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#002 / 百腕-Never Land' II-
背中に貼り付いた重みが、兵士のように足を前に進ませる。
雑多な商店街。
行き交う人々に意味はなく、それ以上に自分自身がもっとも無意味だった。
なにせ――――
『なぁユウヤ。もっともっと殺したいとは思わないか?』
「ああ――――そう、だね…………」
この身は何の意思もなく、ただ、耳に貼り付いた幻聴に操られるだけの傀儡だから。
未来は常に確定されていた。
自分の行動もそれに縛られ、意思などなく、ただただ幻聴の命じるがままに真っ赤な視界で行為を実行する。
地面に貼り付いた新聞紙に書かれた、連続女児誘拐殺人の文字。
どうでもいい。
ただただ、この両手両足に絡みつく不可視の糸が不愉快で。
きっと犯人は間もなく捕まるだろう、だがそんなことはどうだってよかった。
両足は自動的に目的地へと向かう。
脳裏に浮かんでいたのは、とある少女幽霊の噂話。商店街の中にあるガラス張りの休憩所に、夕暮れになると出現する幻覚。
ガラスの中だけに映し出される少女がいるという。
それは天使のように美しく、けれどガラス越しにこちらをじっとみつめて不気味に笑うのみ。
『楽しみだよなぁ。なぁ、幽霊の肉って食えるのかな』
幻聴は、そんな都市伝説まで見境なく標的にしようとしているらしい。どうでもいい、本当にどうだってよかった。
――――――ただ、現れた少女を見た瞬間に僕は雷撃を受け、魂が漂白されたようだった。
「……オトナがね。嫌いなの」
淋しい幽霊少女の事情を聞いてあげる、という体で誘い出していた。
背中合わせの半透明の少女。
彼女の名前は宝生優奈。長い髪の、小学生くらいの年齢には到底そぐわない高貴な空気を纏う少女だった。
場所は人もまばらな商店街脇のガラスの広場。
後ろのベンチに腰掛ける彼女がそう言ったので、僕──相沢ユウヤは小さく笑った。
「……どうして?」
流れてゆく雑踏にも目をくれず、天女のような少女は視線を下ろす。
ガラス越しに、美しい顔を僅かにしかめ、絞り出すように呟いていた。
「裏切られたから」
「―――――へぇ?」
その、一瞬に。
僕はすべての理性を決起して、惰性を断ち切ると決めたのだ。
やかましい幻聴をねじ伏せる。
平静を装って立ち上がり、優雅にベンチの周囲を歩いて、少女の前に傅いた。
まるで、どこかのお姫様にそうするように。
儚すぎる少女は、熱に浮かされたように言葉を紡ぐ。
「オトナは嘘つき。人でなしばかり。私たち子供をペットか何かと勘違いしてる最低の生き物。ねぇ、あなたはそうは思わない?」
縋るような双眸。その悲痛さに、必死さに、この世界に誰も頼るものがいない悲壮感にこちらまで泣きそうになる。
いっそぶち壊してしまいたくなる。
「ああ…………そう、だね。その通りだよ」
だが、その衝動を粉々に打ち砕く。
次の獲物にするつもりだったが──気が変わった。
「……僕もね。同じなんだ」
「え?」
逆光の中、ブティックのショーウィンドウに目を向ける。
そこに映っている人間は、流れる雑踏を背景に、からのベンチの前に立つ自分だけ。
鏡の中の真実には、目の前に座っているはずの宝生優奈は映っていなかったのだ。ぽっかりと穴が空いたような空白。天女の少女は死者だった。
「ひどい裏切りを受けてね。僕もキミと同じなんだよ」
鬱陶しい幻聴に突きつけるように言葉にした。
哀れな少女に目を向ける。
長い睫毛。霞む輪郭。白磁の白肌。伏せられた瞳はあまりにも澄んでいて、それでいて僅かな影と共存していた。
人形のようという喩えは失礼だろう。冷たい人形とは一線を画す、けれどいまにも消えそうな。そんな儚すぎる生気こそが、宝生優奈を構成している美しさだった。
恭しく手を差し伸べる。
心からの微笑と共に。
「一緒にいくかい? キミの大嫌いな大人たちに、復讐しに」
それは、自分にとっても決意の一瞬だった。
もう後戻りのできない、血みどろの道の果てに、自分は自棄を起こそうとしている。だがそれも悪くはないだろう。このまま、幻聴の言いなりなんてうんざりだ。
差し伸べられた手を見下ろす瞳。
聡い少女だった。僕の右手から薫る血臭を一瞬で見抜き、ほんの僅かに迷ってみせた。
だがそれも束の間のこと。
「……私はね、お父さんに裏切られて殺されたの。首を絞められた。裏切りが許せなかった」
育ちの良さを感じさせる所作で、大きな右手の上に自分の小さな右手を重ね合わせた。
「悪魔でもいい。私をどこかへ連れ出して」
その、悲痛な瞳を見返しながら、自分の人生に決断を下す。
命を賭けてすべてに抗うことを誓う。
「わかった。共に生き、共に死のう。僕らの願いが叶う時まで」
僕は宝生優奈の手を取った。
この少女のためなら神をも殺そう──そんな、不誠実な真摯さをもって。
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