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淋しい。ふてくされて寝るけれど、眠れない。そんな夜は彼にならい、本を読むことにしている。でもかんじんの本がない。ブランケットにくるまって寝返りを打ち、枕元に備えつけの収納に視線をめぐらせる。本棚は空っぽで、よけいに淋しさがつのった。
初めて彼の部屋に泊まったときのことはよく憶えている。立派な本棚に、ビジネス書や自己啓発本のたぐいがずらりと並び、本には大量の付箋と、マーカーで引いた線や書き込みがあった。寝入りばなの彼を揺り起こせば、ふわふわした声で「眠れないときにね、暇つぶしに」と教えてくれた。
彼の隣にふさわしいひとでありたかった。でも彼の蔵書はあたしには難しすぎて、ちっともこころ惹かれない。あたしは古本市を冷やかして、カバーすらかかっていない本を買った。海外の作家の本で、うすくて、気楽に読めそうだったことが購入の決め手だ。
やわらかい語り口の文章を、鎮静剤がわりに目で追っているうちに、あたしはいつのまにか眠った。読みかけのページに挿した栞の位置は、ほとんど動かない。でもそれは贅沢な悩みだったと、寝つきが悪く、本に頼らないと眠れない夜が増えて、ようやく気がついた。
女がひとりで出歩くのは、何時までなら許されるのだろう。本の代わりにスマホに手を伸ばし、彼にメッセージを送る。こないだ泊まったとき、あたし、忘れ物しなかった? 今から取りに行ってもいい? メッセージはすぐに既読がついた。何忘れたの? 今日はもう遅いし、言ってくれればこっちで探しておくよ。
あーあ、とあたしは落胆する。彼は出逢ったときからずっと、あたしに欲しい言葉をくれるひとだった。……なのに最近、どこか噛み合わない。
ありがとう、持っていったかもわからないしもう少しこっちで探してみる、また見つからなかったら言うね、と物分かりのいいふりで返事をすると、彼は親指を立てたキャラクターと「承知した」のひとことが描かれたスタンプを送ってよこして、会話は終了した。スマホを手放して、枕に顔を埋める。
淋しい。この感情は、どこから来るのだろう。本がなくて、何もすることがなくて淋しいのか、彼が隣にいなくて、ひとりなのが淋しいのか。
彼のあどけない寝顔が好き。隣から聞こえてくる規則的ですこやかな寝息が好き。寝惚けているときのふわふわした声が好き。彼があたしのはだかに吸いついて、痕をつける瞬間、あたしの胸は高鳴る。それははじまりの合図だった。小さな痛みとともに悦びがじわじわ広がっていく感覚に、あたしはいつも身を委ねた。
夜は更ける。淋しさは加速する。シャワーを浴びなきゃ、とベッドからのろのろ這い出たあたしは、姿見の前ではだかになった。
息をするように身体を重ねるたび、彼はあたしの黒子めがけて痕をつける。今はもう痕はすっかり消えて、黒子はただの黒子だった。
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