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「目標までの距離、四十。そっちは?」
繋ぎっぱなしの携帯電話。
俺・羽村リョウジはイヤホンマイクに向かって早口で告げた。不法投棄の冷蔵庫の陰に身を潜めながら。
『こっちはもう真下だよ。羽村くん、どうする?』
緊張が頬を伝って地面に落ち、ぴちゃりと音を立てた。
アユミはもう真下まで辿り着いたのか。
先ほど一瞬だけ地下から激戦の音が聞こえたが、さすが俺の相方。もう片付けてしまったようだ。
「……OK、わかった。しばらくそのまま待機しててくれ」
『了解。気を付けてね』
ぴ、と通話を終了。
これより俺は過酷なミッションを乗り越えるべく、単身で死地へと特攻しなくてはならない。
「……」
改めて周囲を見回した。
薄闇の商店街。まだ時刻は昼だっていうのにこの暗さ。割れた天蓋がギシギシと軋む場所、縁条商店街『西通り』に俺はいた。
手には鉄塊。まごうことなき拳銃の黒い輝きが重くのし掛かる。
──名を、S&W シグマ。
1994年にアメリカの銃器メーカー・スミス&ウェッソン社が開発した自動拳銃である。
これはポリマーフレーム拳銃の中で最も有名なあのグロック17を模したコピー製品だが、「グリップが握りやすい」という理由でアメリカでは本家グロックより人気があるそうだ。
DAO(ダブルアクションオンリー)のメカは初心者にも安全性が高く、リボルバーから移行する場合にも違和感が少ないという利点も大きかったが、連射性・命中性を犠牲にしてしまうという欠点もあり──
「……」
なんて長ったらしい説明を聞いたのはいつどこでだったか。
よく覚えている。ある早朝のリビングで、先生が語り聞かせてくれたのだ。
ちらりと顔を上げると玩具屋が目に入った。いまはシャッターを下ろして閉じているが、店先に張られた一枚のポスターだけがこの状況を俺に語ってくれる。
『花月堂レース専用・銃器販売店』。
「……さて、行くか」
静寂の西通りで小さく声を発する。
瞬間、ギシリ。空気が固くなるのを肌で感じた。きっとこの薄闇の中に身を潜めているハイエナ共が警戒した音だろう。
「フン」
鼻で笑い捨ててやる。
物陰から飛び出して一気に駆け出す。商店街の真ん中を。
途端に驚愕の気配がいくつかと、まったく気付いていない気配が幾つか。なにせ足音を完全に消しての特攻だ。なおかつ速度を殺す愚は冒さない、鍛え抜いた狩人の技。
ジャキジャキと銃口を向けられる気配。
しかしそのどれもが混乱しているような落ち着きのなさ。
そんなバレバレの包囲網で捕らえられるとでも思ってるのか?
「はっ!」
一斉に射出された弾丸。殺到するゴム弾頭の嵐を飛び込み前転で回避し、地を転がりながら引き金を引く。狙いは後方、柱から身を乗り出しているヤツらだ。
「ぐは!?」
「つ!」
仕留めたのは二人。上出来だ。
すぐさま立ち上がって全力疾走。もはや気配を隠そうともしない敵影が追い縋ってくるが。
「───」
俺は眼前の釣り糸を飛び越えて物陰に走り込んだ。
振り返り、追い縋ってきていたヤツらが釣り糸を乗り越えようとするタイミングで引き金を引く。疾走するゴム弾頭が釣り糸を断ち切り、敵のトラップを誤作動させた。
ぼむんッ!
「んな!?」
「うぎあああああああああっ!?」
「ゲホッ、がふっ……い、痛ぇ! 目が!? 眼球が沸騰するうぶフうおおおっ!?」
トラップの中身は催涙爆弾だったらしい。一歩間違えば俺がああなっていたわだ。
恐いなーなどと冷や汗を垂らしながら先へ進む。
だが初めの第一歩で、カチリと鳴った床のタイルを聞いた。
「いッ!?」
即座に体を仰け反らせた瞬間、俺の眼前を竹槍が横切っていた。
「つ──!」
がしゅ、がしゅと音を立て、次々と壁から突き出してくる竹棒を飛び越え、一段ずつ階段のように跳ね上がる。
辿り着いた天井で「口が泥のように融解する美味しさ。猫山印の苺大福絶賛発売中! 花月堂」の垂れ幕を引っ掴むと、屋根の梁に身を伏せていた狙撃手と目が合った。
「よう。こんなところにいたのか」
「貴様、一体──ぐぇっ!?」
至近距離からゴム弾を眉間に撃ち込むと、狙撃手は地面に積まれたダンボールの山に落ちて行った。
「悪いね。こっちも必死なんだよ」
俺の独り言にも構わず、下から次々と撃ってくるヤツらを一人ずつ撃ち倒していく。
乱戦。
銃声と苦鳴と怒号が吹き荒れる西通り。遠くの方で誰かが地雷原を踏んだ爆音とか、吹き抜ける爆風とか、倒壊していく柱とかも併せて文字通りの戦地と化していた。
「つ……キリがないな。本当に勝ち抜けるのかこれ?」
「あらアンタ、もしかして苦戦してたの? ずいぶんと楽勝してるように見えたけど」
「!?」
耳元から聞こえた声に、引き金を引く手が止まった。
信じられない心地で見返すと、俺の肩に、いつの間にか愛らしいウサギのぬいぐるみが居座っていた。
「な、お前!」
憔悴していると、ウサギは俺の肩で立ち上がり、ぺこりとお辞儀して言ってきた。
「でも悪いけど、アンタにはここで消えてもらうわよ。羽村君」
ずどん!
ウサギのぬいぐるみが豪快に弾け、天井付近が爆煙に包まれた。
「つ……!」
寸前で俺は空中に身を投げていたが、爆風に煽られて着地に失敗する。
無様に這いつくばって痛みを堪えていると、周囲で次々と上がる爆煙と、驚愕の声たちがあった。
「な、なんだこれ!? ウサギ!?」
「うぎゃぶっ!?」
「うあ、ああああああああああああああああッ!?」
宙を駆ける大量のウサギたち。
爆煙、爆音、大爆炎。
そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか全滅していたらしい。俺だけを残して。
「………」
まぁアイツのことだから死人は出していないんだろうけど、それにしたってやりすぎじゃなかろうか?
燃え盛り、赤色に照らされた西通り。
その闇の奧から歩み出てくる人物がいた。
「お久し振りね、見習い狩人君。ご機嫌いかが?」
平然と言ってくるモノクロ少女。フリル付きの白カーデガンに、黒いゴスロリみたいなスカートと、白黒の縞ニーソと黒いゴム底の靴。オセロみたいな色彩の中で、サッパリと纏めた茶髪だけが彩度を持っている。
ヤツはずっと差していたらしい日傘を畳み、スカートの裾を摘んで優雅に一礼してきた。
その肩にはウサギのぬいぐるみがちょこんと腰掛けている。
「……美空か。“葬儀屋”がこんな所で何してるんだよ。銀一はどうしたんだ?」
ばさり。
ご丁寧に日傘を差し直して、そいつは髪を撫でながら言ってきた。屋根があるので、ただのファッションだろう。
「銀一は県外に出張中よ。だから今日はただの私用」
すぅぅと俺に向かって伸ばされる白い右腕。
それに呼応してどこからともなく現れるウサギたち。五体ほどのぬいぐるみが宙に浮いて、いまかいまかとその赤い目を光らせている。まるで飢えているかのように。
「……そうか、お前も」
「えぇ。十万円は欲しいわよね、誰だって。ついでに前々から一度食べてみたかったのよねぇ、花月堂の苺大福。」
──花月堂の苺大福。それは縁条市の知る人ぞ知る、隠された秘宝の名前だ。
もちろんただの苺大福である。
ただし、ものすごく美味しいらしい。
それはもう頬が落ちるとかテレビ取材がやってくるとかそんな次元ではなく、食べた瞬間に魂が溶かされるほどの奇跡であり。
そして、昔から貴重な財宝は奪い合われるものだと相場が決まっている。
スーパーの半額シールに群がる主婦どもを超える、争奪戦。
そこに売れないオモチャ屋が便乗し賞金十万円を乗せて商売を始めた時点で、この西通りの早朝は戦火に包まれることとなったそうな。違法モデルガンとその他諸々による武装。かく言う俺もその一人である。
この熾烈かつバカ極まりない戦いを、ある者はこう呼んだ。『死の花月堂レース』と。
「これって争奪戦なんでしょ? なら私も全力でがんばらないとね」
俺はゴム弾銃を投げ捨て、腰の後ろの短刀に手を伸ばした。
緊張の静寂、じりじりと軋る間合いの冷戦。
しかしそんなものが、不仲極まりない俺と美空の間で数秒も続くはずはなく。
「だからって人前で呪いまで使うバカがあるかッ!? 自重しろ!!」
「なによ!? アンタだって拳銃使ってんじゃない!!」
ばぎめきゃッ
割れ砕けた空気の中で俺は駆け、美空のウサギ連弾が迎え撃つ。
次々と弾けていくウサギ。
ぼむんぼむんと視界を覆う爆煙。
「ぐ……!」
直撃を避けてはいるものの、その数の多さにはさすがに圧倒される。
躱し、避け、叩き壊し、弧を描いて敵の周りを駆け抜ける。
防戦一方。
厄介な物量と、厄介な間合い。威力こそ控えてはいるようだが、あのウサギはかなり面倒な武器だ。
「ふふ……何よ、やっぱり狩人なんてその程度なの? お話にならないわ」
「んだと!?」
爆撃の中で聞こえた囁き。
言いやがったなモノクロ女。
OKいいだろうやってやる。
その言葉、絶対に後悔させてやるからな!
「あゆみいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッ!!!!」
俺は天井に向かって吠えた。
途端、ずごごごごごごと激震を始める西通り。
「な、何!? 何をしたのアンタ!?」
「へへへ……やってやったぜ。終わったな、俺もお前も」
立っていることさえままならない地震の中で。
俺は凄絶な笑みを浮かべ、雷撃が走った美空の顔を見返す。
「ま、まさかアンタ──ッ!」
「高瀬アユミ、いっきまあああああああああっっっすううううううう!!!!!」
美空の絶叫は更なる大音声と、コンクリートが砕け散る轟音に掻き消された。
地面を突き破って現れた小怪獣アユミのメガトンパンチに、俺も美空も吹き飛ばされて、二人仲良く壁に激突するのだった。ぐしゃぼーん。
「ぐ……が……」
「い……あ、ぐふ……」
っていうか、本当にパンチなのかあれは。一メートル四方の瓦礫が天井を突き破って行ったぞ?
びくびくと筋肉が痙攣している。やばい。地面一枚を介したとはいえ、いまのは本気で全力パンチだった気がする。
「あ」
そして、またやっちゃった的な視線で俺たちを見下ろしてくるアユミ。ヤツは目が合った途端にテンパり始め、あたふたと目を回し始めた。若干泣きそうになりながら。
俺はそれに、激痛を堪えながら声を返す。
「い、行け……アユミ、俺に構うな……っ!」
はっと顔を上げた赤髪の少女は、さんざん迷ってからようやく決心して、西通りの奧へと駆けていく。まるで不思議の国からやって来た白ウサギのように。
「へ……十万円は、頼んだ……ぜ」
俺はがくんと気を失った
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