はだかのあたしと彼のキス

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***  ミュールの底が剥がれた。下ろしたてのスカートを穿いて、浮き立ったこころのままに散歩に出かけ、その道中で昇天した。お気に入りだったのに、長いこと履き潰していたせいで、あられもないほどぼろぼろになっている。履いて帰ることもままならなくなり、しかたなくミュールを脱ぎ、靴下でアスファルトの地面を踏みしめた。小さなつぶてが足の裏に食い込んで、痛い。通りすぎる人がみな、あたしを好奇の目で見ている気がして、うつむいて歩いた。上品な色味のロングスカートは、丈が足首まであり、誤って裾を踏んづけてしまいそう。  意気消沈するあたしの前に、彼は颯爽とあらわれた。わざわざ運転していた車を路肩に停め、片手に一組のスリッパを持って、もう要らないから、とあたしにくれた。 「そのまま歩いてたら足に傷がつくよ。おれのスリッパ、人目が気にならないなら使って。水虫とかの病気もないから、安心してくれていいよ」  こんなふうに心を寄せて、通りすがりに良くしてくれる人がいるのだと、感動した。ありがたく受け取って、名乗りもせず立ち去ろうとする彼を引き留め、お礼がしたいので連絡先を教えてほしいと伝えた。  彼は悪戯っぽく笑った。 「めずらしくスカートなんだね、松井さん」  息を呑む。彼は「また明日」と手を振って、乗り込んだ車は跡形もなく走り去った。どうしてあたしの名前を知っているのか、また明日とはどういうことか、そんな疑問が頭の中をぐるぐると回っていた。  疑問は、翌日に出社して解消した。あたしのデスクにやって来て、この書類の作成お願い、と頼んできたのが、スーツ姿の彼だったからだ。彼のしたり顔を、穴があくほど見つめて、ようやく彼とは同期入社だったことを思い出した。中でも彼はとりわけ成績がよく、将来の営業部のエースとして期待されているとの噂だった。 「一目見て、松井さんだとわかったよ。他部署にもずいぶん顔を売り込んだつもりだったけど、おれもまだまだだなあ」  彼の白い歯がまぶしかった。
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