても、吉田流星を殺したのと同じ呪いじゃないか。  完全に具現化を果たした呪い。  そうか犯人は中林俊彦だったのか。あいつが吉田流星を殺した張本人で、いまもどこかに向かって走っているのだろう。そこまでは納得しよう。うん。 「待て……おかしいだろ」  ただひとつだけ合点がいかない。  あいつは、中林俊彦は、一体どうやって俺の張り込みを見破ったっていうんだ?  いや。仮に俺が姿を見られたとして、それが、こんな俺みたいなガキが、ヤツを押さえに来た“敵”だと確信できた理由は何だ?  現にヤツは逃げている。  俺を振りきるために、傘も差さず、水溜まりも気にせずに全速力で走り続けている。 「なんだ……どういうことだ」  なぜ俺は見抜かれた?  なぜ俺は、一般人相手にすべてを見透かされ、出し抜かれてしまった?  ──わからない。あとついでに、いつまで経っても距離が縮まらない。 「くそ……」  あいつ、めちゃくちゃ足が速い。仮にもこっちは訓練された人間だ。だっていうのに、これだけ走ってもまるで追い付けやしない。もと陸上部員とかそんな感じだ。  それに加えて。 「チ──邪魔すんなって言ってんだろうがッ!」  ずが ッ  全力追走する俺の真横で、唐突に自転車が大破した。飛び散るフレーム、タイヤにサドル。まるでプラスチック爆弾でも爆発させたような衝撃と爆音。 「げ……!」  背中に前輪の直撃を受けて大きくバランスが崩れる。  もつれる両足、目の前には水溜まり。 「舐めん、」  水溜まりの真ん中に、構わず両手を突き立てる。 「なッ!」  天と地が高速でシャッフルされる。ずだんと着地、即座に疾走。速度を殺すことなく追走に戻る。俺の華麗なる前方倒立回転飛びが決まった。 「は……手が痛い、ぜっ」  しかし、ここで振り切られたら本気で格好悪いし俺。これ以上無能レベル上げたら胸を張って生きていける自信がない。  そして、俺は見ていた。さっき自転車を大破させたアレ。吉田流星の頭部をバラバラに吹き飛ばしたという呪いの正体は── 「……拳銃、か」  前を行く背中を見ながら思い返す。  真っ直ぐに伸ばされた人差し指。銃口に見立てた指先から射出される、爆破の呪い。音速で射出された黒い燐光の軌道はウミヘビじみていた。  ──殺人特化、明確な凶器のイメージ。  あれは前回の事件で出会った、雛子の呪いとは違う。完全な、人を殺すために生み出された呪いだ。 「……させるか」  腰から短刀を引き抜く。俺の相棒・短刀『落葉』が夜の雨を反射し無骨に煌めいた。  ……あんな凶悪な呪いを有した人間が、真夜中に起き出してやることといえばひとつ。残った二人、桂智花か美濃信士の殺害だろう。  吉田流星を殺したのもあいつで間違いない。  動機は不明だが、ともかくヤツを止めないといけない。なにせ桂智花のそばにはアユミがいるんだから。 「どーせ、泣くんだろうな……あいつは」  アユミの目に触れさせる前に、ここで終わらせよう。 「………」  標的の背中を見据え、静かに意識を集中させる。  夜雨の中の鬼ごっこ。際限なく冷えていく世界。  照明は通り過ぎていく街灯のおぼつかない光だけ。  依然、距離は縮まらない。ならやることはひとつだ。 「止まれ……」  胸の中。  氷の空洞が脈動している。とくん、とくんと。  冴えていく意識と共に、返事など期待しない警告を最後に吐いて、短刀・落葉をアンダースローの構えで振りかぶった。 「――止まらないなら、力ずくでいくぞ」  狙いは脚部。  走りながらでは難度は高いだろう。だが掠り傷のひとつでも付けられれば充分だ。  息を吐き、呼吸を捨て、意を決して腕を振るう。  力の入った投擲だった。自分でも不思議なくらいにただ巧い。  吸い込まれるような飛行。それは獲物を狙うカラスのように。  落葉は、雨を切り裂き弧を描いて宙を駆け抜けていく。  気のせいだろうか──その銀色の刃に映った俺の瞳が、一切の光を失っていたように見えたのは。 「──そこまで。」 「え?」  声を上げたのは、俺だったか逃走者だったか。  落葉が突き立つ寸前に、そばの家の屋根から何かが降ってきた。  それは重々しい音を立てて中林俊彦を押し倒し、俺の短刀を弾いて地に落とした。その一連の速度は暗殺者じみてさえいた。  ばしゃんと暴れた水溜まり。突然押し倒されて声を上げる逃走者の上で、優雅に足など組んで見せる黒い女子高生。その手には黒い雨傘が一本だけ。  ……あろうことかそのひとは、いつもの日本刀ではなく市販の雨傘で俺の投擲を防いだらしかった。心が折れそうになる。 「追い付けないなら動きを止めればいい。狙いはセオリー通り足、咄嗟の思いつきにしては投擲もなかなか正確だったな。上出来だよ少年。先生が褒めてやろう」  うむと満足げに笑んだ先生サマを見返し、俺は若干後ずさった。  だって先生の黒セーラー服。この雨の中であれだけ派手に動いておきながら、一切水に濡れていなかったんだから。 + 「それじゃ、尋問を始めよう」  雨の中。  俺が中林俊彦を地面に押し付け、黒い傘を差した先生が彼を見下ろす。虫を見るような酷薄な瞳で。 「単刀直入に訊こうか。中林俊彦。お前、殺したな?」 「……」  下から先生を睨み返す、泥だらけの高校生。その姿は王に刃向かう騎士のようで、決して折れない意志がその目に宿っていた。 「……お前ら……何なんだ? こんなことする権利、お前らみたいな──」 「そうだな。それじゃ聞き返すが、お前のこの右手は何なんだ」 「う――ぐ、あッ!」  先生の靴裏が、彼の右手を踏みつけた。銃殺だか爆破だかの呪いを宿した右手。 「原理不明な殺人の呪い。武器もなくひとの頭を吹き飛ばす、こんな力が正気の沙汰だと思うか? そして、この力がお前だけに与えられたものだと思うか?」 「……俺以外にも、この力を手に入れた奴がいるって? おまえら、そいつらをどうしたんだよ」 「言わなくても分かるだろう? 世の中には暴かれるべきことと暴かれるべきじゃないことがある。それだけさ。分かったら、潔くお前の罪を晒せ。一体お前の動機は何だ? なぜ仲間だったはずの吉田流星を殺す必要があった」 「っ!?」  吉田流星の名前を聞いた途端、彼の肩が震えた。 「……なるほど。そこまでバレてるんなら、いいさ。教えてやるよ」  力無く笑って、彼の体から力が抜けた。諦めたってことだろう。 「二ヶ月前の話さ。仲間の一人、野川亜由美って子が死んだ」  先生と目を見合わせ、その言葉を反芻する。やはり発端はそこか? 彼女の死に、隠された何かがあったのか? ……そういえば、彼女の死にはいくつか不審な点があったと聞いてる。 「そして昨日、金猿(キンザル)……いや、流星が死んだ。俺が殺したんだ」  彼は踏みつけられた自分の右手を眺めて、またやるせなく笑った。  まるで生気の欠けた声。その亡霊じみた響きは、中林俊彦には似つかわしくない、どこか異質なものを含んでいる気がした。 「流星、俺、信士、智花、そして亜由美。俺たちはいつも一緒にあの廃工場に行って遊んでた。ああ、最高の仲間だったさ」  思い馳せるような言葉。  無気力な声。  そして最期に上げられた顔が、静かに浮かべていた感情は。 「……俺たち五人はいつも一緒だった」  ──嘲、笑。 「な……に?」  なんだこの勝ち誇った笑みは。  なんだこの見下したような瞳は。  おぞましい。  もう後はない。  こいつは失敗したんだ。残った二人を殺しに行く、という目的を果たすことはできなかった。  復讐?  断罪?  それがなんだったのかは知らない。ただ呪いと化すほど強いその願いを果たせずに、こいつはここで詰んだのだ。  体は俺たちが拘束している。  抵抗の手段だって何一つ残されちゃいない。  だっていうのに──この、勝ち誇った顔は、何なんだ? 「へ……ばーか」 「「 ッ!? 」」  ず ぼんっ 「……あ……ぇ」  また炸裂音がした。  耳に刺さる音に、俺は反射的に目を伏せた。  また聞こえ始めた雨音に顔を上げると、いつの間にか世界が赤く染まっていた。 「……う……ぁ」  そうか。  やられたのか。  俺が。  俺の頭が吹き飛ばされたんだ。だからこんなにも世界が赤くて、俺の頭はフリーズしてて、脳がないから何も考えられなくなってしまったんだ。 「……な」  先生が、うつろに呟いた。  俺の死体を見下ろして。 「……どういう、こと……だ」  ──いや、違った。  俺はまだ生きている。  生きて、呼吸して、づるづるとぬめる感触に顔を覆われている。 「………?」  ふと視線を下ろすと。 「……あれ?」  中林俊彦が、死んでいた。 「あれ……先生、なんですか、これ」  あたまを失くしたから死んだのか。  死んでしまったからあたまがないのか。  首から上。  そこにあるはずのものが何もなく、ただその代わりに周囲一帯が赤いものや灰色のもので塗り潰されていた。  ふと、肩に感触がして、払い落とすと。  ぼと。  それは、中林俊彦の、視神経付きの眼球だった。 「……ふざけるな」  みし、ばきめき。  聞こえたのは、先生が傘の柄を握り潰す音だった。 「……なるほど……見事に騙されたよ。そうか、はは」  先生は傘を捨て、虚ろに呻いて背を向けた。 「はははは……やってくれたな。殺してやる、絶対に殺してやるよ……」  雨の中。  ずぶ濡れになりながらふらふらの足取りで去っていく先生。  肌にへばりついた血と黒髪が、いつにも増して不吉だった。 「………」  魔女が去ったあとで、俺は改めて首のない死体を見下ろした。 「こいつじゃ、なかった……?」  最期の瞬間。  中林俊彦の頭を吹き飛ばしたのは、俺でも先生でもましてや彼自身でもなく、もう一人の誰かだった。  もうすでに気配はない。足音一つない。俺たちがバカみたいに呆然としてる間に、逃げて行ったのだろう。  なら、俺たちはまんまと偽物を掴まされたということになる。  そりゃ先生も怒り狂うだろう。なにせあの人は負けず嫌いだ。プライドを傷付けられち ゃ黙っちゃいない。大体、俺の張り込みがバレた時点で気付くべきだったんだ。姿の見え ない、もう一人の誰かの存在に。  ──ここで、ひとつの疑問が浮かぶ。  ああ、素晴らしい熱演だったよ。  完璧に騙されちまったさ。  なあ中林俊彦。あんたは、こんなにも必死になって、一体誰を── 「誰を庇おうとしてたんだよ……あんたは」  彼は答えない。答えられるはずもない。  死んでしまった。  また一人、物言わぬ死体になってしまった。 「………」  雨の中、俺も無言で立ち上がる。  血の感触は生温い。  頭の中ではまだ、あの切実な声が響き続けている。  ──俺たち五人はいつも一緒だった。  追い詰められたような。  それでいて幸福感に溢れた、あの異様な瞳が拭えない。 「……誰なんだ……」  どこから見てる。  一体どんな顔で、どんな声でまんまと罠に掛かった俺たちを嘲笑ってやがるんだ。 「……くそ」  雨は、まだ、降り続けている。
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