西島 寛太 Ⅴ

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西島 寛太 Ⅴ

「コンコンコン」  ドアをノックする。ノックをしたあと中の反応を窺う。病室からはガサガサと来客に備えている動きが感じられる。 「はーい、どうぞー」  僕はふいに目頭が熱くなった。それは一週間程話前までは頻繁に聞いていた。とても耳触りの良い声――希美の声だ。希美は生きている……今この世界には希美が存在するのだ。  「どうぞー、どちら様ですか?」  感慨に浸ってしまい反応が遅れてしまった来客者を促すように再び希美の声が聞こえた。僕は目頭を軽く拭い、崩れていた表情を戻して平常心を装うようにしドアをスライドさせた。  「やっぱり寛太だー。どうしたの? 変な間をとって」  そこには希美がいた。僕は込み上げる感情を押し殺した。 「ごめんごめん……ちょっと驚かそうと思ってさ。体調はどうかな?」 「えー、別に驚きはしないよぉ。体調はそれなりかな。でも悪くはないかな」 「そうか……悪くないならいいね」  僕はそう言いながら病室を進みベッド横の丸椅子に腰掛ける。歩き出した足にはわずかに震えを感じた。不自然な歩き方をしていないかと若干気になった。四畳ほどのこじんまりした個室、その窓から見える景色は通い慣れたそれだった。  対面した希美はいつもと変わらない様子に見える。一回目ではこの日の会話をきっかけで自ら死を選んでしまった。当然今はその気配は感じないが、潜在的にはこの時すでに自死に導く小さな小さな芽は顔を出しているのかもしれない。そう考えると油断は出来ないという気持ちが出てくる。  そして僕らはたわいのない話をしていた。先程感じた恐れはあるものの、希美と何気ない話が出来る事にはおおいに喜びを感じていた。希美が死んでしまった世界から来ている僕にはこのたわいもない会話がとても愛おしく、掛け替えのないものとして心を温めてくれる。 「なんか今日はやけに嬉しそうだね? 何かいい事でもあった?」  希美の方こそ嬉しいそうに僕に聞いてきた。 「そう? 希美に会えているからじゃないかな?」 「なっ、寛太ってそういう事いうタイプだったかなー?」 「そんなタイプだよ」 「えー、そうかなぁ。……でも私も嬉しい。嬉しそうな寛太を見れて……」  そして希美は雑誌に手をかけた。僕ははっとした。確かこの雑誌をめくりながら希美は僕にクリスマスプレゼントについての質問をしてくる。その流れで自分の余命の事を聞いてくるはずだ。手のひらがじんわりと汗ばんでいくのが分かる。自然と表情も強張る……。 「しばらくするとクリスマスだね! 今年はどんなクリスマスがいいかなぁ。何か美味しいものが食べたいよねー病室にクリスマスツリーとか飾っちゃおうか?」  来た!この質問からの流れだ。当時の僕は希美のこの強がりにも似た頑張りに心がつまり、空返事をしてしまったのだ。そこが始まりだった。胸の鼓動が早まる。緊張からか喉の通りが悪くなり、唾を飲み込む事も意識的に行わなくては出来ないような感覚にとらわれる……。 「そうだね……」 っ!やってしまった。当時と状況こそ違えど同じような返答をしてしまった。緊張のあまりうまく返事が出来なかったのである。僕は焦った。まずい……まずいまずい……。焦っているうちに次の質問が来てしまう。同じ経路をたどってしまう。 「プレゼントは――」 「――希美!」  僕は何とか声を絞り出し希美の名前を言った。突然絞り出したので声のボリュームが大きくなってしまった。 「えっ、ど、どうしたの? 急に」  会話を遮られるように突然大きな声で名前を呼ばれた希美は驚いたように言った。 「ご、ごめん。いきなり大きな声で……。ちょっと希美に言っておきたい事があるんだ」 「どうしたの? いきなり。言いたい事って?」  僕は覚悟を決めた。ここで言うんだ。希美の事、僕の本当の気持ちを……。 「大事な話なんだ……。これから僕のいう事で希美はショックを受けるかもしれない。そんな話聞きたくないと思うかもしれない。……だけど大事な話なんだ。僕と希美にとってとても……」 「…………」  希美は黙ったまま僕を真っすぐ見据えた。僕も希美の目を見ながら喋り出した。 「希美もうすうす気が付いているかと思うけど……希美はこれからずっとは生きていく事が出来ない。そういう危険な状態にいる……。もしかしたら一ヶ月後、いや一週間後……いつそうなってもおかしくない状態なんだ」  つらい言葉だ。それは僕にとっても希美にとっても。出来れば言葉にしたくなかったし、聞きたくなかっただろう。言葉にする事で現実味を帯びてしまう。その事が分かっているからなおさら怖かった。  希美は僕の言葉を聞いている間もずっと初めと変わらず僕をじっと見つめている。 「だけど……いや、だから希美に話かったんだ。当然希美がいなくなってしまうのは辛い。このまま今後の事を話さず、希美に悲しい思いをさせずに過ごしていく事も出来たと思う……。でもそうじゃないんだ。僕は希美とこの状況をしっかりと受け止めた上で――その上で希美と過ごしていきたいんだ! どちらからが隠し事をしながら過ごしていくなんて僕には出来ない。お互い全てを理解した希美と向き合いたいんだ。そういう状態なら前向きでも後ろ向きでも構わない、僕らは僕らを支えながら生きていこう……」  一息に喋ってしまった。希美がどんな反応をするかは分からない。けれどもこれが僕の本心だった。僕らはお互いを思いやりつつも本音で付き合っていくべきなんだ……。たとえそれがどんなに短い時間であったとしても……。  希美は僕が話している間、ずっと僕から目を離さなかった。表情はなくただじっとしていた。 「…………ありがとう……」  じっと僕を見据えていた目にふっと光がさしたと思ったら、希美の口から言葉が零れ落ちた。それはとても繊細で注意深く扱わないとすぐにでも壊れてしまいそうな――氷の結晶のようなものだった。 「……嬉しいよ。寛太がそう思っていてくれた事が嬉しい。私もうすうすはもう長くないって事は気付いていたよ……。でもその事実が寛太を苦しめているんじゃないかと思った。いつも明るくしていた。寛太が悲しまないように……」  喋べりながら、希美の瞳は徐々に滲んでいった。そしてその滲みはいつしかいっぱいになり希美のほほに一筋の線を描いた。 「だから寛太がさっきい言ってくれた事、すごい嬉しかった……。お互いで気負う事なく事実を受け止めようって事よね? それで寛太が自然にしていられるなら私は嬉しい」 「そうだよ……。もうお互い変に気遣うのは止めよう。残された時間がどれくらいあるかは分からないけれど……その間はお互い嬉しい事やつらい事全部吐き出していこうよ」  僕の目からも涙が溢れていた。けれどもそれは悲しいばかりの涙ではない。悲しいのはもちろんだがこれで希美の気持ちを少しでも楽にしてあげる事が出来る、それが僕の気持ちを楽にさせる。そういった、どこか喜びにもにた気持ちからくる涙も含まれていた。
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