#000 / 深夜-the black side'-

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#000 / 深夜-the black side'-

 足首掴んで死ぬまで引きずり回して殺す悪霊が現れるというのは本当だったらしい。 「おい下がれ。夢でも何でもなく、死ぬぞ」  その時、被害者と加害者の間に突風が割り込んだ。被害者は私、加害者は悪霊、突風は誰とも知れないニヒルなヒーロー。私の首に掛かっていた手を、関節技のような不思議な動作で外し、乱暴な蹴りで後退させる何者か。目の前に着地する背中はそれほど大きなものではない。なにせ、それは中学生ほどの少年の背中だったのだから。  路地裏の空気はヤケに熱い。目に見えない、焦がすような何かが充満している。だがそんな熱を沈静化させるような金属の音が響いた。何の音かと目を凝らして、私は少年の左耳に繋がれたチェーンのピアスを見つけた。 「――よし、間に合ったな。おい生きてるかアンタ。正気か。“呪い”に巻かれて頭おかしくなってないか。舌噛みきって死ぬならよそでやってくれよ。なにせ今夜は俺たちの初試験の日なんだ」  くるり。軽薄な声に反して、翻された刃はただ無骨。見間違いだろうか? 一瞬日本刀のように見えた輪郭が霞んで、一振りの短刀へと姿を変えている。 「亡霊…………先生風に言うと“人のカタチをした呪い”だったか。いやはや竦むねぇ、マジ、グロすぎんだろ」  前方に立つ“加害者”。それが左手に掴んでいるものに一瞥をくれてから、少年は挑戦的に目を細めた。 「巷で噂の“ひきずり魔”、ようやく見付けたぜ! ――――いでっ」  不意に小気味いい音がなる。いまにも特攻しそうだった少年の後頭部に、空き缶が投げつけられたようだった。どこから飛んできた? 飛距離を考えればすぐ近くにいるはずなのに、投擲者は不自然なまでに遠い後方にいた。路地裏の闇の奥から歩み出てくる、柔和な微笑みの女の子。 「ねぇ羽村くん。優しくない。優しくないよ? それはとってもよくないよ」  赤いショートヘアの少女。赤髪? 不自然なまでの派手さなのに、小柄で華奢な少女の雰囲気はこれ以上ないほど柔らかい。なにせ、恐らくあれは怒っているのに、その顔に浮かんでいるのはどこまでも穏やかな微笑だ。背中の少年は、後頭部を掻きながら困惑した。 「……サーセン。なんのこってすか」 「“舌噛みきって死ぬならよそでやってくれよ”のことです。」 「あ」  指摘されて、少年が態度を急変させ、気持ち悪いくらいの丁寧さで言ってきた。 「訂正します、被害者さん。死ぬのは約八十年後でお願いします」  あくまで背中を向けたまま。そのまま、少年はずだんとアスファルトを蹴って前方の怪人に向かって疾走した。獣のような走力と、それを迎え撃つ怪人の長大な凶器。激突する衝撃音に心を吹き飛ばされそうだった。落雷のように荒れ狂う暴力を直視できなくて、目を覆って小さくなって震える。怖い。理解できない。意味がわからない。視界はまっくら、耳を覆うのはこの世のものではない異音の乱打。目を閉じたまま消えてしまいたい。大きな音が聞こえるたびに私の意識は気を失いそうなほど揺れた。 「――大丈夫。もう安心ですよ、大丈夫」  怯える私の肩に、安心させるようにやわらかな手が置かれた。恐る恐る振り返ると、赤髪の少女の優しげな双眸が私を見ている。まるで場違いな穏やかな声が、何を言っているのか理解できない。 「信じられないでしょうけど、私たちはああいった“かいぶつ”退治の専門なんです。絶対に守ります。だから、わたしのそばを離れないでくださいね」  空白の頭に、意味の分からない説明を流し込まれる。そして背中を向けて守られる。私よりも華奢で小さな女の子の背中に。理解できない。理解したくもない。そんな漫画のようなことを言われたって、納得できるわけがない。  第一、 「kえjkぁhぃうhwぎhlsjhsえbrああgああああ具k――ッッッッ!!」  壊れた声帯が壊れた咆哮を上げる。ひどい金切り声。無理だ。あんな怖ろしいバケモノを相手に刃物一本で立ち向かっていく少年も、私を守るなんて背を向けて待機するこの少女も、みんなみんなまとめて轢き潰された猫のように殺されるに決まってる。  そして、轟音。飛び降り自殺のような惨たらしい音色に耳をふさぐ。それもそのはず――“ひきずり魔”が振り下ろした凶器の長さは人間一人分、重さも人間一人分。ひきずられすぎて顔の皮膚が丸ごと削られ、あちこちが千切れかかった無残な被害者の死体だった。  直視できない。頭がパニックを起こす。悲鳴を飲み込んで窒息する。嘔吐しそうになる。ぐわんぐわんと揺れる意識を必死で繋ぎ止めながら、場違いに静かな赤髪の少女の声を聞く。 「ひきずり魔……きっと“呪い”が強すぎるんだね」  骨が潰れる音をBGMに、少女のかなしげな声を聞く。ひきずり魔。自分もその怪談は聞き覚えがある。けれど、出会ったが最後・足首を掴まれて死ぬまでひきずり回されるなんて滑稽な怪談を一体誰が信じるだろう。夜道で実物に出会い、首を締められるまでまるで考えもしなかった。 「う……」  そして、恐る恐る視線を上げる。振り回される死体以上に凄惨な“ひきずり魔”の顔を。いや、顔なんてどこにもない。思わず悲鳴を上げそうになるのを必死で口を押さえて飲み込んだ。  何なんだろうアレ。人間だけど人間じゃない。“ひきずり魔”には頭部がない。正確には、上顎から頭蓋にかけての部分がごっそりと欠落していたのだ。元はサラリーマンだったらしく、スーツを着ている。だばだばと滝のように血が溢れ続ける下半分だけの口腔、首に突き立った一本のボールペン、そして――時折、立体映像のようにノイズが走って乱れる全身像。そんな非現実な惨殺死体が、惨殺死体をオモチャのように振り回す。悪鬼の膂力で、一切の情け容赦なく。  バケモノ、怪物、ゾンビ、ホラー。単語が湧き上がるたびに津波のように吐き気が押し寄せる。あんな非現実と、正面切って渡り合う少年も常軌を逸している。 「ははっ!」  夜を揺らす轟音と、混じった砕ける骨格の音。叩き落された惨殺死体を飛び越え壁を蹴り、宙に逆立ちする横顔。夜そのもののように真っ黒な、宝石の瞳がそこにあった。  少年が空中で腕を振るう。張り巡らされるは蜘蛛の糸、透明なナイロン繊維が“ひきずり魔”を絡め取って後退させ、その隙に剥き出しの舌を串刺すべく短刀を振り下ろす。しかし割って入る剥き出しの表情筋。寸前で“ひきずり魔”が死体を振り上げたのだ。短刀は頭蓋骨を掠め、体勢を崩した少年に悪鬼の一撃が追い打ちをかける。 「ち――!」  少年の体重が薙ぎ飛ばされる。かろうじて防御は間に合っている。地面に激突する寸前で体勢を反転、靴底を滑らせアスファルトを滑走した。  それを最後まで見届けもせず、“ひきずり魔”はこちらに顔を向けた。  あるはずのない視線に射抜かれて、引きつった声を上げる。 「ひ──ぁっ……!?」  何が引き金となったのか、こちらに向かって駆けてくる。ずしゃしゃしゃとアスファル トを踏み砕く非現実、急行列車に轢かれる圧力。 「つかまって!」 「え!? ど、どうするんですか!?」  赤髪の少女はキラキラと答えた。危険極まりない夢見る笑顔全開で。 「──飛びます。主に、空方面を目指して」  はい?  と問い返した頃にはもう飛んでいた。 「……はい?」  吸い込まれるような浮遊感。風。空。  夜空を。  二人は一緒に、飛行していた。 「────」  気が付けば三階建てビルの屋上を見下ろしている。  目の前にいたはずのバケモノが遠い。  何故か瞬きの間にあの路地裏から離脱している。もしかしてこの少女が魔法でも使った のだろうか……そんなバカな考えだって、あながち間違いではなかったろう。  その飛行現象の正体は、人間離れした脚力──赤髪の少女の、華奢な体から逸脱しすぎ た怪力によるものだった。 「ざっと十メートルってところか。さすがだな」  屋上に消えた二人を見送ってから、少年は自分に振り下ろされる脅威(死体)を見上げて挑戦的に笑んだ。 「は――ッ!」  打ち返す刃は一振りの短刀、質量差歴然。今度は吹き飛ばされまいと更に姿勢を低くし、押し潰されまいと両脚の間隔をキープして強く懐に踏み込む。 「ぐぁ――ぁぁぁあああああッ!」  激突。地に沈まされる重い衝撃、それを流して地面に落とす。叩き割られるトマトの悲鳴。血糊を飛び越え水平回転する曲芸師の蹴りが、“ひきずり魔”の側頭部に突き刺さる! 「……あぁ?」  だが間抜けな声を漏らしてフルスイング。  ――しまった。忘れていた。相手は、蹴り飛ばすべき側頭部がごっそり欠落しているバケモノなのだった。 「うぉおお……やばいやばいやばい」  豪快に回し蹴りを空振りし、地面に両手をつきながら少年は冷や汗を流す。  振り上げられる速度は豪速、振り下ろされる狂気の名はニンゲン(死)。回避するには、あとコンマ一秒足りない致命的なタイミングだったのだ。 「くそがッ!」  暴風。左肘を犠牲に頭だけは死守するか。そんな重症覚悟の防御はしかし、何の意味も果たしはしなかった。 「とうっ!」  地響きと、暴風が巻き散らかされる。空から降ってきた怪力少女が、“ひきずり魔”を豪快に蹴り飛ばしてしまったからだ。 「…………おい」  いや、蹴り飛ばしたというよりあれは――爆撃の一種か? 衝撃波で地面が抉れ、壁に激突したひきずり魔などほぼ完全にめり込んでいると言っても支障ない。  忍者のように華麗な着地を決めて、少女は少年を振り返りニコリと笑んだ。 「危ない危ない。羽村くん、油断は禁物だね」 「お前のことだアユミ! うしろッ!」 「え――」  ずぱん  耳を塞ぎたくなる音に薙ぎ飛ばされた。 「か――はっ?」 「アユミ!」  紙くずのよう、といえば聞こえが軽すぎる。思い起こすのは交通事故。轢かれた猫はすごい速さで水平滑空、あっけなく地面に墜落し、跳ね、動かなくなる。 「あ――」  そんな光景を目撃してしまったニンゲンはどうなるだろう。  選択肢は二つだ。  気が動転して動けなくなるか、もしくは―― 「……てめぇ、やりやがったな」  混乱さえも通り越してしまうか、だ。  明確に。  音を立てて、空気が軋んだ。怖ろしい速度で路地の熱――ひきずり魔の“呪い”を侵食し、拮抗し始める殺意。  ぬらり、と振り返った少年はもう笑ってなどいない。  キン、とチェーンの片ピアスが甲高く鳴る。  気怠げな笑みも、慌てふためく無様さも溶け落ちて消える。 「――――――」  怒りさえ、喪失していく。  プラスマイナス0度。  何の感慨もなく、何の感情も失った、光を逃さぬブラックホールのように底のない夜色の双眼がバケモノを捉える。 「              !!」  奇声を上げ、襲いかかってくるバケモノがいる。 「               。」    声も上げず、刃を振るうだけの兵士と化した少年がいる。  煌めく。撒き散らす。そして、激突―― 「………………」  遠いビルの屋上から、そんな死闘を見下ろす黒セーラー服の何者かがいる。日本刀を携えたその存在は、“魔女”としか形容しようのない不吉な空気を纏っていた。 「フン。せいぜい足掻けよ、少年――」  はてさてそれは或る夜のこと、夜街の片隅・深淵の底。  「一体どちらが生き残ったのか」という問いの答えは、薄く微笑む魔女だけが知っている。         斬   -the black side blood union'-
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