#004 / 雨詩-Clear rain'-

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 ……二ヶ月前の話だ。  その日、わたし・高瀬アユミは駅のすぐそばの踏切に立っていた。  カンカンカンカンと規則的に鳴る警鐘。点滅を繰り返す赤色の燈火と、向こう側の賑やかな商店街。  色抜けたアスファルトに塗られた雑踏の影は長くて、線路の真ん中まで横切っていた。  長い長い踏切だった。  困ったな、先生に頼まれたアイスが溶けてしまう。冬前にアイスだなんてよく分からないけれど、久し振りに食べてみるのもいいかも知れない。そう思って結局三人分買ったカップアイス。  両手の買い物袋が指に食い込んで痛い。  周囲の人たちも待ちくたびれているのが分かる。  それでもまだ、踏切を電車が通行することはなかった。  ──こんな時、たまに夢想してしまうことがある。  電車が来る前に遮断機をくぐってしまいたい。そうすればこんな無意味な待ち時間は短縮できるじゃないか、と。  もちろん本当に実行するわけじゃない。ただ夢想するだけだ。退屈な時間を少しでも消費するための、わたしのささやかな逃避行。  ああ、もしもあの夕焼け空を飛べたら楽しいな。  そんな程度の、つたないまぼろし。  ぐしゃり  びちゃ っ  ……きっと、それがいけなかったんだと思う。 「え?」  知らない間に、ホームで電車を待っている人たちをぼうっと眺めていた。  だから見てしまったんだ。  整然と並んだ人の壁から、ただ一人だけ、よろよろと前に出てきてしまった少女の姿を。  長い髪の高校生。  綺麗なひとだった。  驚いているのか、受け入れているのかも分からない程度に見開かれた瞳と。  落下途中の彼女を攫う、巨大な鉄箱の衝突は重くて。 「…………」  悲鳴を上げる人々の中で、ただ呆然と頬を撫でると。  なま暖かい感触に、濡れていた。 +  ひとの死に慣れることはない。  それは相手が亡霊であっても、生きている人間であってもわたしにとっては同じだ。  本当は誰が死ぬ瞬間も見たくはないし、それに出会うたび愕然と震えてしまうのが高瀬アユミという人間だった。  だから、決して慣れはしない。  だけど埋もれる(・・・・)ことはある。  ああ、あの踏切の事故から一体いくつの死をこの目で見ただろう。  夜の街――異常現象の世界には死が溢れていた。  だから、埋もれてしまった。  だって知らなかったんだ。あの日、電車に轢かれて死んだ子がわたしと同じ名前だったなんて夢にも思わなかった。  ……それはまだ雨が降っていなかった頃の記憶。彼女の終わりで、事件のはじまり。  彼女の死をきっかけに、智花さんや流星さんの運命は狂い出してしまったんだろう。  でも、ひとつだけ、気に掛かることがあるんだ。  黒いシミのように残った記憶。  騒然となる人たちの中で、たった一人だけ、足早にホームから去っていった人影がいたんだ。  一体何だったんだろう。  あの、見えない不吉を振りまく背中。  貴族じみた微笑の横顔。  例えるならそれは、童話に出てくる魔法使いのような――。
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