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1.アーノルドの迎え
その日の昼過ぎ、病院の正面玄関に、黒塗りの立派な車が停まった。助手席からは、ダークスーツにサングラスを掛けた体格の良い男性が降りて来る。
「裏口で待ってろ」
彼は運転席の子分にそれだけ告げて、ドアを閉めた。言われた方は緊張の面持ちで肯くと、車をゆったりと発進させる。男は……アーノルドは懐に忍ばせた拳銃の存在を確認すると、病院エントランスの方に歩いて行った。寒さが厳しくなる晩秋、街路樹も葉を落としている。
アーノルドは自分が幹部をしている“組織”の首領が留置中に体調を崩し、この病院に監視付きで入院させられたことを知っていた。金で買収した清掃員が言うには、もう長くないらしい。
そんなことがあってたまるか。首領の右腕だった彼はそれをすぐに受け入れられなかった。あんな狭いところで、警察なんかに見張られているから治るものも治らないんだ。そう思い込んで、彼は首領を病院から出す事にした。見張りの警察官を襲って気絶させ病室に入り、首領を連れて逃げ出すのだ。既に病院内部の見取り図も手に入れており、スタッフの死角になるルートは押さえてある。きっと、首領もアーノルドを見て「よく来てくれた」と涙するに違いない。
絶対に、彼をこの辛気臭い病院から出さなくてはならない。改築されたばかりの、明るい建物の清潔な床を歩きながら、アーノルドは心に誓った。
調べていた首領の病室、五〇五号室の前には、粗末なパイプ椅子が一脚置いてあるだけで誰も座っていなかった。どこに行ったのだろう。手洗いだろうか。
「あら、お見舞いの方ですか?」
声を掛けられて、アーノルドは跳び上がるほど驚いた。振り返ると、天使のように美しい看護師が、微笑みを湛えて彼を見ている。思わず跪きたくなるような、そんな明るい笑顔。自分が今やっていることが後ろめたくなるような……そんな輝きに溢れている。えくぼが愛らしかった。
「ええ、そうなんです」
この看護師は、首領がどんな患者か知らないのだろうか? 彼女はそこで笑顔を引っ込め、悲哀に満ちた表情になる。
「お可哀想に、もう随分とお加減が悪いようなんです」
「そうなんですか?」
「はい。お迎えもそう遠くないかと……」
何てことを言うんだこの女。アーノルドは怒鳴りそうになったが、ぐっと堪える。
「最期に、お会いになってあげてください。では私はこれで。失礼します」
またあの笑みを浮かべると、彼女は去って行った。最期に? 縁起でもないことを言うな! 首領はこんなところで死にやしないんだ! 無神経な看護師め。
アーノルドは呼吸を整えると、警官がいない内にとばかりにドアを開けて病室に滑り込んだ。
けれど、既に室内には黒服の男がいた。ベッドに横たわって酸素マスクをしている首領の、ベッドサイドのスツールに座って何やら話しかけている。彼は、アーノルドがドアを開けた音に振り返った。最初は何気ない表情だったが、入って来たのが誰だかわかった途端、表情が硬くなる。
警察官の男だった。
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