六 山の神社

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六 山の神社

「うわ。すごい」 早朝。文子は源之丞が(こしら)えた道標を頼りに山の上の花畑にやってきた。そこは手入れされた畑ではなく、ただの草原のよう。しかし、生えているのは貴重な薬草だった。 使用して良いと言った源之丞。文子はまず何があるのか詳しく確認にやってきた。広い草原。まずは手前から草を手に取っていた。 そこにあるのは東洋漢方薬で使用されるものばかり。中でも朝鮮人参を発見した文子は驚いた。 「栽培が難しいとされるのに。すごい」 こうして感激した文子。まずは自分がよく知っている薬草を持ち神社に帰ってきた。そして早速薬にするためにお湯を沸かし始めた。 ここには道具はない。このため何かを代用せねばならないと思ったが、台所にはその道具があった。 ……これは。多分、前の人が同じことをやっていたのね。 見知らぬ先人に背を押されたような気がした文子。時間も忘れて薬草を加工していた。 やがて夕方。気がつけば居間の囲炉裏から煙が出ていた。 「あ。すいません、私がやらないと行けないのに」 「……腹が空いたら、俺がやる」 そこにはうまそうな猪鍋ができていた。食べろという源之丞。文子は従って食べた。 ……優しい味。それに。気のせいか、前よりも細かく切ってあるような。 最初の料理は大きな野菜。文子は小さな口で必死に食べていた。しかし今日の汁は食べやすいように切ってあった。 ふと見ると。目の前の彼。面を外して食べていた。 「なんだ」 「す、すいません」 ……そうだった。顔を見るなって言われていたんだわ。 食べる時はどうしても外す面。彼は気にしてない様子であるが、基本、顔を見ない約束。文子は思わず目を瞑って食べていた。 「おい。何をしている」 「は、はい。あの、見ていませんから」 「……ああ。俺の顔か」 源之丞。面白くなった。意地悪しようとわざと彼女のそばに座った。 「今日は何をしていたんだ」 「はい。花畑で、薬草を」 「そうか……ん、お前、手をどうした」 「手?」 まだ目を瞑っている文子。その手を源之丞は掴んだ。 「赤いぞ」 「ああ。もしかして、薬草でかぶれたのかもしれません」 強い薬効のものもあった。家事で手が荒れていた文子。そんなことは日常茶飯事であり気にしてなかった。 「かぶれた?痛むのか」 「源様……あの」 心配の声。しかし近い。文子は目を開けられずただドキドキしていた。 「おかしい。薬草を作って、薬草で手がおかしくなるのはおかしい」 「源様。でも。すぐに治りますよ」 目を瞑っている世界。彼女の手は急に離された。 「源様?あれ」 目を開けるとそこに彼はいなかった。文子は探した。 「源様?」 彼は外からスッと戻ってきた。面をつけてなかったが、文子は思わず見ていた。 「冷やせ。これで」 外の水で冷やした手拭い。源之丞は文子の手に巻いてくれた。 「ありがとうございます」 「さ。食え」 「はい」 この夕食後。文子は寝室にて。天井の穴から見える星を見ていた。 ……優しい方。どうしてあんな優しいのかしら。 家出してきた自分。まずは置いてもらえた文子。優しい人柄の源之丞に胸を打たれていた。 逞しい体。素早い身のこなし。強い生活力。自分を見つめている視線。 確かにお金はないし。神社はぼろぼろ。口も悪いし、性格も少々難がある。しかし、優しい男である。 ……お顔を気にされているけど。別になんでもないし。 顎から頬にかけてひどい火傷の跡。赤くなっているが髭とボサボサの長い髪で特に目立っていない。それよりも人としての優しさがそれ以上に勝っていた。 ……眠れない。源様のことばかり考えてしまうわ。 涼しい夜。一人寝の部屋の障子は破れていた。そこから漏れる月灯り。それを見つつ、文子はいつの間にか寝ていた。 翌朝。文子は薬草や山菜を調理した。そして一息をついた頃。屋敷の障子を直そうとした。 「おい」 「きゃあああ」 時折、足音なくそばにいる源之丞。文子は驚いてびくとした。 「なんだ。そんなに俺が嫌いか」 「いいえ。びっくりしただけです」 「……それ。なんだ」 「これですか」 文子はもう使われていない部屋の破れた障子を濡らし、丁寧に剥がしていた。源之丞、屈んでそれを見ていた。 「破れてるぞ、それは」 「はい。これをまた水で溶かして、一枚の障子紙にしようと思って」 彼は首を傾げていた。文子はその仕草に微笑んだ。 「私は職人ではないですが。ちょっとやってみますね」 「好きにせよ。俺は森に行ってくる」 こうして剥がした文子。これをお湯で茹でた。そして冷ます際、米で作った糊を少々混ぜてみた。さらにこれを薄く伸ばし、源之丞の魚網の上に広げて干してみた。 ……まあ。形にはなったかな。 ぼこぼこしているが、紙にはなっている。乾燥させれば補修として使用できそうである。まだ時刻は午後。文子は干したまま、夕食の支度を始めた。 「あ。もしかして」 雨の音。パラパラとしてきた。せっかくの和紙が濡れてしまう。文子は慌てて外に出た。 「あれ?ないわ」 「やい。こっちだ」 そばにあった御堂の縁側。そこに綺麗に干されてあった。源之丞はこれをしまってくれていた。 「ありがとうございます」 「ふん。別に、ついでだ」 その割にびしょ濡れの源之丞。縁側にいた二人。雨の中。文子は持っていた手拭いで彼の肩を拭こうとした。その時だった。空がゴロゴロと音がした。 「え、これは」 「雷様(らいさま)であろう」 すると。ピカと光った。そして瞬時にゴロゴロと雷鳴がした。 「きゃああああ」 「おっと?」 文子。恐ろしさに源之丞に抱きついた。狐面の源之丞。驚きで震える彼女をそのままにした。 「近いな」 「ううう」 「お?光った」 怖がる文子。嬉しそうな源之丞。文子は恐怖で目を瞑っていた。 「怖い……」 「ほれ。来た」 ピカ!という光と共に。今度がズドーン。そしてゴゴゴと地鳴りが響いてきた。 「これは大きい。落ちたな、森の木か?」 「源様。源様」 縋ってくる文子。源之丞。嬉しかった。 「それ。また来たぞ」 「きゃあ。もういや!」 怯える娘。源之丞は抱きしめてやった。 「ははは。この俺がついておる。そんなに心配致すな」 「まだですか?まだ、鳴りますか」 その頃。雷鳴は遠のいていた。その代わり。ザザザーと雨が降ってきた。文子。どこかほっとした。 「もう平気?」 「いや。まだじゃ。こういう時が一番危ない。俺は目の前の木に雷が落ちたことがある。雷様が遠くに行っても油断できぬ」 「まだダメなんですね」 ……は?私。源様になんてことを。 いつの間にか抱きついていた胸の中。文子は急に恥ずかしくなり、そっと彼を見上げた。狐面は大雨を見ていた。 「これで川の水が増えて魚が獲れるな。よしよし」 「川の水が増えると、魚が増えるんですか?」 身の暖かさにまだ彼に寄り添っている文子。彼はうなづいた。 「ああ。最近、川の水がぬるくてのう。魚が死んでおった。この雨の水で流れれるのでな。綺麗になる」 「そうなんですか。なんでも知っているんですね」 「別に。普通だろう」 雨は小康状態。二人は静かに離れた。まだ外を見ていた。 「どうだ。お前は仕事が見つかりそうか」 「そうですね。今は、源様の薬草でちょっと薬を作っています。これがうまくいけば、そういう仕事ができそうだから」 「そうか」 彼はあぐらをかき、袂の袖に腕を入れた。 「なんでも良い。できればいいの」 「はい。ご心配かけまして」 ……そうよね。早く仕事を始めないと。 彼に急かされたような気がした文子。雨上がりの空を見ていた。 「そろそろ。止んだかな」 立ち上がり庇の外に出ようとした文子。源之丞が背後から抱き寄せた。 「おい」 「へ」 すると。また頭上でドドーン!と雷鳴がした。 「きゃああ」 首に手を回して抱きついた文子。源之丞は彼女の頭上で囁いた。 「言ったろう。危ないと。ここは山の上。雷様は高いところが好きなんじゃ」 「もう晴れたのに?もう、怖かった」 なきべその文子。狐面は笑っているように見えた。 「良いか。雷様が出た時は。建物の中におること。山の中には使ってない炭焼小屋や木こりの休み所がある。お前はそこに逃げることだ」 「でも。その近くにいない時は、どうすれば良いですか」 源之丞。不安そうな文子のためちょっと考えた。 「……その時は、俺がお前を迎えに行く。それなら良いか?」 「源様」 当たり前のように話す彼。文子は嬉しい涙が出てきた。 ……どうして。私にそこまで。 「おい。いつまでも泣くな。外を見ろ」 そういう彼とくっつきながら庇の外に出た。そこは晴天だった。神社の裏手。そこには鮮やかに輝いていた。 「うわ……虹だわ……私。こんなにはっきり見たのは初めて」 「そうか?雷様の後は、大体、ああやって虹が出る。これからはいつでも見れる」 源之丞は優しく肩に手を置いた。 「だから。もう泣くな」 涙の理由を恐怖のせいと思っている彼。文子は思わず彼が置いてくれた 手に手を添えた。 「はい……源様がいて下さるんですものね」 「おお。いるぞ。ここは俺の家だしな」 「ふふふ」 二人が見下ろす広がる村の雨上がりの田園風景。その上には虹が広がっていた。吹く風は夏色。文子は優しい源之丞と共に、その中にいた。 山の神社 完
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