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「この際だからはっきり言うけど、男見る目ないよ」
かなり遊び慣れてる。どう転がしたら女がオチるかをわかってやってる。長年の友人にせがまれて、彼との馴れ初めをつぶさに語った結果、友人は眉間に深いしわを刻んで彼をそう評した。カフェ自慢のメレンゲパンケーキを口に運んでいた手が止まる。
「彼はそんなひとじゃないよ」
反論すると、友人はため息をついた。
「べつに慣れてるから悪いって言いたいわけじゃないよ。気があるうちは、優しくしてくれるひとだとも思う。でも、もし飽きられたら? あんたみたいな恋愛初心者が興味を引きつづけるには、荷が重いよ」
「帰る。ごちそうさま」
半分も減っていないパンケーキを残し、五千円札を一枚テーブルに叩きつけて、あたしはカフェを飛び出した。
胸にきりきりとした痛みが走る。友人の評が的外れではなかったからだ。その不安はいつだって、あたしの中にあった。
むしょうに彼に逢いたくて、バス待ちのあいだにスマホを取り出した。電話に出た彼は今、親戚の集まりで、遠方にいるという。逢えないのかと肩を落として気がついた。あたしはいつも彼の都合に合わせてばかりだ。デートの予定から何から何まで、彼に任せきりだったから。
「そんなこととは知らなくてごめん。かけ直そうか」
『平気だよ。むしろ席を離れるきっかけができて助かった。で、何の用だった?』
あたしは何も考えていなかった。慌てて周囲を見渡して、電柱に剥がれかけのポスターを認めた。この界隈では名の知られた、河川敷の花火大会。日時はちょうど、今日の十九時から。彼が好きそうな催しだった。
「河川敷の花火大会、行きたかったなあと思って。でも、いまさらむりだよね」
『ああ、今日のやつか。もっと早く言ってくれれば調整したのに。……ひとりでも行く?』
「うーん、花火は見たいけど、さすがにやめとく。淋しいもの」
そうか、と息を吐き出す電話越しの彼の声に耳を澄ます。じかに彼の声が聞きたかった。彼にふれてほしかった。
『じゃあ、来年は一緒に行こう』
何気なく口にした彼に、深い意図などないのだろう。でもあたしにはじゅうぶん意味のあることだった。来年も、彼の隣で過ごすことができる。あたしは素直に嬉しかった。舞い上がってしまいそうなのを、なんとかこらえて通話を終えた。
タイミングよくやって来たバスに乗り込んで、窓の外の景色を眺めた。花火大会のある河川敷が、きらきら輝いてみえた。やっぱり、ひとりでも行こう。だれにも邪魔をされずに花火を楽しめる穴場を、探しに行こう。来年のための下見と思えばいい。たとえ周りの空気にあてられても、淋しいのは今日だけだ。あたしはそう考えた。
夜の帳が下りて、ひとり河川敷へと向かった。提灯で区画された一帯は、屋台が軒を連ね、多くの人で賑わっていた。
りんご飴を齧りつつ、空腹をもよおす箸巻きのにおいにそそられていると、寄り添う二人連れとすれちがった。あたしは道を譲って、男のほうの堂々とした佇まいに、思わず振り返った。ぴんと背筋の張った、自信に溢れた背中。後ろ姿だって見間違えるはずがない。
遠出して今日には帰らないはずの彼が、だれかと指を絡めて歩いている。あたしは夢遊病者になったみたいに、二人の後を追った。
その女、だれ?
花火の打ち上げがはじまった。夜の帳をスクリーンにして、色とりどりに華やかに、映し出される大輪の花々。火花がいのちを燃やすその一瞬、夜の闇は少しだけ明るくなる。髪を綺麗に結い上げて、浴衣に身を包んだその女の色っぽいうなじが照らし出される。そこにひとつの黒子を見つけて、あたしはその場を逃げ出した。打ち上がるあいだヒュ――と鳴る笛や花火が弾ける音さえ、心臓の鼓動にかき消えて聞こえなかった。
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