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行きつけのコンビニ。ローソン縁条第一店の駐車場で相方を発見。縁石に腰掛けながら、俺は気だるいご挨拶を垂れるのだった。
「やっぱりここか。飽きないねぇ」
「あ、羽村くん。おかえりー」
コンビニの日陰で、まるで自分の家か定位置のようにのたまう相方。赤い髪の少女、アユミは見慣れた何かをもぐむぐと口にしているのだった。
車道が行き交う様子を眺めながら、うんうんと満足そうに頷きながら食している。
「それで、今日も首尾よく確保できたわけか」
「うん。危うかったんだよ、最後のふたつ。さすが人気商品だよ」
人気商品っつったって、ふたつも確保できれば十分だと思うんだが。
「……何だっけそのパン。金色の、」
「金色のスウィートホワイトカレーパンだよ」
「…………」
そこだけ、人が変わったように強く断言される。聞き間違いかと顔を見るが、アユミの顔は変わらず穏やかに道路を眺めている。
「ああ、そうそう。金色のスウィートクリームパン」
「金色のスウィートホワイトカレーパンだよ」
訂正される。本当にまったく様子は変わらず、ただ、言葉だけが強く揺るぎなく。
「…………」
「…………」
アユミが手にしているのは食べかけのパン。こんがりとした小麦の、中から現れるのは甘そうな白色。
確かに、パッケージにはアユミの言った通りのフレーズが描かれている。金色のスウィートホワイトカレーパン。
カレーパン。
だがしかし、こちらにも言い分はあるのだ。この前一度食べた時に強く感じた違和感。
「……いやでもそれ、中身は明らかにクリームパn」
「金色のスウィートホワイトカレーパンだよ」
「―――――――」
にこっとした毒のない笑顔に総毛立つ。
悪意ゼロ。棘ゼロ。この状況で攻撃性ゼロな笑みが逆に撫で回すような悪寒を誘う。
馬鹿か、俺は。
「ああ、そうだよな。俺が悪かった。金色のスウィートホワイトカレーパンだよな」
ここらで火遊びはやめにしよう。遠くを見れば、小さな老婆がぷるぷると震えながら歩いていった。
アユミは迷わず、残りひとつを開封する。やっぱり、俺の分じゃなかったか。
「…………長いことハマってるよな、それ」
「うん。脱法ドラッグ的においしいよ。羽村くんも食べたい?」
「いらね。――え、いまなんつった? アユミ?」
「そっかー。まぁそうだと思ってたよ、あはは。好みは人それぞれだもんねぇ」
「おい待て、なんか聞き捨てならないこと言ったよないま? おい?」
アユミは答えない。人間は、好きなものの話になるとちょっと羽目を外したりする。アユミもまた例外ではないのだろう。普段は決してそんなイリーガルなことを言わないやつなんだが。
「………」
しばし、コンビニ前の緩やかな時間が流れ続けた。
縁条市は今日も平和だ。死体のように平和なのだ。
「……だりぃ」
「口に出すからだるいんだよ? 元気に格言でも考えようよ」
「格言……格言か。そうだな、考えてみるか………」
秋をすぎればすぐ来年になる。人は生き急がねばならない。なぜなら、年を越すということは来年になってしまうということだからだ。
「…………ん?」
無益なことを考えていたら、どこからか布を裂くような悲鳴が聞こえた。人ではない。小動物の類である。
それを咎めるように、何かを悲痛に訴える声が聞こえるのだった。
「噛まれた! 噛まれたんだって!」
それに続いてなじるような声と、何人かの笑い声。嫌な空気が耳を撫でるのだった。
気になってコンビニの裏を覗きこむと、そこにはつまらない光景が広がっていた。
「ざっっけんなよ、病気になったらどうしてくれるんだこのクソ猫!」
白い猫が、威嚇している。
自分を囲むおそろしい敵たちを相手に。
猫の相手は学生四人だった。学生たちは、つま先で猫を壁際に追い詰めていく。もう後がないといった感じだ。
「……はぁ」
噛まれた、噛まれたと再三繰り返す馬鹿なガキがいる。それを面白がっているまわりの連中。ガラが悪い。その友情も疑問だが、不用意に噛んだ猫も猫だろう。生存本能が足りていない。早々に興味を失って踵を返すと。
「……どうかした?」
「ん」
いつの間にか背後に立っていたらしいアユミと目が合った。
不安そうな瞳。さっきの声で、なんとなくではあるが状況を察している様子だ。俺は気怠い気分で背後を指差す。入れ替わりにアユミがコンビニ裏を覗きこむ。そして呟かれた言葉に、俺は思わず顔をしかめていた。
「え…………朝の猫さんだ」
おいおい。やめてくれよ。
「……羽村くん」
「ああ、でも俺たちには関係ない。行くぞ」
アユミの手を引いてその場を去ろうとする。だが、少女はその場から動こうとはしなかった。
「つ──おいアユミ、冗談だろ。あんなのに関わるな。あとあと何されるか分かったもんじゃない」
「それは分かってる……でも待って羽村くん。誰か来たみたい。ちょっと、不味いかも」
「なに?」
言われて、アユミの頭の上からコンビニ裏を覗きこむ。
確かに誰か来た。
ものすごいスピードで走り込んできたその人物は、陰気な高校生たちの背後で大きく跳
躍し──あろうことか、後頭部目掛けてドロップキックをカマしやがった!
「ほわたあああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」
「ひでブっ!?」
ド派手な衝撃音。
きりもみ旋回しながらコンビニの壁に頭を激突させ、噛まれた噛まれたと騒いでいた小太りの高校生が完全に沈黙した。
「は……?」
冷や汗を垂らし声を上げていたのは俺だった。ちょっと待て、あれは死んだんじゃないのか?
「おいリュウちゃんしっかりしろ! おい、おいってば!」
「うぅ……」
完全に失神している。しかしなんとか生きているようだ。すごいなリュウちゃん、ゴキブリだな。
「おい……何だお前? いきなりリュウちゃんになんてことしやがる」
至極まっとうな問いかけである。金髪ピアスのその他大勢は、目の前に立つ、小さな影を睨みつけるのだった。
それに答える影もまた、どこまでも陰惨だったが。
「うっさい黙れ死ね腐れ」
低く唸る声。それを発したのはまだ小学生くらいの少女だ。安っぽいピンク色のパーカーにデニムスカートで金髪。おもいきり目が据わってしまっている。どうやらご機嫌ナナメらしい。
「……あんたら楽しい? 生きてて楽しいの? そうやって学校サボって小動物イジメてれば幸せなわけ?」
「何ぃ……?」
高校生の残り三人と、小学生の少女が対峙する。一触即発の緊張感である。
「最っっっ低。キショイんだよ犯罪者予備軍、この世から消えろ土に還れ分子になれ二酸化炭素を吐き出すな」
しかも少女が一方的に罵詈雑言を並べ立てている。端から見ている分にはなかなか凄い光景だった。
その隙に、恩知らずの猫が獣の速度で逃げていく。あっという間に見えなくなった。
それを見送ってから俺は再度コンビニ裏に目を向け、呟いた。
「……猫が人間にすり替わったか」
最悪だった。
高校生のうち二人が怒りに顔を歪め、ジリジリと距離を詰め始めている。残り一人は壁に凭れて退屈そうに観戦。陰気そうな前髪の長い男子高校生。諌めるように言った。
「ねぇそれ、意味ある? やめた方がいいんじゃないのかな。どっちにも正義がなくて不毛だし」
「るっっせぇよ相沢! てめぇ、リュウちゃんやられて黙ってんのかよ! ガキが相手でも関係あるか! 教育だ教育!」
対する少女は武器も何もなく一人きり。これではどう頑張っても勝てないだろう。
「まぁいいや。アユミ、警察呼んでバックレよう。それでぜんぶ解決だ」
「うおらッ! 痛い目見ろ、このバカ娘!」
言ってる間に始まってしまった。金髪ピアスが距離を詰め、拳を振り上げ、手加減も何もなく思い切り少女の頬を砕きに掛かる。
桁違いの暴力を前にしても少女は動かなかった。――いや、あれは単に動けないんだ。よく見れば膝が震えている。そんなザマでも決して強い視線を逸らさない点だけ褒めてやりたいが、無意味だろう。
あれでは逃げる間も無くストレス解消用のフクロにされてお終いだ。心の中で念仏を唱える。南無。
「ん?」
そんなことを考えていると不意に──俺のすぐ背後で、風が流れたような気がした。
「なっ!?」
ほんの一瞬のことだった。壁の陰から飛び出し、スニーカーの底を滑らせながら、ブン投げる。
投げられたのは大きな鉄箱。巨塊が宙を駆け、高校生たちの間に落ちて轟音を上げる。激突する寸前だった拳が空振りする。
コンビニ裏にいた四人全員がそいつの──人間外の怪力でゴミ箱をブン投げた高瀬アユミの方を、凝視していた。
金髪ピアスがいの一番に睨みを利かせる。
「なんだぁ?」
俺は眉間を押さえながらアユミの首根っこをひっ掴み、唸る。
「俺さ……関わるなって言ったよな?」
「あ、ごめん。わざとです」
「そうか……わかった、助けろってことだな? でも俺は正直、先に暴力振るったあの娘が正しいとも思えないんだが?」
首根っこ掴まれた赤髪の少女は、悪びれる様子もなく、理知的な瞳で告げるのだった。
「……それでも、子供は守るべきでしょう? 常識の範囲内で」
常識の範囲外である怪力は行使できない、と言いたいらしい。
「……そうかい」
相方の命令とあらば、俺はただ無心で鬼のように暴力を振るうのみだ。
捨てられたビール瓶に映る俺の目は、闇色に沈んでいた。
――ああ、クソ面白くもない。一方的に暴力を振るうのはただ、ほんの少しの間、頭をカラにできるだけだ。
「羽村くん、手助けは必要?」
「いらん。一分で終わらせる」
俺はバキボキゴキと拳を鳴らしながらコンビニ裏へと踏み込んだ。少女含め、全員唖然としているようだったが知ったことじゃない。
「がふっ!?」
衝撃が拳を伝って肘まで貫通する。コンマ五秒で距離を詰め、一人目の鳩尾に拳を叩き込んでいた。耳元の苦鳴を聞きながら拳を更にねじ込み、襟首を掴み上げて低く唸る。
「悪く思うなよ。相方の目の前で動いたオマエが悪い」
俺は掴んでいた襟首を肩に担ぎ上げ、相手の体が俺の背中を転がるような形で吊るし上げた。背負い投げ。受け身も知らない一般高校生は思い切りアスファルトに背中を打ち付ける。悶絶してる隙を狙って首の骨を砕く追撃は自重した。
手早く一人目を片付け終えた俺に、背後からぱちぱちと軽い拍手の音が浴びせられた。
「わー。羽村くん、お見事っ。とっても正義!」
黙れラスボス、帰ったら決戦だ。たぶん勝てないけど。
「くそ、何なんだよ一体! 相沢!? お前もそんな、感心した顔してる場合じゃねぇだろ!?」
残る一人が、壁に凭れて観戦していたヤツに叫ぶ。
ウェーブの掛かった長過ぎる前髪に隠れてしまって瞳が見えない。だが、その瞳が何か、信じられないものを見る子供のように俺を直視していることだけはハッキリと分かる。
相沢と呼ばれたソイツが鞄を拾い上げ、何故か静かに背中を向けた。
「──やめよう。どんなパターンでも勝てない」
「なに?」
俺は眉をひそめて問い返した。
何故だろう。そいつの声は不自然に穏やかすぎて、逆に不安を煽られた。
「それじゃそこの小学生はもう許すってことか? いいんだな、連れて逃げても」
「どうぞ、お好きなように。そもそも僕には関係ないし、小動物を虐待するのは反対だったし」
「そうかい。俺も、出会い頭にドロップキックが正解だったとも思ってない」
「ああ、お互い災難だったね。個人的には、割って入ってくれたことには礼を言うよ。ありがとう」
「…………」
何故だろう。その暗い見た目で、縁側のように暖かな言葉をかけられると妙に不快だ。俺の中の不良分子が勝手に言葉を紡いでしまう。
「じゃーな、陰険高校生。二度と関わり合いにならないよう祈ってるよ」
ファッキン中指も自重した。
ひとつ笑って、男子高校生は優雅な足取りで去っていくのだった。俺はそっと息をついた。あの分だと仕返しはなさそうだ。自重の甲斐があったな。
ちょん、ちょん。
「ん?」
視線を下ろすと、金髪の小学生が短いツーテールを揺らしながら俺を見上げていた。
「あの。少しいいですか?」
「なんだ、ケガでもしたのか。暴力小学生」
「いいえ全然」
キッパリと否定された。
よく見ると、心なしか膨れっ面で流し目気味だ。どうしたんだろう。ケガしてないなら、財布でもとられたのだろうか。俺が尋ねるよりも早く、少女は素っ気ない声で言ってきた。
「あのですね。ちょっとだけ、ここに座ってみて下さい」
「座る?」
彼女はスニーカーの踵で自分の足元をコツコツと示した。何の変哲もないアスファルトである。別に落とし穴があるわけでも画鋲が撒いてあるわけでもない。
俺はしばし少女と地面を見比べたが、ひとまず要求に従ってみることにした。
「……座ったぞ。これでいいのか?」
アスファルトの堅い感触があまりよろしくない。
目の前には起伏の小さい胸があって、見上げた顔は影になっていて伺えない。
「………………。」
「?」
彼女は何故か、唐突に黙り込んでいた。
「おい? 何なんだよ一体」
ずしゃん。
俺が尋ねると、彼女は一歩踏み込んできた。
ずしゃん、ずしゃん、ずしゃん。
もともと目と鼻の先だったってのにずいずいずいずい近付いてくるもんだから、俺はずりずりと後ずさるしかない。
まるで壁際に追いやられる猫のように。困惑しながら、暗くなった少女の顔を覗きこんでいた。と、五歩目で少女の前進がぴたりと停止した。
「…………………………。」
「?」
「あたしの」
「何?」
呟くような声を聞きそびれて、耳を寄せる。
するとよぅく聞こえた。地獄の底に響くような声と、木製バットをフルスイングするような豪快な音が耳元で。
少女の瞳がギラリと光る──直後、雄叫びが鼓膜に叩きつけられた。
「勝手にあたしの邪魔すんな、このぼけぇぇええええええええええええええっ!!!!」
「ッ!?」
ぶぉん。
突然、少女の膝が亜音速で近付いてきた。
鬼豪風、これは見事なボレーシュートだった。
「待て!? なんで俺が蹴られっ」
叫び返す、しかし遅すぎた。
白いふとももに視界を覆われる。すでに躱すことも防ぐことも叶わない至近距離から。
ずぎゃめきぃ
致死的な破砕音と共に、俺の側頭部がおもいきり薙ぎ飛ばされた。
「ぐ……はっ」
痛みなんてない、ものすごい衝撃があっただけだ、それと浮遊感。
「げぼふっ!?」
ずぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃと地面を削るあるいは地面に削られる、それと浮遊感。
「が──っ」
よやく浮遊感が消失し、変な体勢で地面をスケートしていた全身がぱったり落ちる。
「……ぁ……ぅ」
空が遠い。
なんだかとても眠い。痛みの代わりに心地いい。
だが、仮にも助けに入った俺が何故蹴られるのだろう。この世は理不尽でいっぱいだ。悲しすぎて視界が滲んできた。
「ふん、あたしの邪魔するから悪いのよ。このバーカ」
「羽村くんが……死んじゃっ、た……」
少女二人のバカ感想を聞きながら、俺の意識は闇へと沈んでいった。〜完〜
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